第27話「優しい人」



「清史君、僕は負けないよ!」

「俺だって負けねぇ!」


 両者共にせめぎ合い、ひたすらゴール目掛けてがむしゃらに走る。


「この勝負に勝って、僕は千保ちゃんと……!」




 グキッ


「あがぁ!?」


 バタッ

 拓馬は突然バランスを崩して倒れた。足の付け根から鈍い音が聞こえた。重心のかけ方が悪かったのか、こんな大事な時に捻挫してしまったのだ。


「あいつ肝心な時に!」

「後ろ見て走んなよ!」


 先にゴールへと向かっていくチームメイトが、拓馬のドジに頭を抱える。どうやら拓馬は清史の後方を走る千保に目線を送っており、足元を滑らせて関節が曲がってしまったようだ。


“よし!”


 清史はチャンスと思い、走り出した。拓馬は捻挫の痛みで悶絶している。逆転できる瞬間は今しかない。


「うぉ~!」


 清史は一直線に駆け抜け、ゴールゲートを通過した。後は千保がゴールすれば清史のチームの勝利だ。


「よっしゃ! 千保!」


 清史は勝機を確信し、千保の方へ顔を向けた。




「……千保?」


 バタッ

 ゴールの手前で、突然千保が倒れた。千保はハァハァと息を切らしていた。能力を酷使し過ぎたせいで、体力が底を尽きてしまったみたいだ。今の千保の体には、立ち上がる力も残されていなかった。


「千保……千保!」


 清史は慌てて千保に駆け寄った。千保は今にも気を失ってしまいそうなほどに弱々しく、清史に微笑みかけた。


「えへへ……もう……走れないや……ごめん……」

「千保……」


 千保の泣き出しそうな笑顔を見た途端、清史は心臓を銃で撃たれたような激しい罪悪感を胸に抱いた。


「……」


 拓馬も痛みに悶えつつ、密かに寄り添い合う二人のことを見ていた。




「千保、少し痛むが我慢してくれ」


 清史は千保を抱き上げ、背中に乗せた。千保は清史の首に腕を回し、彼の背中に身を預けた。


「頼りっぱなしですまなかった。後は俺に任せろ。行くぞ!」


 千保を背負って歩み出す清史。彼の方もかなりの体力を消費してしまっている。疲労感も相当なものだ。しかし、傷だらけの千保をこれ以上自力で歩かせるほど、勝利に囚われてはいなかった。


「千保、一緒にゴールしよう」

「うん……」


 千保は必死で清史にしがみついた。彼女ができる最後の頑張りだ。会場は緊迫した空気に包まれた。




「二人共、頑張れ!」


 その時、律樹が大きな声で叫んだ。クールな落ち着きぶりを見せていた律樹が、ここぞとばかりに声を張っていた。


「清史! 千保! 最後まで諦めるな!」

「そうよ! 諦めないで!」

「二人ならできる!」


 光と詩音も感化され、二人を応援した。後方の森の出口から、先を越されまいと他のチーム達が一気にゴールに駆けてくる。


「おいヤバいぞ! 俺達も行こう!」


 勝機が揺らいだ拓馬のチームメイトが、清史に倣ってゴールを飛び出した。足を押さえて動けない拓馬に駆け寄ろうとする。




「来るな!」

「はぁ?」


 拓馬は大声で手助けを拒んだ。


「拓馬、何言って……」

「いいから君達は来るな!」


 なぜか拓馬はチームメイトの厚意を振り払い、地面に伏せたままでいた。その間にも、清史は千保を背負いながら、ゴールへと向かっていく。


「俺は……決めたんだ……」


 清史が呟いた。この勝負は絶対に負けるわけにはいかない。絶対に譲れないものを賭けているからだ。


 そう……




“清史君、僕と賭けをしないかい?”


“賭け?”


“あぁ、もし僕達が勝ったら……”


“勝ったら?”




“千保ちゃんを僕の彼女にくれないかい?”


“はぁ!?”


“君達が勝ったら、千保ちゃんは君のものだ。さぁどうする?”


