第26話「島の狼」
俺は千保の服に付いた砂や泥を払い落とした。相手がどんな強敵であろうと、最後まで戦うんだ。そう、千保を守るために。
『……素晴らしい絆だ』
どこからか声がした。
シュッ
そいつは目に求まらぬ速さで、なおかつ静かに降り立った。
「な、何だ!?」
「狼?」
俺達の前に現れたのは、巨大な狼だった。全長2メートルほどの大型で、体が所々透けた薄緑色の狼だ。なんで大会の会場であるこの森に、野性動物が住み着いているのだろうか。
いや、違う。こいつは野性動物じゃない。俺達を襲おうとせず、心を見透かそうとするかのような鋭い視線で見つめる様子から、ただの狼ではないことを察知した。
「お前は……」
メガネを揺らしてじっと眺める。幻なんかじゃない。俺達の目の前にいるのは正真正銘の狼だ。
「もしかして、シマガミ……?」
千保が恐る恐る尋ねた。シマガミって……まさか!?
『いかにも、私はガンセツ島のシマガミだ』
やはりそうか。人間の言葉を口にする狼などいるはずがない。こいつはライフ諸島のそれぞれの島に奉られていると言われているシマガミのうちの一体。この島のシマガミは狼の姿をしているようだ。
『先程から見せてもらった。お前達の動向をな』
シマガミは淡々と話し始める。俺達の姿を影から見ていたらしい。流石神様だ。気配を消すことも自由自在なんだな。
『宝玉を欲しているようだな。そしてその腹の奥には、並々ならぬ理由がありそうだ』
シマガミは千保の泥だらけの頬を見つめる。まるで俺達が宝玉を全て集め、世界最高の幸せを求めているのを見透かしているようだ。
いや、実際に見透かしているのかもしれない。シマガミな神様であり、人間の人智を越えた存在なのだから。
『小僧、お前の勝負に対する信念、しかと受け止めたぞ。気に入った。私が力を貸そうじゃないか』
え? 力を貸してくれるだと?
「いいのか?」
『そう言っているが?』
意外だった。前回のミズシロ島でも、恋の姿をしたシマガミと出会った。ナキウオの寿命を奪ってまで生き長らえていることに、図々しさというか倫理性の欠如が見られた。
恐らくこの狼も、何者かの寿命を奪って生きているのだろう。
『シマガミは島民からは崇め奉られているが、事情を知る数少ない人間からは恨まれている。それは仕方のないことだ。だからというわけではないが、人間に対する細やかな恩恵として、宝玉の入手に一役買わせてほしい』
「シマガミ……」
俺は気分が高揚とした。なぜかシマガミを前にすると、体に溜まっていた披露が、吸いとられていくように消えていくのだ。神様を相手にしているからなのか、周りの空気がいつもより清涼に感じられる。
ミズシロ島のシマガミと対峙した時もそうだったな。俺達人間も命を奪って生きるということを実感させてくれた。恨むべきなのか敬うべきなのか、よくわからない。
「あ、ありがとう……」
それでも、俺は頭を下げた。意識せずとも自然と頭が下がってしまうのが不思議だ。ここはシマガミの好意にあやかるとしよう。神様直々に手助けしてくれるなんて、こんな有難い話はない。
少し姑息ではあるかもしれないが、俺には絶対に優勝を諦められない理由がある。
「行こう、千保」
「うん!」
俺は千保の手を引き、シマガミに歩み寄った。
* * * * * * *
「はぁ……それにしても、なんであの人は彼らの優勝を阻止しようとしてるんだ……」
木上は森の隅で身を隠していた。大会前日、多額の報酬を渡してきた男に指示され、この場所にやって来たのだ。清史達のチームが不利になるように動くため、森の中に身を潜めた。
「まぁいい。このまま彼らより先に誰かがゴールするまで耐えれば……」
ザッ
「ぬぉっ!?」
突然狼が背後の茂みから飛び出してきた。ガンセツ島のシマガミだ。背中には清史と千保が跨がっている。
「お、狼……?」
今まで見たことのない巨大な狼に驚き、腰を抜かす木上。
「何か企んでそうな顔だな」
「ひぃっ!?」
清史は木上を睨み付けながら、彼に歩み寄る。木上は動揺を隠せないでいた。
「さっきの独り言聞きました。あなたですよね? 私達のチェックポイントの問題をすり替えたり、地図のチェックポイントの場所を隠したりしてたのは」
