第5章「キノエ島」

第34話「逃避」



「おい加藤、この間はよくもやってくれたな」

「あ?」


 学ランを着た律樹の前に、半袖のカラーシャツを纏った強面の同級生が近付いてきた。余程の恨みがあるのか、眉間に深くシワを寄せて睨み付けてくる。


「万引きしようとしてたのを注意しただけだろ」

「お前が余計なことしなきゃバレなかったんだよ!」


 脅しに動じない律樹。彼らは日頃から軽犯罪を繰り返す不良のようだ。過去に律樹に指摘されたことを根に持っているらしい。


「この世にバレない犯罪なんかあるわけねぇだろ」

「うるせぇ! 今度こそその澄ました顔ぶっ潰してやる!」

「なんだ? やんのか?」


 律樹も負けじと不良を睨み付ける。不良が律樹の胸ぐらを掴みかかろうとしたその時……


「先生、あそこです」

「ヤベッ、センコーが来る!」


 女子生徒の声が聞こえた。誰かが先生を呼んだらしい。不良達はそそくさと逃げていく。


「光……」


 律樹の同級生の光だ。セーラー服をふわりと揺らしながら走ってくる。やって来たのは彼女だけだった。先生の姿はどこにも見当たらない。口から出任せのようだ。


「もうリッキーったら! すぐそうやって喧嘩腰になるんだから!」

「ほっとけ」


 光が言うには、律樹は何度も不良達の素行を注意し、問題事に巻き込まれるという。殴り合いの喧嘩にまで発展したこともある。毎度律樹が勝利してはいるが、その度に光が駆け寄り、傷の手当てをしている。


「どっか怪我してない? ちょっと見せて」


 光は律樹の頬に触れる。律樹はその手を無理やり引き剥がす。女子に距離を迫られ、思わず頬が赤く染まる。


「さ、触んなって!///」

「ちょっと、ほんとに大丈夫なの?」

「怪我なんかしてねぇよ。ていうか、なんでいつも俺に構ってくるんだ。光には関係ねぇだろ」

「だって心配なんだもん」


 真剣な眼差しで訴えかける光。彼女の過保護な態度にうんざりしてはいるが、自分を気にかけてくれる数少ない人物として、同時に嬉しさも感じている。

 もちろん感謝を伝えるのは恥ずかしいため、乱暴に突き返してしまう。言わば照れ隠しだ。


「喧嘩ばっかしてると、バイト辞めさせられるかもしれないよ」

「わかってんよ」

「絶対わかってないでしょ!」


 加藤家は貧乏であるため、共働きの両親のために少しでも家計の足しになろうと、律樹はアルバイトをしている。しかし、不良達との喧嘩が明るみに出れば、辞めさせられる可能性もゼロではない。


「そんなことより、あんたに言いたいことあるんだった」

「何だよ」


 光はスカートのポケットから一枚のチラシを取り出す。


「ジャ~ン。一緒にバンドやらない?」

「は? バンドだと?」


 そこにはバンドメンバーを募集する旨の文章が記されている。律樹と光はかつて軽音楽部に所属していた。部員は二人だけだったため、まともな活動ができず、すぐに生徒会の介入で廃部させられた。


「ほら、楽器はなんでもありだって。私ベースで、リッキーはドラムでしょ? 一緒に行ってみない?」

「俺達素人だぞ」

「いいじゃん! 頑張って練習しよう!」


 律樹は文章を眺めつつ、自分達がバンドマンとして活躍する未来を想像した。


“うまくいけば、路上ミュージシャンとして少しくらいは稼げそうだな……”


「ねぇ、やろうよ」

「……仕方ねぇな」






『やめろ……』


「え?」

「今、誰かの声が……」








「やめろ!!!!」


 バッ

 律樹は勢いよく布団から起き上がった。バンド活動に誘われる高校生の頃の自分を見て、必死に叫んだ。過去の自分を止めようと手を伸ばしたところで、夢から覚めた。


「ハァ……ハァ……ハァ……」


 息苦しい。心臓が外に飛び出したがっているように、鼓動を早めて止まらない。そして同時に体の震えも収まらない。この体は先程の夢を悪夢だと認識していたようだ。


「なんて夢だ……」


 しかし、どれだけ考えてみても確かに悪夢だ。バンドの道へ進んだことにより、大切なものを失ったのだから。律樹は夢のことを無理やり記憶の片隅へ押し込み、逃げるように仕事に出た。


 彼は『夢』という言葉が、怖くて怖くてたまらなかった。








 一方清史はベッドにうずくまり、頭を抱えて発狂していた。キオス島に帰ってきてから頻繁にこの症状が発症している。


“あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! あの時が一番のチャンスだったのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!”