“いや、それは……”


“おや、怖じ気づいたのかな? 男のくせに”




「絶対に……」




“どうなんだ? 清史君”




“……わかった。その賭けに乗ってやる”




「絶対に!!!」


 拓馬はゴールゲートを通過しようとする清史と千保の背中を眺めた。


「清史君、僕の負けだ」






 清史はゴールゲートを通過した。


 パンッ!


「ゴォォォォォル! 優勝はチーム『トラベルハウス』に決定!」


 会場全体から非常に大きな歓声が沸き上がる。誰もが予想だにしなかった大会初心者のチームが優勝をもぎ取ったからだ。地図へ細工、問題のすり替え、多くの不条理な罠に阻まれたものの、清史達は全て覆してゴールを踏み締めた。


「やった……」

「やったね……」


 観客の祝福の声に囲まれ、清史はぐったりとその場に座り込んだ。千保も喜びで胸がいっぱいになり、ゴールした後も清史の背中に支えられ続けた。


「フフフ……負けちゃったね」


 拓馬はチームメイトの腕に支えられながら、満更でもない笑みで祝福を受ける清史達を眺めた。


「お前が『来るな』とか言わなければ、あいつらに勝てたかもしれないのによ~」

「勝負には勝てても、賭けには勝てなかったさ」

「え?」


 拓馬のチームメイトは、捻挫で倒れた彼を助けに向かった。しかし、拓馬が助けを拒んだことにより、清史達が先にゴールしてしまった。


 そう、拓馬は助けを借りることができなかった。千保を背負って一生懸命歩みを進める清史を見て。彼の千保を大切に思う心情は、自分より確実に強く固いものだと確信したのだ。


「全く羨ましいもんだ。千保ちゃんの一番の支えになれるのは、彼しかいないなんてさ」


 清史の勇姿を見て、彼の心の底に眠る優しさを思い知らされてしまった。拓馬は自分から望んで賭けから手を引いたのだった。


 拓馬はチームメイトに頼み、自分を清史の側に連れていくよう頼んだ。


「清史君」

「ん?」


 拓馬は清史に手を差し伸べた。


「すごいね、君は」

「ありがとう。俺も楽しかったぜ。お前と勝負できて」


 拓馬に手を引かれ、清史は立ち上がった。拓馬は清史の手を強く握り締める。そして、彼の耳元でそっと呟く。


「千保ちゃんのこと、幸せにしてあげるんだよ♪」

「お、おう……///」


 清史は律樹達に頭を撫でられて満面の笑みを浮かべる千保を眺めた。のほほんとした彼女の笑顔を見て、疲れてもなお鼓動を加速させ続ける心臓があった。






 その後、授賞式で堂々とトロフィー……もとい宝玉を受け取り、多大な拍手を貰った清史達。疲労と達成感を胸に抱え、帰りのフェリーに乗った。


「キヨ君、結局木上さんを許したんだって?」

「な、なんでそれを……」


 離れていくガンセツ島を眺めながら、千保が清史に尋ねた。清史は木上の仕組んだ罠を黙っておくことにしたらしい。


「お兄ちゃんから聞いた」

「そうか。あんなに家族のためだなんて言って必死になってる顔見たら、サツに突き出すなんてことできねぇよ。俺にはな」

「家族と揉めて家出したキヨ君が言うんだね……」

「うっ……」


 痛いところを突かれた清史。家族のことを憎んでいた清史でも、いつの間にか家族のためを思って生きる人の心情に共感できるようになっていた。千保と共に過ごした影響だろうか。


「……ほんと、キヨ君は優しいね」

「はぁ?」


 優しいと賞されることに納得できず、首をかしげる清史。自分は「優しい」という言葉とは、限りなくかけ離れた存在だと思っていた。よって、人から何度も誉められたり感謝されても、素直に受け止め切れなかった。


「だってそうだよ。ミズシロ島の未久留ちゃんの件といい、今回の木上さんの件といい……」

「お、おい!///」


 スッ

 千保は手を伸ばし、清史の頬の浅い傷に触れる。絆創膏も何も貼っていないため、赤く染まった頬が丸見えだ。


「私を助けてくれたことといい……本当に優しいんだね」

「べ、別に、俺は何も大したことしてねぇよ……///」


 清史はそっぽを向いた。今更背けても照れ顔は隠しきれないが、羞恥心を逃がそうとする焦りが首を回す。千保はいつも真っ正面から言葉を放つため、心臓が持たない。


「ううん、キヨ君の優しさのおかげで、私は助けられたよ」


 しかし、せめて感謝の言葉くらいは堂々と受け取ろうと、清史は気合いで千保と目を合わせた。


「ありがとね、キヨ君!」




「あぁ……///」


 清史は千保に見惚れた。まるで磁力で引き付けられたように、千保の笑顔を見つめていたくて、呆然と目を向けたままになってしまった。


“そうか……”


