第36話「夢を創造する者」
外は雪が激しく降り積もっており、出歩くのは危険だ。清史達は明典に無理を言い、家に泊まらせてもらうことになった。夜はこたつに入り、温かい鍋を囲んだ。
「……」
律樹はあれからずっと窓の外を眺めている。夕飯を彩る会話に入ろうともしない。実代の『ドリームプロダクションの曲を演奏してほしい』という頼みを断ってから、ずっとあの様だ。
清史の目にも明らかだった。律樹はバンドに対する冷たい過去があると。
「律樹さん、昔何かあったんですか?」
律樹が風呂に入りに行ったタイミングを見計らい、清史は光に恐る恐る尋ねた。彼女は律樹と同じバンドの元メンバーだ。彼女なら深く知っていると判断した。
「……律樹には言ったこと内緒にしてね」
「はい」
いつものリッキー呼びではない様子から、深刻な事情であることを察知した清史。来るであろう重苦しい話に、覚悟を決めて耳を傾ける。
律樹と光がドリームプロダクションを結成したのは、18年前の高校生の頃だ。二人はバンドメンバーを募集するというチラシに食い付き、その二人の元へ向かった。
「お、制服姿。高校生か!」
「若いわねぇ~。二人共可愛くて素敵♪」
律樹と光の前に現れたのは、中年の夫婦だった。女性の背後には幼稚園児ほどの年齢の小さな男の子。まさかの子持ちである。
「この子、私達の息子。
「いや、あの……え……?」
恥ずかしがっている息子を抱き上げ、自慢気に紹介する女性。息子の頭を撫でる男性。何とものほほんとした二人だ。
とにかく、30代の子持ち夫婦と、高校生の男女が混ざった異色な4人組ロックバンド『ドリームプロダクション』が結成された。
夫婦の名前は「保科結月」と「保科季俊」。彼らのギターの腕前は、プロという言葉で呼ぶにふさわしいほど卓越していた。特に結月の喉から放たれる歌声は、聴く者を天国へ
「す、すげぇ……」
「上手い……」
先程ののほほんとした態度から一変、実力を見せつけてきた。ただのおふざけでバンドを組んだわけではないと、律樹と光は2,3分程度の曲一つ聴いただけで理解した。これからの人生、このメンバーで本気で音楽と向き合うのだ。
「そんなに焦らなくても大丈夫だよ。僕達が特訓してあげるから」
「えぇ、みんなで一緒に夢を創りましょう!」
共に手を取り合うメンバー達。結月と季俊は約半年をかけ、律樹のドラムテクと光のベースの技術を徹底的に指導した。そしてバンドを始めて一年後、街中で路上ライブを繰り返し、着々と知名度を獲得していった。
更に一年後にはオリジナルの曲も制作し始めた。結月と季俊が、バンドを結成したらどうしてもやりたかったことらしい。律樹と光は二人の夢を共に支えた。発売したシングルやアルバムは予想以上の売り上げを記録し、彼らの名は瞬く間に広まった。
そして、一同はYouTubeでの活動を始めた。動画制作の極意も独学で学び、自分達のオリジナル曲のミュージックビデオを制作して公開した。再生回数は予想を越えるスピードで格段に伸びた。まだ若者であった律樹と光は、コメント欄に並ぶ応援の声に目を輝かせた。
「すごい……」
「俺達を見てくれる人が……こんなに……」
特に律樹は胸を踊らせた。自分の頑張りが誰かに認められている。それがこうして数字に現れている。嬉しくて涙が溢れ出そうになった。
そして、ドリームプロダクションという居場所は、彼に想像以上の希望をもたらした。
「律樹君の新しい妹さん、お誕生日おめでとう!」
パァァァン!
