第31話「勇気を出して」
「キヨ君、競泳対決しよっか」
「え?」
千保は前方の海面に浮かぶ旗を指差す。砂浜から30メートル地点を示すものだった。
「あの旗のところまで泳いで先に着いた方が勝ち!」
「いやいやいや、能力持ちのお前に勝てるわけねぇだろ!」
彼女が能力で全身の筋肉を強化すれば、圧倒的な差をつかれて負けてしまう。
「大丈夫、能力は使わないから!」
「使わなくても負ける気しかしねぇんだが」
先程のビーチバレーの様子をしっかりと見ていた。詩音がバテバテになるまでボールを受け続けていた。千保の元からの身体能力は格別だ。
「負けた方がジュース奢りね」
「いや、だから無理だって」
「位置について~」
「おい!」
清史の制止を聞かず、千保は海に飛び込んだ。渋々所定の位置につき、前方の旗を睨み付けた。ダメ元で泳いでみるしかない。
「よ~い、ドン!」
バッ
二人は勢いよく泳ぎ始めた。清史も数週間前の体育の水泳の授業を思い出し、クロールで水中を進む。運動神経だけは並大抵にあるため、泳ぎもそれなりに上手い。千保ほどではないにしろ、身体能力は抜群だ。
“ん?”
前方に千保の脚が見える。もうあんなところまで行ってしまったのか。それに、やけに泳ぐスピードが早い。
千保は止まってこちらを振り向いた。彼女の右目が赤く輝いていた。
“ちょっ、思いっきり能力使ってんじゃねぇか!”
千保は小馬鹿にするようにペロッと舌を出し、再び泳ぎ始める。みるみるうちに千保の脚が遠ざかっていく。
“使わねぇって言ったのに! クソッ!”
焦りを感じた途端、清史の体が下へ沈んでいく。
“くっ……”
千保はあっという間に旗の前まで進んでしまった。通過するギリギリ手前で止まり、再び清史の方へ振り返る。
“キヨ君?”
遥か後方に清史の姿が見える。しかし、様子がおかしい。手足を動かすことなく、ゆっくりと海の底へと沈んでいく。
「……!」
千保は咄嗟に引き返し、清史目掛けて泳ぐ。清史は意識を失って溺れているのだと判断し、救出に向かう。まさかこんな短時間で溺れてしまうとは。
“キヨ君!”
千保は清史の体を支え、引っ張りながら旗へと向かう。砂浜に戻るより、旗へと泳いだ方が早い。旗が刺さった浮きにしがみつき、水中から顔を出し、彼の体に酸素を取り込まねばならない。
“もう少し……”
バッ
“え?”
突然清史が意識を取り戻し、千保の腕から飛び出て泳ぎ始めた。そして旗の刺さった浮きに手を伸ばす。
バシャッ
「よっしゃ! 俺の勝ち!」
バシャッ
「え?」
千保も浮きにたどり着き、海中から顔を出す。清史のガッツポーズが目に入る。
「あぁ! もしかして溺れたふり!?」
「へへへ、まんまと騙されたな」
競泳で千保に勝つことは不可能。能力を使われたら尚更だ。そこで清史は溺れて意識を失ったふりをして、千保が救出しに来るのを待った。彼女のお人好し精神を逆手にとったのだ。
案の定彼女は清史を浮きへと引っ張った。あとは浮きの少し手前に来たところで、最後の力を振り絞って泳ぐ。そして旗までゴールインというわけだ。
清史の大変卑怯で、非常に薄汚い策略である。
「んじゃ、約束な。ジュース奢り」
「はいはい……」
砂浜まで戻り、清史は千保を遣いに行かせる。渋々と千保は自動販売機へ向かう。卑劣な真似をしたにも関わらず、千保はさりげなく素直に敗北を認めた。
「本当に行ってくれるのか」
その姿勢に、底知れぬ優しさを感じた清史だった。
「えっと光さんがスイカの天然水で、お姉ちゃんが麦茶で、お兄ちゃんが炭酸水で……」
千保はスマフォに届いたリクエストを見ながら、自動販売機へ小銭を投入する。
「キヨ君はコーラっと」
ガコンッ
全員分の飲み物を購入し、抱えて自動販売機を後にする。そして自分のパラソルを探す。
「あれ? どこだっけ……」
