第22話「生きる」



 千保の警護を詩音さんに任せ、俺は全く人の姿が見えない海沿いの道を歩いた。拓馬みたいな怪しい奴らがまだいるかもしれないから、警護は俺が担当したかった。せっかく千保と二人きりになれるチャンスが……。


 あれ? なんで俺は千保と一緒にいたがってるんだ?




 フゥ


「ん?」


 何だ? 向こう側から何か飛んできたぞ。


「帽子?」


 帽子だ。つばの広い女優帽が、風に乗ってゆらゆらと飛んできた。誰かのものかもしれない。とりあえず手を伸ばし、掴んでおいた。




「あ、すみません!」


 今度は前方から若い女性が、慌てながら走ってきた。彼女のものか。


「それ、私の……」


 メガネをかけた三つ編みの女性だ。俺は帽子を彼女に渡す。彼女は帽子を被りながらお礼を述べる。


「帽子、取ってくれてありがとね」

「あ……い、いえ……///」


 俺は彼女の美貌に心を奪われかけた。やべっ、何だこの女の人……めっちゃ美人だ。大人の美を体現したようなスラッとした体型と、太陽の光を受けてきらびやと光る青髪の三つ編み、そしてしっとりとした綺麗な白肌。


 千保や詩音さんとはまた違った美しさだ。まだ若いが、俺達よりは歳上だな。




「こんなところで何してたんすか?」


 少々進んだ先に堤防があった。彼女の髪色にも負けないくらいの美しく青い海原が姿を現す。海の近くになると流石に風が強い。こりゃ帽子も飛ばされるわけだ。


「ちょっとお絵描きをね」


 そこを下りて広がる原っぱに、一台のイーゼルと立て掛けられたキャンバスがあった。彼女はここで絵を描いていたらしい。


「ちょっと見せてもらっていいですか?」

「え……えぇ」

「うぉっ、めっちゃ上手いじゃないですか!」


 つい彼女の描いた絵に見入ってしまった。カップルと思われる男女が、手を繋ぎながら砂浜を歩いている。まるで写真で撮ったような人間の体つきがリアルだった。風に靡く髪や衣装も写実的で、二人の表情もとてもいきいきとしていた。


「あ、ありがとう……///」

「すごいっすね~」


 照れくさそうにしてる彼女から、大人ながらも子供らしさが垣間見えて、キュンとくる。


「ん?」


 キャンバスの隅に小さく名前が書いてある。彼女の名前だろうか。


「中川……友美……さん」

「え? あ、はい、その……中川友美なかがわ ともみと言います」

「あ、えっと……長谷川清史っす」


 女性は律儀に頭を下げた。勝手に読み上げてしまったことを申し訳なく思い、とりあえず俺の名前も伝えた。失礼だったかもしれない。


 俺は彼女に尋ねた。


「その……中川さんは絵を描くのが趣味なんですか?」

「えぇ。まぁ、最近始めたばかりなんだけどね。今日は大学時代の友達と、ライフ諸島の全部の島を巡る旅行に来てるの。一人の時間ができたから、絵でも描いてみようかなって」


 旅行に来ているということは、中川さんは島民ではなく観光客のようだ。俺達と違って、目的は観光か。いや、俺達も宝玉探しのついでに観光を楽しんでる節はあるが。


「それにしても、ほんとによく描けてますね」


 俺は再び絵を覗き込んだ。そういえば、絵に描かれたカップルの女、中川さんと容姿がそっくりだ。同じ青髪で三つ編みで、メガネかけてるし。まさか自画像か?


「わかった? 数年前の私を描いてみたんだ」

「へぇ~、それじゃあ隣にいるのは彼氏さんとか?」

「う、うん。まぁ……///」


 頬を赤く染める中川さん。先程から大人らしさが感じられるだけでなく、子どものように照れる様まで見れて、自分までドキドキしてしまう。不思議と彼女に気を許し、会話を弾ませることができる。


「彼氏さんとはどうなんすか?」


 彼女の隣には、同じく青髪の優しそうな顔立ちのいい好青年が描かれている。絵の中の二人がとても幸せそうで、気になって尋ねてみた。


「……」


 だが、中川さんの顔から笑顔が消えた。




「彼はもういないの。4年前に交通事故で亡くなってね」

「あ、すみません……」

「大丈夫よ」


 俺はすぐさま頭を下げた。改めて絵を眺めた。中川さんとその彼氏さんは、互いに優しく微笑みあっている。共に過ごす幸せを分かち合うように。

 わざわざ彼と一緒にいる自分を描いたのは、彼と死別した悲しみを埋め合わせるためだろうか。勝手ながら想像した。


「なるべく考えないようにしてるんだけど、どうしても彼の温もりを求めてしまうの。こうして絵を描いたりしてね。彼と過ごした時間はとてもかけがえのないものだった。私は今も彼を愛しているわ」