 清史は何となく理解した。どうして千保のそばにいると、こんなにも胸が高鳴り、心が温かい気持ちに満たされるのだろうか。どうしてもっと一緒にいて、そばにいて、隣にいてほしいと願うのだろうか。


 この気持ちを理解するのに、相当な時間がかかった。だが、今ようやく理解した。




“俺、千保のことが好きなんだ”


 清史は千保に恋をしていた。恋という気持ちの存在は知っていた。ゲームや漫画、小説で飽きるほど見てきた。


 しかし、自分が経験することはないだろうと思っていた。素行・成績共に不良、目付きが悪く、協調性や社交性に欠けたどうしようもない凡人で、ましてや家出少年だ。自分から人を好きになるという事象の可能性から逃げてきたようなものなのに。


「キヨ君、顔真っ赤。照れてるの? 可愛い~♪」

「うるせぇ!///」


 いつものよに大声で吐き捨てるが、もう千保がからかってくることも、鬱陶しいいとか腹立たしいと思うこともなかった。ただ彼女が自分のことを小馬鹿にして笑う仕草ですら、いとおしくてたまらなくなる。




「そういえばキヨ君、ゴールする時に言ってたよね。『俺は決めたんだ』って」

「え、お、俺そんなこと、い、言ってたか?」


 あからさまに動揺する清史。拓馬と話していた『どちらが千保を自分のものにするか』というくだらない賭けのことだ。


 今振り返れば、拓馬との賭けに乗ったのも、冗談でも千保を他の男に取られたくないと思っていたのだろう。千保を自分のものにして、誰にも渡さない。自分が千保を守る。そう決意したのだ。


「言ってたよ。ねぇ、決めたって何を? 何を決めたの?」

「お前には関係ねぇよ」

「え~、教えてよ~」

「うるせぇ! お前も疲れてんだろ! さっさと部屋戻って休め!」




 そして、子どものようにじゃれ合う二人を光と詩音は微笑ましく眺めていた。


「いいわねぇ~、これぞ青春って感じ!」

「妹に先越された……」

「でもなんで気持ちを伝えないのよ清史君! 千保ちゃんも千保ちゃんで鈍感過ぎ!」

「私も頑張らなきゃ……」


 大人組も恋路の行方を眺め、好き勝手にはしゃいでいた。ふと光は思い出したように、隣にいた律樹に顔を向けた。


 律樹も満更でもない笑みを浮かべ、清史と千保を見つめていた。


「リッキー、千保ちゃんと清史君いい感じになってるよ」

「え、あ……あぁ! 何やってんだ清史の野郎! 千保に馴れ馴れしくしやがって!」


 ハッと我に返り、二人目掛けて駆けていく律樹。間に割って入り、無理やり引き剥がす。余計なことをしてしまったと、光は頭を抱えて後悔した。




 しかし、同時に確信した。


「あんたも素直じゃないわね」


 二人を見つめていた時に浮かべた彼の微笑みを見て、光は気付いた。律樹は既に清史のことを認めていた。家族と同等に大切な仲間であると。

 清史の隣では、千保の笑顔はいつもより明るく花咲いている。そのことに気付き、清史の人間性を認めているのだ。


 わざとらしく千保を清史から遠ざけようとする律樹を見て、光も胸がスッキリとした。既に清史は立派なトラベルハウスの仲間だ。いや、もはや家族であると言っていいかもしれない。


「千保ちゃんもよかったね……ちょっと不器用で頼りないかもけど、それでも優しい王子様に出会えて」


 フェリーは微笑ましい家族の団らんと、不器用な少年の揺れ動く恋心を乗せ、前方に見える小島へと進んでいった。祝福にも聞こえる高らかな汽笛を鳴らしながら。


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