第18話「シマガミ」
千保は両手でオズフルの腕を掴むが、馬鹿力で押し返される。そりゃ、相手は人なんか簡単に喰い殺す殺戮生物だ。重量もパワーも圧倒的に上の存在。ただ腕力が強いだけの女子高生が敵うとは思えない。
「ぐっ……」
千保の腕の血管がムクムクと膨張する。寄生体に侵されたような赤い筋が、生々しく浮き上がる。千保は能力を限界まで引き上げた。
「あ……あぁ……」
怯えている未玖留を命がけで守ろうとしている。辛そうだ。見てられない。千保の方が殺されてしまうんじゃないか。今すぐやめさせないと。
「あぁ……」
しかし、恐怖にがんじがらめになった俺達の足は動かない。今オズフルの動きを止められるのは千保だけだし、俺達が戦場に加わっても足手まといになるだけ。二人の間に一歩でも足を踏み入れれば、一瞬で命がえぐりとられる。
「……」
千保は尚もオズフルの力を受け止める。動きを封じながら、どうやってトドメを刺そうか考えている。町に向かわれては死人が出るのは確実だ。それを防ぐには、ここで奴の命を絶つしかない。
千保は脚に思い切り力を入れた。
「ダメ!」
「え?」
その時、未玖留が叫んだ。
「殺しちゃダメ!」
……は?
「クマを殺しちゃダメ! 生き物なんだから!」
おいおい、こんな状況で何言ってんだ未玖留の奴は。これ以上の進行を止めるには殺すしかない。
「その子だって動物! 大切な命なんだから!」
「うぅ……」
未玖留の奴、この期に及んでまだそんなこと言ってんのか。千保の苦しそうな様子が見えないのか。今にも押し返されそうだぞ。下手すりゃ彼女が殺される。
「殺しちゃダメ! 千保さん!」
「……」
千保、さっきからオズフルの腕を掴んだまま動かない。未玖留の言葉が引っ掛かってんのか。殺さずに済む方法も考えてるに違いない。何やってんだ、早くトドメを刺せ。
あのバカ野郎……余計なこと言いやがって……。
ズルッ
「あっ!」
千保からオズフルの腕が抜けた。
ザッ
「うぅっ!?」
その瞬間、俺達の視界に入り込んだのは、少量の血渋きだった。その赤は、千保の頬から吹き出ていた。
「千保!」
「ハァ……ハァ……」
千保は息を切らしながら体勢を立て直す。まずい、このまま傷を増やしながら戦えば、いずれ力尽きて倒れる。あいつの能力は一時的なものだから、効果が切れたらその瞬間でデッドエンドだ。
ヤバい……このままじゃ……千保が……
グォォォォ!
オズフルが再び飛びかかった。
ガッ
「キィィィィ」
すると、横からナキウオが飛び出し、オズフルの顔面に体当たりした。こいつ……未玖留の飼ってるキーか。
「キーちゃん!」
キーは何度も飛び上がり、オズフルに向かって体当たりを繰り返す。人智を越えた動きでサッカーをしてみせた魚だ。ロケットのような凄まじい勢いで、オズフルの体にダメージを与えていく。
「キィィィィ」
キーの瞳には未玖留が映っていた。そうか、あいつを守るために……。
グォォォォ
「キィィィィ」
両者共に叫ぶ。キーは勢いよく飛び上がり、背を向けて尾を振り下ろす。
ブシャッ
「ギギッ」
しかし、オズフルは鉤爪でキーを跳ね返した。今度はキーの血渋きが宙を舞う。
「え……」
キーの体は内臓が裂け、出血が止まらなかった。ナキウオ特有の鳴き声が聞こえない
「キーちゃん……嘘……嫌だ……」
オズフルはゆっくりと首を傾ける。その視線の先にいるのは、涙を浮かべた未玖留だ。
グォォォォ
オズフルは容赦なく未玖留へと襲いかかる。
「嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
グチャッ!
ガ……
「……え?」
未玖留はゆっくりと目を開けた。オズフルは牙を輝かせ、未玖留に噛み付こうとしていた。しかし、直前でその動きは止まった。
「ひいっ!?」
光さんの悲壮な声が聞こえた。一同の目に映ったのは、オズフルの胸に右腕を突っ込む千保だった。差し込んで開いた穴から血が大量に吹き出す。
グチャッ!
