第19話「泣き魚」



『そいつと出会ったのも10年前だったな』


 シマガミは語った。哀れな一匹の魚と、そいつには到底抱えきれない残酷な運命を。


『養殖場から偶然逃げ出したナキウオだった。私はそいつと目を合わせ、寿命を得た』

「寿命を得る?」

『神は本来天界に生きるものだ。しかし、私達シマガミはライフ諸島の島々に結び付けられている。おかげで寿命が短いのだ。だから特定の生物から寿命を奪って生き長らえなければならない』


 シマガミの説明によると、ライフ諸島のシマガミは一匹の特定の生物の命を引き換えに生き長らえているらしい。この鯉の場合は、偶然養殖場から逃げ出したナキウオ……つまりキーを見つけ、呪いで寿命を奪ったという。


『シマガミと目を合わせた生物は、余命が10年となる。その代わり、超人的な身体能力を手に入れることができるんだ』


 キーが陸上でも呼吸ができたり、激しく動き回ることができたのは、シマガミの呪いによるものだった。


『先程そのナキウオから奪った寿命が底を尽きそうになってな、海に向かってまた別の魚の寿命をもらってきたということだ。だからその間結界が弱まり、山の生物を人里に近付けてしまった。すまなかったか』


 律儀に謝るシマガミだが、俺達が謝ってほしいのは人喰いグマのことじゃない。


「キーの寿命を奪っておいて……よくそんな平気でいられるな……」

『そのことに関しては、仕方ないというものだ。奪わなければ私が死んでしまう』

「神様だからって偉そうにしてんじゃねぇよ!」


 俺はシマガミに怒りをぶつける。キーに呪いをかけ、寿命を奪ったことに対して微塵も責任を感じていない。島の守り神が、まさかこんなに図々しい奴だとは思わなかった。


「誰かの命を奪って生きるなんて……そんなの間違ってんだろ!」

『ほう、その少女と似たようなことを口にするのだな』

「え、あっ……」


 俺は指摘されて初めて気が付いた。いつの間にか未玖留と同じ思想に染まっている。そうだ、俺達人間だって似たような行為をしているじゃないか。動物を殺して、命を奪って、食べて生きている。


『所詮神も人間も同じなんだよ。何かを犠牲にしないと生きられない。それは仕方のないこととしか言い切れん』


 言い返したくても言い返せない。心のどこかでシマガミの言葉が正論であることを認めているのだ。シマガミは続ける。


『だが、仕方ないからと言って、その事実を当たり前のことだと思うなよ。その命を犠牲があるおかけで、お前達は生き長らえているのだから。それを忘れるな』




 カァァァァ……

 頭上から青い宝石がゆっくりと降りてきた。念力のような不思議なパワーで宙に浮いている。千保が真っ先に近付いて手に取る。


「これはミズシロ島の宝玉だ。お前達を危険な目に遭わせたお詫びとして受け取ってくれ」

「これが宝玉?」


 律樹さんと光さんは、千保の手のひらで光る宝玉を見つめる。まるで海の煌めきをぎゅっと固く閉じ込めたような、眩い青色の光を放っていた。文書に描かれた絵の通りの姿だ。


「お前達、これを探しているのだろう?」

「どうしてそれを……」


 千保は疑問に思う。


「見ればわかる。お前も呪われた目をしているからな。精々頑張るといい。色々すまなかった。さらばだ」


 スゥ……

 去り際に千保にそう伝え、シマガミは山の方へ飛んでいき、姿を消した。シマガミの最後の発言は不可解だったものの、命の犠牲の話は妙に説得力があり、不覚にも聞き入ってしまった。


「……」


 ミズシロ島に来て、何となく口にした料理のことを思い返す。あれも元々のびのびと生きていた動物だったのだ。それなのに、人間が生きるために捕まえられ、殺され、調理された。




「キーちゃん!」


 未久留の叫び声が耳に飛び込んできた。キーは未久留の腕の中でピクピクと震えていた。とても苦しそうだ。シマガミの説明によれば、呪いによってまもなく寿命が尽きる。


「キーちゃん……」


 体中血まみれで、肉も裂けて内臓が抉られていた。オズフルの攻撃は相当強力なものだったらしい。もはや死は避けられない。未久留はキーの最後を悟り、落ち着いた口調で告げる。


「ありがとう……キーちゃんとの日々はすごく楽しかったよ。ずっと、ずっと忘れないからね……」

「キ……キィ……」


 未玖留の目にも、キーの目にも、ポツンと涙が浮かんでいた。キーは最後にお礼を伝えるかのように、弱々しく鳴いた。それを最後に、キーはぐったりと横に倒れ、動くことはなかった。


「キーちゃん! キーちゃん!」


 未久留の腕の中で、ナキウオは生き絶えた。


「キーちゃん……うぅ……うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 激しく泣き出す未久留の背中を、千保と響花さんが優しく撫でた。俺は再び彼女に何もできなかった自分を不甲斐なく感じ、人知れず目に涙を浮かべた。沈みかけた夕陽が、慰めるように清史達に光を注いでいた。








 その日の夜も宿の世話になり、俺達は時間をかけて頭を整理した。疲れに身を任せるまま眠りにつき、あっという間に翌日となった。


「お母さん、お願いがあるの」


 未久留はキーの亡骸を響花さんに差し出す。


「料理、作って」


 未玖留はキーを使って、ナキウオ料理を作ってくれとお願いしたのだ。響花さんは埋葬した方がいいのではと言ったが、生き物の命をありがたく食すことが、キーに対する一番の弔い方だと未玖留は言った。