 案の定千保への告白が失敗した件だ。せっかく律樹達が援助してくれたというのに、タイミングの悪いハプニングが発生し、千保に思いが伝わらなかった。いや、ハプニングというより自分の不注意か。


“何やってんだ俺! 馬鹿馬鹿馬鹿!!!”


 花火大会であるため、花火の音と自分の声が重なって聞こえにくくなるという非常事態くらい、安易に想定できたはずだ。しかし、自身の不器用さが裏目に出てしまい、結局告白は失敗に終わった。


「はぁ……」


 次の計画を練る気には、どうしてもなれなかった。どう考えてもあの花火大会が一番のベストの瞬間だ。これ以上のロマンチックな舞台設定など、清史の残念過ぎる知能指数では計画できなかった。


「うるせぇよ作者」


 先が真っ暗になった清史。しかし、千保が好きだという思いは変わらない。次の明確な手段は思い付かないが、彼女への告白を諦めていないことは事実だ。


 清史はベッドから起き上がり、必ず告白を成し遂げると決意した。


「やるしかねぇよな!」

「何を?」

「へ? うわっ!?」


 千保がすぐ横にいた。いつの間に部屋に入ってきたのだろうか。


「何をやるしかないの? えっちなこと?」

「な、何でもねぇ!」

「もうそろそろ聞き飽きたよ。君の『何でもない』は」


 千保は持っていた掃除機を床に置き、プラグをコンセントに挿した。掃除の邪魔にならないようにと、清史は部屋を出た。そのまま一階に下りる。




「あ、清史君」


 一階にはギターケースを抱えた光と、台所で掃除をする詩音がいた。


「光さん、撮影してたんすか?」

「えぇ。この間からね、思い切って視聴者さん達に宝玉のこと聞いてるの。何か有益な情報があれば教えてねって」

「おぉ~」


 集める宝玉は残り一つとなり、旅も佳境に入った。熱を上げ、YouTubeチャンネルの視聴者を味方につけた光。ギターケースを背負い、玄関へ向かう。


「あ、今から自宅に機材取ってくるから、お留守番よろしくね~」


 光はドアノブに手をかける。ここは加藤家だが、光は一応別に自宅(池内家)がある。私物などは自宅に置いてあるらしい。


「わかりました」

「掃除手伝ってあげてね。私も帰ってきたら手伝うから」

「はい」


 ガチャッ

 光が出ていった。




「これで台所終わりっと。次は和室かな」


 雑巾を持って和室へ向かう詩音。清史はその背中を付いていく。二人で一階の掃除を開始し、旅で空けていた間に溜まった家の埃が消えていく。加藤家はみるみる本来の輝きを取り戻していく。


「掃除手伝ってくれてありがとね、清史君」

「あ、はい……///」


 詩音の微笑みに、思わず頬を染められる。姉妹であるため、髪色も美貌も千保とそっくりだ。


“ダメだダメだ! 本命は千保!”


 清史は心の中で自分に言い聞かせた。


「あ、光さんったら、またカメラ置きっぱなしにして……」


 和室に着くと、撮影用として使われていたであろうビデオカメラが、三脚に固定されたまま置かれていた。光は普段からこの和室を撮影部屋として愛用しているようだ。


「撮影終わったなら片付けてほしいなぁ」

「さっき機材取りに行くって言ってましたし、まだ終わってないんじゃないんですか?」


 詩音はひとまずカメラを端に避けて、掃除を始めた。清史はたまにYouTubeに投稿する弾き語り動画を撮影している光を、襖から覗き見している。彼女が言うにはそれが本業らしい。本物のYouTuberだ。


 そういえば、清史はまだ彼女のチャンネルの動画を見たことがなかった。


「後で見てみるか」


 とにかく、今は家の掃除だ。






「ふぅ~、疲れた~」


 とりあえず目立つ汚れは一通り取り除いた。一旦掃除を休止し、女性陣は台所に集まる。詩音がお茶菓子を用意している。


「そういえば、芳堂さん町長選勝ったらしいよ」

「あ~、やっぱりね」


 クッキーを頬張りつつ、加藤姉妹は他愛もない世間話を始める。芳堂宗光が町長選挙を勝ち抜き、貴緒須町の町長の座に留まったらしい。そんな話を、清史は紅茶を啜りながらぼんやりと聞く。


 ガチャッ

 玄関のドアが開いた。光が帰ってきたようだ。


「光さんお帰りなさ~い」

「ん? 光さんどうしました?」


 詩音が尋ねる。光は真剣な眼差しで、手元にある一枚の封筒を見つめていた。テーブルの真ん中にその封筒を置く。




「これって……」


 宛先には『ドリームプロダクション様へ』と記されていた。


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