 そこまで何かに夢中になり、愛を注げるなんてすごい。千保もそうだったな。目の前にあるもの全てに目を輝かせ、現実の理不尽さや息苦しさに悩みながらも、一生懸命生きている。


 誰もかれもすごい。自殺願望を持っていた俺には、到底真似できない。


「そうですか……」


 中川さんは再び笑顔に戻った。俺にいつまでも申し訳なさを抱かせないよう、笑顔を向けてきた。


「だから、君も一生懸命生きてね。命は一つしかない大切なものなんだから。いつそれを落としてしまう危機が訪れるかもわからない。だから、一瞬一瞬を大事に生きて」

「……はい、ありがとうございます」


 俺は中川さんに彼女を下げ、町の方へと歩いていった。彼女の笑顔の裏に隠された悲しみを見て、命の重さを少し理解したような気がした。




「命は大切なもの……か……」


 俺は歩きながら彼女の言葉を呟いた。今の俺に一番に言い聞かせるべき言葉だ。




   * * * * * * *




 千保と詩音は公民館のような建物に来ていた。


「お姉ちゃん、ここは?」

「ガンセツウルフ記念館よ」

「ガンセツウルフ?」


 詩音はパンフレットを手に説明する。『ガンセツウルフ』とは、ガンセツ島で長年行われているオリエンテーリング大会の名称だ。ここは、そのオリエンテーリング大会に関する資料が展示されている記念館だという。


「この島、全然人いないもんね」

「うん、こういう施設とかなら人いるかも」


 門を潜る二人。しかし、記念館の職員に訪ねる前に、二人は展示されている資料を鑑賞することにした。




「わぁ~」


 第一回から続く大会の様子の写真や、大会に使用された地図や方位磁石、毎年優勝者に贈られるトロフィーの模型など。大会の歴史を彩る物品が並べられていた。館内もちらほらと訪れた観光客で賑わっていた。


「おぉ~、すごいね」


 千保はその中でもトロフィーに惹かれていた。精巧に造られたレプリカとはいえ、その輝きは見る者の足を止めるには十分な出来映えだった。


「毎年トロフィーの形が微妙に違うね」


 並べられているトロフィーは、毎年杯の持ち手の曲がり具合だったり、全体の柄や大きさだったり、装飾品だったり、様々な観点からデザインの差異が伺えた。


「毎年違うデザインを考えてるのね」


 二人は更にトロフィーの造形に見惚れた。トロフィーからぶら下げられた優勝チームの名前が記されたリボンが、大会を勝ち抜いた者の勇姿をたたえている。




「……ん?」


 千保はトロフィーを眺め、あることに気が付いた。


「どうしたの?」

「お姉ちゃん、ちょっと文書貸して」


 詩音は千保に文書を手渡す。千保は文書ををめくり、あるページで止める。ライフ諸島の島の一つ一つに眠る宝玉の絵が描かれてあるページだ。宝玉の絵と、目の前のトロフィーを見比べる。


「千保?」

「ねぇお姉ちゃん、トロフィーのデザインは毎年違うけど、一つだけ必ず同じところがあるよね」

「え?」


 千保に聞かれ、改めてトロフィーを眺める詩音。


「そういえば、この緑色の装飾品、必ずどのトロフィーにも付いてる……」


 言われて初めて気が付いた。トロフィーには動物の牙のような形をした薄い緑色の石が付けられていた。大きさに違いはあるものの、どのトロフィーにも共通して付けられた同じ形の装飾品だ。


「なるほど、狼の牙ね」

「そしてほら、この絵見てよ」


 今度は文書に描かれてある宝玉の絵に目を向けた。絵を見た瞬間、電流が走ったような衝撃が詩音の頭に落ちた。


「同じ!」

「そう、この装飾品が宝玉なんだよ! 見つけた! 宝玉見つけたよ!」


 思いがけぬ発見に、千保はぴょんぴょんと跳ねて喜んだ。トロフィーに付けられた装飾品は、文書に描かれた宝玉の姿と、丸っきり同じだった。色も形もそっくりである。

 つまり、大会の優勝者に贈られるトロフィーには、ガンセツ島の宝玉が使われているということだ。


 もちろん目の前に展示されているのはレプリカであるため、装飾品に使われている宝玉も偽物だ。しかし、大会ではトロフィーと共に本物を手に入れることができる。




「だったら……」

「うん、だったら?」


 千保は期待の目で詩音を見つめた。


「私、運動苦手なんだけど……」

「お姉ちゃん、頑張ろ」


 弱音を吐く情けない姉の背中を、千保は優しく撫でた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る