 響花さんは腕によりをかけ、ナキウオの活け造りを作った。


「ん~! 美味しい!」

「あぁ、上手いな」


 俺達もナキウオ料理をしみじみと噛み締めた。それはそれは言葉で表現しきってしまうには惜しいほど絶品だった。未久留は響花さんに今まで迷惑をかけたことを謝り、ナキウオの刺身を口にした。


「美味しい……美味しいよ……キーちゃん……」


 未久留はキーの身をよく噛み、数々の思い出を振り返りながら味わった。ようやく自分の特性を克服できたようだ。俺達も彼女を見習い、犠牲となった生き物の命に感謝し、ありがたく頂いた。






 そして数時間後、俺達は帰りのフェリーに乗るため、船着き場に向かった。わざわざ未久留が見送りに来てくれた。


「なんか、色々悪かったな」

「ううん、私こそ危ない目に遭わせてごめんなさい」


 未久留は千保の腕の包帯を撫でる。未玖留が意識を阻害したとはいえ、俺も千保を命の危機に晒してしまったことが申し訳ない。未玖留にも怖い思いをさせてしまったな。


「なぁ、未玖留……」


 俺はリュックにしまってあったミズシロ島の宝玉を差し出す。


「これやるよ」

「え?」

「いいの? キヨ君」

「あぁ」


 今回は旅を始めたばかりとはいえ、宝玉を探すのに苦労した。結局自力で見つけられず、シマガミに土産感覚で渡されて手に入れた。何はともあれ目標達成だ。


 だが、未玖留の寂しそうな表情を見ていると、持って帰るのが惜しくなった。


「まぁ、その、こいつをキーの代わりだと思って、持っていてほしいというか、何と言うか……」

「フフッ」


 未久留は軽い微笑みを浮かべ、差し出した俺の腕を押し返す。


「大丈夫、私はいらないよ。キーちゃんは私の中で生きてるから。私達はいつも一緒なの」

「そうか……」

「それはあなた達が持ってて。それを探しにこの島に来たんでしょ?」

「ありがとう、未玖留ちゃん」

「ありがとう、未玖留」


 俺は未久留の気遣いに乗っかり、宝玉をしまった。未久留は心が満たされたような、満面の笑みで別れを告げた。


「こちらこそありがとね……二人共……」






 俺と千保は、船上で遠ざかるミズシロ島を眺める。下に顔を向けると、かすかに船と並んで悠々と泳ぐ魚の影が見えた。人間と動物の切っても離れない関係性ををしみじみと感じる。


「よかったな、宝玉見つかって」

「うん。あのシマガミ、なかなかいい神様だったよね。未玖留ちゃんも元気になってよかったぁ」


 顔を向けると、千保は俺に微笑みかける。柵に乗っかった千保の包帯だらけの腕を見て、またもや罪悪感に襲われる。


「千保、すまん。あの時お前を助けられなくて」

「……」


 俺は申し訳ない気持ちに引っ張られ、頭を垂れる。今回運良く助かったものの、下手すればオズフルに殺されていたかもしれない。相手が何であれ、助けられなかった俺は最低な臆病者だ。




 だが、千保は微笑みを崩さずに口を開く。


「キヨ君は優しいね」

「え……」


 千保は突然俺を誉めてきた。優しい? 何言ってんだよ。俺は今回何もできなかったぞ。俺は目を丸くしながら彼女を見つめた。


「シマガミ相手に真剣に怒ってるのを見て、未玖留ちゃんとキーちゃんを大切に思ってくれてるんだってわかった。宝玉渡そうとしてたのも、未玖留ちゃんを思ってのことでしょ? キヨ君はすごく不器用だけど、本当は心の奥に優しさを秘めていて、すごく素敵な人なんだってわかったよ。キヨ君は優しいんだね」


 ちょ、ちょ、ちょ……待ってくれ。そんなに長々と誉められると恥ずかしさが限界を超えて死にそうだ。もうやめてくれ。


「なっ、や、優しくねぇよ! 何言ってんだ!///」

「あ、照れてる。可愛い~♪」

「うるせぇ!///」


 背後から光さんと律樹さんの視線を感じる。振り向かなくてもわかる。律樹さんは妹を取られた嫉妬心で睨み付けている。


「あの野郎……千保とイチャつきやがって……」

「リッキー、抑えなさい」


 律樹さん、これは不可抗力ですって。なんかいい感じの雰囲気になってますけど、自分で意図的にやってるわけじゃないんです。ごめんなさい。




「ねぇ、楽しかった?」

「え……」


 突然千保が尋ねてきた。


「旅、楽しかった?」

「あぁ」

「ふふっ、よかった♪」


 俺の手に自分の手を重ねる千保。


「これからもさ、一緒に旅しよう。ライフ諸島の宝玉を全部集めて、幸せになろう。キヨ君と一緒なら、私……できる気がするんだ」

「千保……」


 俺は頬を赤く染めながら、千保の手を握り返す。彼女と過ごす時間は、今まで味わったことのない感情を次々と引き出す。その度に胸が温かくなるんだ。


 これからも俺は、千保と共にその感情を楽しみたい。


「俺でよかったら……付き合うよ」

「ありがとう、キヨ君♪」


 俺達を乗せた船は勇ましい汽笛を立てながら、広い大海原を進んでいった。


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