千保は腕を引き抜いた。オズフルの血液にまみれた心臓を掴んで。最後の力を振り絞って、千保はオズフルの胴体から心臓を引きちぎったのだ。それを悲痛な表情を浮かべながら、地面に捨てた。
バタンッ!
オズフルは叫び声も上げずに倒れた。辺り一面は軽く血の海と化した。千保の桃色の髪も、血の雨を浴びたように真っ赤に濡れていた。
悲惨に飛び散った血液と、鼓動が弱まっていくオズフルの心臓が、サディスティックな現場を作り出す。
「千保……さん……?」
「ごめん……」
千保はうつむきながら呟いた。
「おい、千保が危ない目に遭ってたのに、よく敵の心配なんかできたな」
俺の怒りは我慢の限界を迎えた。未久留は自分が命の危機に遭いながらも、頑なに動物であるオズフルの命のことも庇い続けていた。千保がオズフルに殺されかけている時もだ。
「何が大切な命だ。もう少しで千保の方が死ぬところだったんだぞ」
「やめろ清史。俺達だって何もできなかった。人のこと言えねぇだろ」
「清史君、子ども相手にダメよ」
律樹さんと光さんが間に割り込んできた。未久留の涙目を見て、瞬時に我に帰ることができた。俺を見つめる目が、オズフルを前にして恐怖に囚われた目に似ている。
そうだ、このガキはそういう人間だったんだ。
「キヨ君、私は大丈夫だから……」
切られた頬を押さえながら、静かに呟く千保。そうだ、俺も千保を助けられなかったのも事実じゃないか。臆病者の俺が一体誰を責められるって言うんだ。
「すまん、未玖留……」
「未玖留!」
「お母さん!」
遅れて響花さんが合流した。未玖留は母親の姿を見つけるなり、その胸に飛び込んで泣きついた。未玖留にも大量の血が飛び散ったため、涙と混ざってどんどん顔が汚れていく。
「うぅぅ……怖かった……」
「よしよし」
「そうだ、キーちゃん!」
キーの存在を思い出し、血まみれの道路を見渡す。
「キーちゃん!」
同じ血まみれになったキーを見つけた。抱き起こして血を拭き取る未玖留。
「キーちゃん起きて! しっかりして!」
「キ……キィ……」
わずかに鳴く力が残っているようだ。しかし、体の損傷が激しい。これはもう流石に……
『もう助からんよ』
「え!?」
声の下へ振り向いた。声の主は空中にいた。
「こ、鯉……」
海の方へ飛んでいった巨大な鯉だ。こいつ……喋れるのか? 一体何なんだこいつは。
『そのナキウオは私が力を与えた。だから陸上でもえら呼吸で酸素が取り込めるし、身体能力も格段に上がった』
唐突に語りだす鯉。鯉が人間の言語を口にし、空中に巨大な図体を晒して浮いている。視覚が捉える情報全てが異様な光景だった。
『海へ行かねばならない用があったのだ。その間に結界が弱まり、オズフルが人里に降りてしまった。危険な目に遭わせてすまなかったな』
「結界……まさか!?」
律樹さんが何かの確信を得た。
『あぁ、私がミズシロ島のシマガミだ』
やはり、こいつがミズシロ島の守り神。島民が言っていたシマガミが張る結界という話も本当だったのか。この鯉の姿をした生物が、ミズシロ島を水産業の豊かな島へと発展させた。神秘的な力で……。
島民が崇め奉る崇高な神様が、人間の前に姿を現した。
「シマガミ様! キーちゃんにもう一度力を与えてくたさい! このままじゃ……」
未玖留が泣きながらシマガミに請う。ただの魚とはいえ、あいつにとってはかけがえのない友達なんだよな。10年間ずっと一緒に暮らしてきた。
『無駄だ。そいつはもうすぐ死ぬ。そういう呪いだからな』
「……え?」
シマガミの奴、今何て言った? 呪い……?
『知らなかったのか。そいつには呪いをかけたのだ。強靭な力を得る代償として、余命が10年になる呪いをな』
呪いをかけた? キーに? なぜ呪いをかける必要があるんだ? シマガミは島民に恵みを与える存在じゃないのか?
「……」
シマガミは凍り付いてしまいそうな鋭い瞳で、俺達を見つめてくる。ただ目を合わせるだけで、奴の体に眠るとてつもなく神秘的な力の息吹を感じる。
次々と巻き起こる不可解な出来事に、俺達はただ翻弄されることしかできなかった。
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