第15話「宿の夜」



「あ~、楽しみ~♪」

「露天風呂どんなかな~♪」


 宿の浴衣を抱きしめながら、千保と光は長い廊下を進む。先程まで疲労しきっていたことが嘘のように。これからその疲れを流すために入浴するのだが。


 やがて男湯と女湯の暖簾が見えた。


「混浴はないのかぁ。残念ね、清史君。千保ちゃんと一緒に入れなくて」

「な、何言ってんすか!///」


 光がにやけ顔を浮かべながら、清史の肩を肱で突く。すぐに清史の頬は赤く染まる。千保と一緒に入浴など、荒れ狂う海に身を投げる行為と同じだ。羞恥心ではなく血で赤く染まってしまう。


 つまり、律樹に殺される。


「さっさと入りますよ!///」


 恥ずかしさを隠すように、清史は男湯の暖簾をそそくさと潜った。






「ふぅ……」


 岩に背中をもたれかけ、熱い湯に身を浸す。湯に触れた部分から疲労が溶けていくように、全身が快感で満たされる。清史は広い露天風呂を堪能すべく、伸びをする。


“なかなか気持ちいい……”


 夏の夜風が髪を揺らす。温まった体に心地よい温度の風が当たり、ますます快適な状態が出来上がる。家で湯船に浸かるのとは大違いだ。目の前に広がる景観と浴槽面積の広さが相まって、疲労回復に最適な環境を作り出している。


「……」


 清史はふと後ろにある背の高い柵へと視線を向けた。上にうっすらと湯気が見える。どうやら男湯と女湯を仕切る柵のようだ。


 あの柵の向こう側で、千保が入浴している。


「……///」

「おい、何考えてんだ」


 いつの間にか律樹が隣にいた。瞬間移動でもしてきたのだろうか。千保を危険から守るためなら、余裕でしてきそうだが。


「え、えっと……」

「千保の裸見ようと考えてたんだろ」

「ち、違います!」


 0.1秒よりも早く思考を読まれた。咄嗟に否定するが、律樹の言う通りだ。清史は頭の中で想像していた。千保が女湯で湯に浸かっている様を。泡にまみれた自分の魅力的な体を洗う様を。


「じゃあ何を想像してたんだ?」

「えっと……」


 律樹の殺気に溢れた視線が、清史の心臓を貫く。視線だけで殺されてしまいそうだ。清史は知能の低い頭で必死に言い訳を考えた。




「律樹さんのアレ、すごく大きいなぁって……」

「は?」






「向こうもなんか盛り上がってるわね」

「キヨ君大丈夫かな……」


 光と千保は代わり番こに背中を洗っていた。千保は律樹と二人きりになってしまった清史を心配に思っていた。日頃から清史を追い詰めることしか考えていない律樹と、一緒に入浴を楽しめる可能性は薄い。


「なんか千保ちゃんがどうのこうの聞こえた」

「え?」

「きっと女湯の様子がどんな感じか想像してんのよ。一番盛り上がってるのは股関かもね(笑)」


 女性陣もそれなりに露天風呂を楽しんでいたようだ。


「それにしても、千保ちゃん大きくなったね~」


 ムニュッ


「ひゃあっ///」

「特に胸のあたりから♪」


 光は千保の胸を揉み出した。反射的に千保の口から甘い声が溢れる。光は幼い頃に体を洗ってあげた思い出を懐かしみながら、千保の体を隅々までまさぐった。


「やめてよ光さっ、あぁ……///」

「ほらほら、変態共にサービスサービス♪」




「聞こえてんだけど……///」


 千保と光が戯れる声が、男湯にいる清史の耳にも届く。柵の向こうからでも聞こえるあたり、わざと声を大きくしているのだろう。清史は暴れだそうとする理性を抑えるべく、湯に潜る。







「キヨ君大丈夫? のぼせちゃったの?」

「ま、まぁそんなところだ……」


 千保にうちわであおいでもらいながら、清史達は部屋に戻る。


「……///」


 千保の浴衣姿が、更に清史を欲情させる。それに気付かない千保は、ふらつく清史の体を支えようと体を近付ける。


「ますます顔が赤くなってるよ? 大丈夫?」

「だ、大丈夫だ!///」


 顔を反らして意識しまいとする清史。先程も千保達が戯れる様を想像し、無駄に理性を揺さぶられた。なぜ疲れを癒す風呂場に行ったのに、入る前より疲労が溜まっているのだろうか。


 ゆっくり湯に浸かれず、ひどくてしまったというわけだ。なんちって(笑)。


「ナレーションうるせぇよ」

「あ、キヨ君、ご飯の準備できてるよ」


 部屋にたどり着くと、女将が鍋の煮え具合を確認していた。中央に置かれたテーブルには、豪華な食事がずらりと並んでいた。


「温泉はいかがでしたか?」

「とても気持ちよかったです」

「それはよかったです。お食事の用意が完了致しました。ごゆっくりお楽しみください」


 宿泊客が清史達だけのせいか、料理は非常に豪華だった。見たところ他の従業員は見当たらない。この女将が一人で作ったのだろうか。


「ん? これって……」


 光はぐるりと料理を見渡し、確かな見覚えを感じた。


「はい、ミズシロ島自慢のナキウオ料理尽くしでございます」

「やっぱり!」


 案の定振る舞われたのはナキウオ料理だった。ナキウオ鍋や活け造り、天ぷらに葉巻寿司など、数多くの料理にナキウオをふんだんに使っていた。


「ま、美味しいからいいか」

「そうだな」


 腰を下ろし、手を合わせる一行。


『いただきまーす』


 清史達は賑やかな食事に心を踊らせた。




   * * * * * * *




「ふぅ……食った食った」

「ナキウオ美味しかったね~」


 食事を終えた俺達は、熱いお茶でほっと一息つく。開けた窓からの心地よい夜風が吹いてくる。温泉にいた時も吹いてきた風だ。この山が成す自然はどれも俺達の心を癒してくれる。