しかし、いつの間にか海水浴客もパラソルの数も増えており、自分のパラソルの場所がわからなくなってしまった。仕方なく周辺をうろついて清史の姿を探した。きっと喉を渇かして待っているだろう。
「おやおや?」
しかし、待っていたのは清史達だけではなかった。
「お嬢ちゃん一人? こんなところで何してんのかな~?」
「よかったら俺達と一緒に遊ばない?」
海水浴場に通う客は、「泳ぎ」を目的にしている者だけではない。今千保の目の前にいるチンピラのように、「出会い」を求めている者も少なくない。
“うわぁ……出た……”
広い空と海に囲まれたビーチは、気分を開放的に変え、心の底の欲求を浮かび上がらせる。更に水着による肌の露出が高揚感を煽り、一層大胆な気持ちを呼び覚ます。
そう、海辺のハイエナ「ナンパ」である。
「お嬢ちゃんよく見ると可愛いねぇ💕」
「ナイスバディだね! モデルとかやってんの?」
「あの……えっと、私、人を待たせてて……」
千保の場合は尚更だ。魅力的な体つきと水着が、チンピラの下心を加速させる。
「え~、いいじゃん。俺達と一緒に遊ぼうよ」
「楽しいこと教えてやんよ。ほらほら」
ガシッ
千保の細い腕に掴みかかるチンピラ。抱えていたペットボトルが砂浜に落ちる。
「ちょっと、やめてください……」
「えぇ、何? 俺達の誘いを断んの?」
「そういう不親切なの良くないと思うなぁ。いいから来いって」
チンピラは強引に千保を連れていく。もちろん中年男性の腕力に敵うはずもなく、か弱い少女は引っ張られていく。
能力を駆使すれば逃げられるかもしれないが、他人を傷付けるために使うことは千保にはできない。プライドが足かせとなり、為す術なく捕らえられる。
“助けて……”
瞳に薄く涙を浮かべ、救いの手を求めた。恐怖に狩られた心の行く先は……
“キヨ君……”
「千保?」
奇跡的なタイミングで、清史が連れ去られる千保を見つけた。
「キヨ君……」
「テメェら……千保に何してんだ……」
清史は瞬時に状況を把握し、チンピラを睨み付ける。額に浮かぶひきつったシワが、清史の怒りに燃えた血を走らせる。
「あぁん? お前誰だ?」
「そいつのツレだ」
「ふーん。悪いがお嬢ちゃんは俺達がもらってくよ」
「あんな奴と遊ぶより、俺達の方が全然いいって」
チンピラは悪びれる様子もなく、千保の腕を掴んだままその場を離れようとする。心身共に汚される千保を想像し、清史は怒りを絶頂に迎える。
「千保に触るな!!!」
清史はチンピラに殴りかかった。しかし、相手は何十も歳の離れた大人だ。同年代の者同士の喧嘩しか経験していない清史も、力業で敵うはずがなかった
バシッ
「がはっ」
「弱ぇ……笑えるなこりゃ」
「ガキは引っ込んでろ」
清史は砂浜に倒れ、歯を食い縛る。たった一発肘で殴られただけで、地面に伏せられる貧弱な自分に絶望する。
“クソッ……情けねぇ……”
圧倒的な力の差の前に、清史は何もできない。千保一人守れない自分が非常に情けなく、恥ずかしい。
“これで付き合おうとか……ふざけんなよ……”
よく思ったものだ。守りきる力もないのに、恋人になろうだなんて。どの口が言えるのか。自分には千保の恋人になる資格など微塵もない。
「んじゃ、行こうぜ」
千保を連れて離れていくチンピラ。彼女はまだ怯えていて、能力を使うことも躊躇しているようだ。
「千……保……」
このままでは千保が連れ去られる。しかし、痛みが立ち上がるのを許さない。自分はどこまでも無力だ。
「なぁ、アンタら」
すると、一人の男がチンピラの肩に手を乗せた。
「あぁ? 今度は何だ?」
その男は……
「俺の妹に何してんだ……」
律樹だった。案の定悪魔の力を宿したようなどす黒い覇気を纒い、妹の腕に汚い手で触れるチンピラを睨み付けている。
「ひぃぃっ!?」
肝の据わったチンピラも、流石に律樹の形相に恐れをなして弱腰になった。決して侮ってはいけない相手だと、本能が察知した。
「クソ野郎が……妹に触るんじゃねぇよ。殺すぞ」