千保も彼に歩み寄った。今回の大会での数々の違和感は、全て木上が仕組んだ罠であると、清史達は確信していた。
「そ、それは……」
誤魔化す言葉を探す木上に、清史はスマフォを見せ付けた。そして音声を流す。
『ここにいれば見つからないか。流石に彼らもここまで追ってくることは……』
「あっ……」
スマフォには、木上が森の中で呟いていた独り言が録音されていた。彼の姿を見つけた清史が、影から盗聴したのだ。やはり木上は清史達が旗を入手するのを防ぐため、わざと清史達から距離を取っていた。
「ううっ……」
その場に崩れ落ちる木上。本人が直接問い詰め、弱味を握られてしまったからには、もう言い逃れはできない。
「……ある人に頼まれたんだ。君達が優勝するのを阻止してくれって。大金を渡されてな」
木上は自供した。清史達のチームが出くわした不公平な罠は、木上が仕掛けたものらしい。大会関係者という立場を利用して。
「私の娘が海外留学に行きたいと言っていたから、その資金を得るために丁度いいと思って……」
木上は渋々ポケットから旗を取り出した。ゴールするために必要なものだ。一応清史達が手に入れた「きのうえ」というヒントは、木上が旗を持っていることを示しているもので間違いなかった。
「渡していいのか? 俺達の優勝を阻止するんだろ?」
「計画が本人達にバレたら、大人しく旗を渡すようにも言われてるんだ」
関係者として不正を犯していたことは解せないが、同時に罪悪感を抱きながら罪を自白したことに潔さを感じた。手を染めた理由も、誰かの利益のためだと知って、清史はこれ以上責めることができなかった。
それに、木上は頼まれてやったと強調している。彼は立場を利用されたのだ。彼の背後で
「そうか、聞きたいことは山ほどあるが、時間がない。話は後にして、今はゴールを目指そう」
旗を受け取った清史は、千保と共に再びシマガミに跨がった。
「後でちゃんと来いよ、木上さん」
「あぁ……」
バギッ
清史と千保を乗せたシマガミは、乱雑に生えた木々を華麗にかわし、森を駆け抜ける。
「これなら間に合いそうだね!」
「お、おい! 前!」
清史の眼中に巨大な岩が現れた。シマガミは少しの動揺も見せず、岩へと頭を構える。
ザシュッ
「え?」
まさに一瞬と呼べるわずかな時間だった。岩は
「岩を切り裂いた……」
「すげぇ……」
『
今見せた早業のように、島名の由来を説明するのもあっという間だ。粉々に切断された岩を見送り、一行は会場へと急いだ。
「さぁ、未だにゴールへ来る者は現れず。果たして一番最初にたどり着くのはどのチームだぁ~!?」
木上とは別の実況者が、マイクで実況を行っている。観客はそれを気にも留めず、ただ誰が最初に森から出てくるかに夢中になっている。
「清史君と千保ちゃん、大丈夫かしら……」
「あぁ……」
光、律樹、詩音の三人は、ゴールゲート手前で待機していた。二人が戻ってきたら、いつでもゴールできるように。チームのメンバー全員がゴールゲートを通らないと、ゴールしたと認められないからだ。
「しめた! まだ誰もゴールしてないぞ」
森の出口付近からゴールの様子を伺う清史。千保と共に森の出口付近まで、シマガミに乗せてもらった。おかげで木上の捜索も速やかに終わり、すぐに戻ってくることができた。
『ここから先はお前達だけで行くんだ。私は人にあまり姿を見せるわけにはいかない』
「わかりました。ありがとうございます」
『頑張れよ』
シマガミは森の奥深くへと消えていった。二人は頭を下げ、木の影からゴールを眺めた。
「さてと、誰かがゴールしないうちに……あっ!」
清史は拓馬の背中を見つけた。彼のチームは今まさにゴール目掛けて駆けているところだ。
「負けるかぁ~!」
清史と千保は最後の力を振り絞り、森を飛び出した。
「お~っと、両チーム一目散にゴールへと突っ込んでいきます! 果たして先にゴールゲートを通過するのはどちらだ~!?」
観客の盛り上がりは最高潮。誰もが清史と拓馬の火花を散らしたデッドヒートの行方に、目が釘付けになった。
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