保科家のリビングにけたましいクラッカーが鳴り響く。律樹の母が次女を産み、千保と名付けた。光だけでなく、結月と季俊も一緒になって新しい妹の誕生会を開いた。まだ生まれて間もないというのに。
「わざわざありがとうございます……」
「当たり前じゃない。大切な仲間だもの♪」
「仲間の幸せはみんなで祝わないとね」
結月と季俊は律樹の頭を優しく撫でた。こんなに自分のことを思いやってくれる人は、家族と光以外で初めてだ。家族を養うためにバイト尽くしで、彩りのなかった自分の人生。ただ家族の幸せのために、自分の幸せを磨り減らした人生。
それがまさか、こんな温かい仲間に恵まれるとは思わなかった。
「リッキー、バンドやっててよかったね」
光が優しく微笑みかける。律樹は瞳にたくさんの涙を浮かべ、満面の笑みで答える。
「あぁ……よかった……本当によかった……」
バンドメンバーに囲まれ、律樹は思った。自分の人生は間違いなく幸せだ。これからも大切な仲間と共に音楽を奏でよう。世界中の人々に夢を与えながら、大切な仲間と共に生きていこう。
温かい幸せに包まれながら、律樹は仲間と笑い合った。
そんな幸せが崩壊するなど、一体誰が予測しただろうか。神様も想定外なのではないかと思うほどに、別れは突然やって来た。
「……」
律樹と光は、棺の中に横たわる結月と季俊の死に顔を覗き込む。この場に似つかわしくないほど綺麗だった。二人は結婚記念日の夜、赤信号を無視したトラックにはねられて亡くなった。
「結月さん……季俊さん……」
もう発せられることのない二人の歌声。音を奏でることのない体。飲み干した酒瓶のように、空っぽの二人がそこにある。光はただ立ちすくみ、心にうずく感情を言葉にできなかった。
「うっ……うぅ……」
ふと、隣に立つ律樹に視線を向ける。彼は足の爪先から頭まで、何かに取り憑かれたように震えている。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
そして、壊れた玩具のように泣き崩れた。彼がここまで感情を露にしたのは初めてだ。それもそのはず。結月と季俊の存在は、自分の人生にこれ以上ないほどの幸せを与えてくれた。恩師とも呼べる存在だ。
「なんで……なんでだよ! クソッ! うぅぅ……」
同じバンドメンバーである光以上に、二人の息子である伊織以上に、律樹はらしくなく泣き叫んだ。悔しさも悲しさも詰まった涙が、棺の上に乗っては滴り落ちる。中学生の詩音と、小学生の千保が律樹の背中をさする。
律樹はこの日、絶望の正体を身を持って知った。
「そんなことがあったんですか……」
「あの二人には私も律樹もすごくお世話になってて、たくさんのことを教えてもらってたの。だからすごくショックだった」
バンド結成当時、律樹と光は高校生だ。結月と季俊はかなり歳が離れていたが、二人は真摯に演奏の技術を伝授してくれた。だからこそ、亡くなったと知った時の悲しみは、律樹達には耐え難いものだった。
二人の死後、ドリームプロダクションは余儀なく解散となった。光は二人の意思を継いで個人名義での音楽活動を続けたが、律樹は一切楽器に触れることはなかった。
「もう11年も昔のことだけど、律樹は今でもショックから立ち直れてないんでしょうね。昔からすごく喧嘩早い性格だったけど、あの二人とのバンド活動のおかげで更正できたもの」
確かに、最初に清史に会った時も、かなり威圧的な態度を向けられた。元々人間関係の形成が苦手な性分だったのだろう。同じ元バンドメンバーだった光は例外らしいが。
「だからバンドのことを掘り返すと、あぁやって不機嫌になるの。本人は気にしてないって言ってるけど、今も悲しんでるのよ。二人が亡くなったことをね」
そんな暗い過去があるとは知らなかった。散々貶してきたが、それでもトラベルハウスの一員として受け入れてくれたことに感謝する清史。
「律樹さん……」
だが、どうすればいいのだろうか。亡くなった大切な人のことを、自分が掘り返すのは失礼ではないか。かと言って、辛い気持ちを引きずってここに留まるのもよくない。
結局その日は結論を出せず、清史達は内山家に一泊した。
「お兄ちゃん……」
千保は風呂場のドアにもたれ掛かり、考え込む。微かであるが、中からすすり泣く声が聞こえる。兄が泣いているのだ。亡くなった二人のことを思い出して。
自分は妹であるからと、ずっと兄に守られてばかりいた。兄の過去が鮮明に浮き彫りとなり、異常な悲しみに暮れている。今こそ恩を返す絶好のチャンスではないだろうか。
千保は拳を握り締め、決意を固めた。
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