「すっ、すみませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
砂嵐を巻き起こしそうな勢いで、チンピラ達は逃げていった。流石はシスコン兄貴。妹の危機的状況で発する「殺すぞ」は重みが違う。律樹は千保の落とした飲み物を拾う。
「お前の様子を見に行った清史がなかなか戻ってこねぇからな。俺も来た」
「あ、ありがとう……お兄ちゃん」
千保の腕がうっすらと赤く腫れている。チンピラに強く掴まれた跡が生々しく残る。
「清史君、大丈夫?」
「さっきの影から見てたよ。清史君も無茶するねぇ~」
光と詩音が清史を抱き起こす。すぐさま千保が駆け寄る。
「キヨ君、大丈夫?」
「あぁ、大したことねぇよ。それより悪かったな。情けねぇところ見せちまって……」
「ううん、悪いのは私だよ」
互いにうつむき、気まずい空気が流れる。
「お前のことだから、もしナンパされても能力使わないと思ったんだ。それで心配になって……」
「ありがとう、キヨ君」
「なんで感謝なんかすんだよ」
突然の千保の感謝に困惑する清史。
「俺何もできなかったぞ。アイツら追っ払ったのも律樹さんだし……」
千保を助けられなかったことで、自虐的な精神に陥ってしまった。自殺を望んでいた頃と同じだ。再び自分の生きる価値が何なのか理解できなくなった。
「そんなことないよ」
千保は清史の頬に触れる。
「私のこと、必死で助けようとしてくれたじゃん。それだけですごく嬉しい」
触れたところから、赤く染まっていく。
「本当にありがとう……キヨ君……///」
「お、おう……///」
清史は心の中から自虐心が消えたことを実感する。出会う前の自殺志願者に戻りかけたにも関わらず、千保の優しさは秒で清史の心を闇から引き戻した。まるで二人の心は鎖で繋がれているようだ。
夕暮れ時の砂浜も実に風流だ。赤く輝く太陽が、海の顔色を自在に変えていく。
「はぁ……」
千保は詩音と共にパラソルを返しに行った。清史は律樹と光と共にシーツを畳む。こんなに遊び尽くしたのは久しぶりだ。
「……清史」
「はい?」
律樹がふと口を開いた。
「千保のこと、本当に好きか?」
「え? は、はい!」
唐突の飛躍的な質問に戸惑ったが、堂々と答えた。律樹は目を合わせずに質問を続けた。
「アイツのこと、本気で幸せにする覚悟はあんのか?」
「はい!」
今回千保がナンパに遭った件を経て、彼女を守ってやりたいという思いがより一層強くなった。いつまでも彼女のそばにいて、振りかかる火の粉を払ってやりたい。
今度こそ、真の意味で千保を守ってやりたい。
「……認める」
「え?」
律樹はぼそりと呟いた。言葉にするのを渋っているように。
「認めるよ。お前の告白」
「ほんとですか!?」
律樹も内心清史のことを高く評価していた。彼もナンパされた千保を助けようと、果敢にチンピラに立ち向かっていった清史の勇気を見ていた。彼の可能性にかけて、敢えて最初は静観していたのだ。
「あぁ。悔しいが、アイツもお前のことを認めてるのも事実だ。もう好きにしろ。千保に思いを伝えたければ伝えるといい」
「ありがとうございます!」
清史は勢いよく律樹に頭を下げた。ようやく律樹とも心を通わすことができた気がした。
「ただし、千保がフッたら諦めろよ」
「はい……」
「もし交際を認めた場合も、少しでもアイツを悲しませるようなことをしたら、どうなるかわかってんだろうな?」
「わ、わかってますよ……」
口の悪さは変わらないが、律樹も清史をトラベルハウスのメンバーとして、何より家族として迎え入れることができた。
「まったく……遅いっての」
ようやく清史を認めた律樹を眺め、仲間として誇らしく思う光。清史の一世一代の告白を、陰ながら応援した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます