第42話「本音」



「ハァ……ハァ……」

「千保、大丈夫か?」


 大木にもたれ、一休みする俺達。追いかけてきた律樹さん達は撒いたようだ。周りにあるのは不気味に立ち並ぶ所々剥げた木々だけ。俺はポケットからハンカチを取り出し、千保の口から溢れる血を拭った。


「なぁ、さっきの話本当なのか?」

「うん。私ももうすぐ寿命を迎えるの。キーちゃんや実代さんのようにね」

「そんな……」


 彼女の真剣な口調から、事実であることは揺るぎないようだ。もうすぐ彼女の寿命が尽きる。つまり、生け贄の契りを交わしてから10年が経ってしまうということだ。

 律樹さんの話によると、シマガミが告げた制限時間は10年後……つまり今日の午後6時だ。俺はスマフォを確認した。時刻は4時34分を指している。残り約1時間半だ。


 それまでに、シマガミに宝玉を差し出さなければいけない。


「ううっ……」


 千保が胸を押さえて苦しみ出す。身体に異常をきたしているらしい。寿命が尽きるその時が、すぐそこまで迫ってきているのだ。気休めにもならないとは思うが、俺は背中を優しくさすってやった。


「クソッ、早く宝玉をシマガミに捧げねぇと」


 とはいえ、どうすればシマガミを呼び出せるのかがわからない。先程祠の前で祈りを捧げてみたが、シマガミは現れなかった。初めてキオス島に来た日も同じことをしたが、あの時はちゃんと現れたぞ。


 何だ……一回目と二回目で何が違う?


「なぁ千保、シマガミはどうやったら出てくるんだ?」


 苦しんでいる中申し訳ないが、俺は直接千保に尋ねた。




「……!」


 その瞬間、俺は背筋が震え上がった。千保の方を向いた途端、彼女が白いキノコを口に放り込もうとしていたのを見たからだ。


「千保!」


 ガシッ

 俺はすぐさま千保の腕に掴みかかり、地面に押さえ付けた。かなり乱暴になってしまったが、キノコが彼女の口に入る寸前に止めることができた。


 白いキノコ……シロアヤメダケだ。俺がこの森で食って死にかけた毒キノコだ。千保が前に言った通り、神殿の森の至るところに生えていた。彼女はそれを食おうとしていた。


「何やってんだ!」

「だって……このまま何もしなくてもどうせ死んじゃうんだから……」


 望んで毒キノコを口にしようとした彼女。自分の死の運命のことで思い悩み、正常な思考ができないようだ。

 でも、彼女の馬鹿げた行為を見てわかった。彼女は本気で自分が犠牲になろうと思っているらしい。キオス島が沈むのを防ぐために。




 なぁ千保、お前……本当に死ぬことを望んでんのか?


「お前……ほんとにいいのかよ」

「いいよ……みんなのためなら、私は犠牲になるから……」


 千保は余裕を見せつけるために、俺に微笑みかけた。相変わらず彼女の見せるいきいきとした表情は、地球上に惚れない人間はいないと思うくらいにとても可愛い。


 しかし、心の底に押し込んでいた悲しみは隠しきれていなかった。




「……お前、どんだけお人好しなんだよ」

「え?」

「前に言ったよな。お前は辛いことや悲しいことをすぐに我慢しようとする。クラスメイトのいじめや、花火大会の時だってそうだった。ずっと苦痛を圧し殺して、周りに迷惑はかけられないからって、いつもヘラヘラしやがって」


 俺は千保の頭を撫でた。千保はきょとんとした表情で、俺を見つめ返す。そう、彼女はずっと余裕な態度を見せつけてはいるが、裏で苦しんでいることを隠せていないのだ。


 思い返せば、彼女は笑う度に心の中で泣いていたのかもしれない。俺を宝玉集めの旅に誘う瞬間も、心の底に生け贄の契りで命を落としてしまうかもしれない恐怖があったはずだ。

 それでもその恐怖を悟られぬよう、俺の前で無邪気な女の子を装い、仮面に笑顔を浮かべて誤魔化してきた。宝玉を集めるのは世界最高の幸せを手に入れるためなんて、幼稚臭い嘘までついて。


「確かにお前はすげぇよ。お前が自殺しようとした俺を見つけてくれたあの時、自分の命がもうすぐ尽きるなんて辛い窮地に立たされてたのに、俺を助けてくれたんだから」


 俺がこのキオス島に来て自殺を計画していた頃、彼女も自分の命が尽きる時を律樹さんに告げられていた。それがどれだけ辛く恐ろしいことかは、今の俺にはよくわかる。


 その直後なのに、名前も顔も知らない赤の他人である俺を助けた。普通自分が死ぬとわかった時、他人の命のことなんて考えてられないはずだ。それなのに、彼女は身を呈して俺の命を救ってくれた。


 そしてこれまでの時間で、たくさんのかけがえのない思い出をくれた。


「千保、お前と過ごした時間は本当に楽しかった。最初はお互いのことを何も知らなかったが、こんなにも心を近付けることができた。お前が人を知ることの大切さを教えてくれたからだ」


 自分が一番生から遠い場所に身を起きながらも、自殺したがっていた俺に寄り添い、生きることへの希望を見出ださせた。俺はずっとその恩を返したかった。


 ようやく見つけられた生きる幸せが、千保と一緒にいることだった。


「千保、ありがとう。俺を助けてくれて」

「キヨ君……」

「今度は俺が助ける番だ」

「助けるなんて……ダメだよ。私は死ななきゃいけないの。島の人達まで巻き込んで、みんなの大切な故郷を壊すわけにはいかないよ」


 俺がこれだけ感謝を述べても、彼女の主張は変わらなかった。どこまでも自己犠牲精神を引きずり、他の島民の命のことを考えている。自分というたった一人の命より、不特定多数の命の方を選択することが正しいと言い張っている。


 しかし、俺はわかっている。彼女の主張と心の底に秘めた思いは、決して一致していないことを。


「だから私は……」



 

 千保が言葉を紡ぐより先に、俺は彼女を抱き締めた。強く、優しく、精一杯の愛情を込めて。


「千保、もういいんだ。我慢しなくても、自分を隠し通さなくてもいいんだ」


 俺には胸が痛くなるくらいにわかっている。まだ彼女は自分を偽っている節がある。その証拠に、余裕を見せつけようとする彼女の体は、恐怖と不安でいつも震えている。


 それを解きほぐすために、俺は自身の温もりで包んでやった。


「お前の本当の気持ち、教えてくれ」






 千保は涙を流し始めた。


「うっ……うう……」




 そして、ついに本音を口にした。


「私……死にたくない……まだ生きたい……キヨ君と一緒にいたい……」


 千保は俺の胸に顔をうずめて、赤子のようにわんわんと泣いた。彼女もようやく初めて自分の弱さをさらけ出すことができた。ずっと誰かの迷惑になるからと我慢して、辛い気持ちを隠してきたもんな。


「お兄ちゃんやお姉ちゃん……光さんと一緒にいたい……まだまだやりたいことがたくさんある……」


 彼女の涙は止まることなく、永遠と流れ続けた。それは、生きたいと願う感情と相反する現実があるからだ。やりたいこと、見たいもの、食べたいもの、行きたい場所……あればあるほど、彼女の涙はその数を数えるように溢れ出てくる。


 いいよ、泣けばいい。これで辛さが無くなるわけではないが、俺が精一杯受け止めてやる。お前の涙を、悲しみを、苦しみを、何もかも全部受け止めてやる。


「なのに……なんで……なんでこんなことになったの……なんで私が選ばれたの……嫌だよ……こんなの嫌だよ……嫌だ嫌だ嫌だ……嫌だよ……まだ死にたくないよ……」


 自分の運命を嘆く千保。彼女が生け贄の契りに選ばれたのは、言っては悪いが全くの偶然だ。度々の不幸が重なり、巡りついてしまった最悪の偶然だ。


「島のみんなを誰も死なせたくない……でも……私が生きることを望んだら……みんな死ぬ……私……どうすればいいの……」


 彼女が背負うにはあまりにも理不尽な現実が、容赦なく立ち塞がっていた。どうすればいいかわからず、ただ本音を涙に滲ませて泣きわめくしかなかった。

 神様も相当残忍な心を持ってるみたいだ。こんなに泣き虫でか弱い少女に、辛い運命を背負わせているのだから。


 そして、彼女は弱々しく口にした。




「キヨ君……助けて……」


 ようやく千保が俺に助けを求めた。彼女にまとわりつく運命は、彼女の涙を止めることを許さない。


 今の俺には、彼女の涙を止めてやる義務がある。


「……あぁ」


 弱さにうちひしがれる千保を、俺はしっかりと抱き締めた。俺の中で答えは既に決まっていた。彼女の命を救わないという選択肢は、最初から存在しなかった。千保は自分の命の恩人であり、世界で一番大切な存在だ。


 そして、恋心を抱いている女性でもある。俺は決心したのだ。残りの人生を、千保を守ることに捧げようと。どれだけ多くの犠牲を抱えようとも、彼女が涙を流す未来を選ぶはずがない。


「今、助けてやるよ」


 俺と千保は神様に喧嘩を売るつもりで、どこまでも運命に抗う道を突っ走った。


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