幸せの旅路

KMT

序章「旅のはじまり」

第1話「自殺」



    KMT『幸せの旅路』



 俺は崖の高さに圧倒した。こんなところから飛び降りれば、人間の体なんか一溜りもないな。下を見下ろすと、悪魔の笑い声のような力強い打ち潮が、激しい音を立てて岩盤を削っていた。

 だが、波が与えてくる甚大な恐怖心が、逆に俺を安心させてくれる。これならすぐに楽になれそうだ。


「はぁ……つまんねぇ人生だったな」


 俺はこの島に自殺しに来た。








 一週間前だっただろうか。俺は家を追い出された。いや、正確には親から「出ていけ」と言われ、自ら家を出ていった。

 親は出来損ないの息子を見限り、愛情を注ぐことを諦めたのだ。この息子には何を言っても、何を与えても変わらない。怠惰で傲慢な人生を歩むだけ。散々募った怒りも我慢の限界点を越えたのだろう。


「どうしてそんな出来の悪い人間になってしまったの。アンタをこんな子に育てた覚えはないわよ」

「勉強もろくにしない。家の手伝いもしないで遊んでばかり。いい加減にしろ。お前は一家の恥さらしだ」


 よくもまぁ、そんなことが平気で自分の子どもに言えるな。心底憎たらしい。親にこれほどの怒りを抱いたのは初めてだ。俺だって、自分の悪いところは直そうと思ってるよ。でも、無理なんだよ。こんな口うるさい両親に囲まれた環境では。


「……チッ」


 俺は舌打ちをした。その音が二人の逆鱗に触れたらしい。それは、二人との関係を絶ち切るには不十分であるような、とても小さな怒りだった。




「もういい、出ていけ」


 そして、父さんと母さんは俺を捨てた。






 俺は必要な荷物だけを抱えて家を飛び出した。二人は見送りすらしなかった。きっと俺の鳴らした乱暴なドアの開閉の音も気づかなかっただろう。


「クソが……」


 俺は電車を乗り継ぎ、ひたすら遠くを目指した。電車の中の乗客は、みすぼらしい俺の姿に見向きもしなかった。まるで俺が次元から切り離され、見えていないように。


 聞いたこともない駅で降り、知らない町に来た。右も左もわからない俺は、ひたすら町を歩き回る。俺は完全によそ者だ。自分と町行く人々を見比べてみれば、まるで違う人種のようだ。その日は人気のない路地裏で寝た。冷たい地べたで寝るのは初めてだ。


 翌日、特に目的もない俺は、ただまっすぐ道を進んだ。歩いては休憩し、夜が更けたら人気のない場所で寝る。それをひたすら繰り返して一週間、俺はとある港に着いた。


 ゴォォォォォ

 馬鹿でかいフェリーが汽笛を鳴らす。体にどっと疲れがのしかかる。音に体力を吸いとられているみたいだ。心身共に疲労している。自分の力だけで生きていくことの厳しさを知った。しかし、戻る気は起きない。故郷が俺を磁力で跳ね返してくるような気分だ。




「ハァ……」


 行く宛のない俺は、そのフェリーに乗ることにした。この際どこでもいい。遠くに行けたらそれでよかった。

 スマフォを開き、Googleマップで港の位置を調べ、港とそこに停まっていたフェリーの情報を調べた。どうやらキオス島という離れ小島と本土を往復する連絡船のようだ。ネットからそれらしき出港情報を探し、キャッシュカードでチケットを購入した。便利な時代になったものだな。




 ゴォォォォォ

 乗船した数十分後に、フェリーが出港した。タイミングよくチケット購入を済ませ、乗ることができてよかった。フェリーは高らかに汽笛を鳴らし、巨大な生き物のように進んでいく。


「はぁ……」


 俺は運良く見つけたチケット代の安い二等船室でくつろぐ。スマフォでキャッシュカードの残高を確認しつつ、手持ちのものを確認する。最近機種変更したスマフォ、リュックの中には小銭だらけの汚い財布、通学に使っていた定期券、一着ずつしかない替えのシャツとズボン、そして折り畳み傘とバスタオル、毛布、以上。

 どこか心もとないな。感情的になって後先考えず出ていったものだから、仕方ないか。


 ちなみに食べ物はない。家を出てから何も食べていない。腹が減って仕方がないが、金が無限にあるわけでもないため、贅沢はできない。俺は腹の虫と攻防戦を繰り広げる。


 フゥゥゥゥ

 開いたドアから風が入り込んできた。外の通路と柵、その向こうにはどこまでも広がる海。俺は外に出て、通路の柵に肘をついて海を眺めた。




「……何やってんだ、俺」


 ふと冷静になって考えてみた。俺はなんて馬鹿なことをしているのだろう。確かに怒りに任せて説教してきた親にも非はあるかもしれない。しかし、元はと言えば親の言うことも聞かずに毎日遊び呆けていた自分が悪いんじゃないか。


「わかってんだよ、変わらなきゃいけないって」


 周りには誰もいない。俺は独り言をぶつぶつと呟く。だらしなさを煮詰めた自分の生活を変えたい。それでも、つい自分の中に潜む怠け癖という欲望に飲み込まれ、親に失態を晒す。



『オメェ、マジでやべぇぞ。こんな成績で進路どうすんだよ』 


『ダサッ、何だこの点数。同じ人間とは思えねぇな』


『そんなんでよく生きてられるね。恥ずかしくないの?』


『メガネかけるのやめたら? そんなのかけてもお前なんか頭良さそうに見えねぇんだよ』



 先生やクラスメイトも俺を責める。だからわかってんだよ、俺だって。でもわからない。どうすればまともな人間になれるんだ。教えてくれよ。



『無駄だよ』



「は?」


 どこからか声がした。


『お前は変われない。一生そのままだ』


 きっとこれは俺が迷惑をかけた連中の声だ。この世界に生きる、俺以外の全人類の言葉だ。


『お前は一生変われない。ただひたすら他者に迷惑をかけ、怠惰の限りを尽くしたクソ野郎のままなんだよ。諦めろ』


『他人を見下し、自分に甘えたお前は、救いようのないクズだ。お前がいる限り、この世界の誰かの傷が癒えることはない』


『なぜのうのうと生きているのか。お前は生きる価値のないゴミだ。今すぐ死ね』




 あぁ……そうか、そうだよな。




 俺の中で、再び何かがはち切れるような音がした。息の根ってやつが止まったのかもしれない。息の根っていうのは、呼吸ができなくなった時に止まるものじゃなくて、生きることを諦めた時に止まるものだと知った。


 もう止めよう。生きててもいいことなんかないんだ。








 港を出て30分後、フェリーはキオス島に到着した。俺はリュックを背負って港に降りた。不思議なものだな。生きる希望を失った体でも、荷物はきちんと持っていくんだ。まるで熱中症にかかったようなふらついた足取りで、俺は乗客とは別の方向へと進む。




 ザッザッザッ

 俺は最初に目についた森へと足を踏み入れた。自殺に適した場所はないだろうか。ここで木にロープをくくりつけ、首を吊るのもいいかもしれない。

 しかし、ロープの類は持っていない。それに、なるべく俺の遺体の処理などの面倒事をさせたくない。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。どうしたものか。……って、こんなときに限ってなんで他人への気遣いとかしてんだ。自分で自分がよくわからなくなってきた。


 ザッ

 あっという間に森を抜けてしまった。木々がなくなると、そこは断崖絶壁だった。かなり高い位置に登ってきたらしい。


「うおっ!?」


 慌てて足を止めた。危ない危ない、あと一歩足を前に出していたら、崖の下へ真っ逆さまだ。


「……」


 いや待て。何足を引っ込めてんだ。死ぬために来たんだろ。ここで飛び降りれば、荒波に飲まれて溺死する。確実に死ねるんだ。遺体も沖まで流されて見つからない。ここは絶好な場所だ。


 俺はスマフォのメモアプリを起動し、親や親戚、クラスメイト、先生、今まで迷惑をかけたであろう人々に最後の言葉を残した。自殺したことがわかるように、遺書くらいは書いといてやろう。


「本当にごめんなさい……っと」


 俺はスマフォのパスワードロック機能を解除し、電源を入れればいつでも遺書が表示されるように設定した。運良く誰かに見つけてもらえるといいが。




 ザサッ

 森の中から草木の揺れる音がした。


「誰かいるのか?」


 俺は音のした方へ振り向く。声をかけるが、何も返ってこない。




「……気のせいか」




 俺は覚悟を決め、断崖絶壁に立った。


 ビュュュュュ

 風が俺を落とそうと目論んでいるように体に打ち付けてくる。そういえば先生が言ってたな。人は幸せになるために生まれてきたんだって。幸せを掴むことで、生きていてよかったって思うんだって。


「はぁ……つまんねぇ人生だったな」


 俺、幸せになんかなれなかったよ。きっと生まれてきたことが間違いだから、幸せになっちゃいけないのかもしれないな。あぁ、なんかもうどうでもいいや。もはや俺の人生が為すこと何もかもが無駄だ。どれだけ頑張ろうと思っても、自分の命が生とは限りなく遠い方向へ引っ張られていく。




 いや、もう難しく考える必要はない。後はこの体を前に倒すだけでいい。俺はゆっくりと重心を前に傾けた。



 フッ



 みんな、本当に……



「ごめんなさい……」




 俺は海に身を投げた。


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