「うーん……どこに行けば宝玉の手がかりが掴めるんだ……」

「まだそんなこと考えてんのぉ~? 今日はもうゆっくり休もうよぉ~」


 律樹さんはノートパソコンで尚も宝玉の情報を検索し、光さんは酒でベロンベロンに酔っぱらっている。床には封の開いたナキウオの干物が転がっている。いつの間に開けたんだ……。


「お客様、電気を消してみてください」

「え?」


 女将さんが部屋の電気のスイッチを指差す。俺は言われるままにスイッチを押し、電気を消した。




「あぁ……」


 闇夜に包まれた部屋に、ほんのりと淡く白い光が差し込む。月の光だ。


「わぁ~、綺麗♪」

「これは風流だな」

「この宿は周囲を森で囲まれてる分、月の光がとてもはっきり見えるんですよ」


 見渡す限りの暗闇の世界に、ポツンと浮かぶ月。それがまるで人間の生活を見下ろす神様のようで、不思議と見とれてしまった。今まで月なんて見ても何とも思わなかったのに。今回と今まででは何が違うんだ?




「綺麗だね、キヨ君」


 もしかして……千保と一緒に見てるからなのか?


「あぁ、それにしても今日は大変な一日だな。宝玉が見つからないわホテルにはたどり着けないわ……」

「ふふっ、でも楽しかったじゃん。それにここに来なかったら、あんな気持ちいい温泉も美味しい料理も楽しめなかったかもしれないよ?」


 千保が俺に笑いかけてくれる。それだけで、一緒に見るありふれた景色が、写真に撮って残しておきたくなるくらいにいとおしくなる。どんなに心に重荷を背負っていても、やわらかな月光と、美しい少女の笑顔の前では敵わない。


 本当に不思議だよな。先日まで自殺したがってた男が、こうして旅を楽しんでるなんて。


「何が起こるかわからない。だから旅は面白いんだよ。人生も同じ。先は見えないけど、とりあえず生きてみればいい。もしかしたら、あっと驚くような面白いことが起こるかもしれないんだから」

「そうか……そうだよな」


 俺は決心した。この景色はいつまでも覚えていようと。千保の笑顔のような明るい月の光を、いつまでも心に刻んでおこうと。








 時刻は午前0時を迎えた頃だろうか。


「うぅ……」


 俺は尿意を感じて布団から出た。料理と共に振る舞われた『ナキウオの涙』とかいうジュースを飲み過ぎたか? ナキウオから取った出汁を混ぜたサイダーだと、女将さんは言っていた。作り方を聞いただけで美味しくなさそうなのに、なぜか美味しかった。


 ……って、早くトイレ行かないと。


「んん……」

「ぐっ……///」


 千保が寝返りを打った。彼女の被っている布団が少し捲れてるな。やべぇ、寝顔がめちゃくちゃエロい。それに、もう少し布団をずらせば見えてしまう。千保の胸元が……千保の……ブラ……


「……!」


 だから何やってんだ俺! 早くトイレ行けよ! 漏れるだろ!




 バタンッ


「ふぅ……」


 俺はトイレのドアを閉めた。危ない危ない。あのまま千保の寝顔に見惚れてたら、部屋の中で漏らしていたかもしれない。そうなったら地獄絵図と化すところだった。




「ん?」


 俺は部屋に戻る途中で、廊下の奥に部屋の明かりを見つけた。この宿は俺達と女将さんしかいないようだから、多分女将さんだろう。でも、こんな夜中に何してるんだ?


「あっ!」


 ドアのガラスに影が見えた。女将さんが出てくる。俺は咄嗟に廊下の曲がり角に隠れた。顔を覗かせて様子を伺う。


「……」


 出てきたのはやはり女将さんだ。あの部屋で何をしてるんだ? 仕事か? それとも宿の経営とはまた別の、個人的な内職でもしてんのか?


 よくよく考えたが、俺の知能の低い頭では検討もつかない。まぁ、多分何かの仕事なんだろう。


「ふぁ~」


 大きなあくびが溢れた。今日はもう寝よう。起きてから女将さんに聞けばいいか。明日も宝玉探しで忙しくなることだろう。俺は部屋に戻って布団を被り、眠りについた。




「……」


 寝る前に少しだけ、千保の寝顔を拝ませてもらうことにした。やっぱり可愛いな……。


「清史、寝ろ」

「ひっ! は、はい!」


 律樹さんが目を閉じたまま俺に囁いた。いきなりだったから、びっくりして心臓止まるかと思ったぞ。起こさないように物音立てずにいたのに、なんで気付いたんだよ。怖ぇよ……。


 今度こそ俺は眠りについた。


「……///」


 ダメだ。千保の可愛い寝顔を想像して寝られない。あぁ……なんて散々な夜なんだ。


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