少女に戻る門番
鮮血の空の下、音も無く落下する
無数に存在する次元の狭間で生まれ、因果すら支配する最強の武具は今、その主を失い、無残に破壊されて力なく地面を転がった――――。
「嘘……嘘ですよね……!? ヴァーサス……っ! 嫌です……こんなの、絶対に嫌です……っ!」
形容しがたい、圧倒的に濃密な空間を形成する名も無き神。
その領域は歪みを増し、触れる者全てを破砕してそのかさを増していく。
ヴァーサスの消失に激しく動揺したリドルは、即座に震える足で立ち上がると、ダストベリーの障壁すら越えて、ヴァーサスが消えた神の領域に駆け寄ろうと走った。
「落ち着け白姫! お前まで飲まれる!」
「離してっ! 離してええっ! ヴァーサスが……っ!」
しかしそんなリドルを黒姫は制止すると、背後から抱きつくようにしてその動きを止める。
あまりにも――あまりにも悲痛な表情で泣き叫ぶリドルの姿。
直視することすら難しいそのリドルの姿に、黒姫はかつての自分を重ねた。
燃える街。
逃げ惑う人々。
笑みすら浮かべ、人々を虐殺していく兵士たち。
無機質な地面にうち捨てられた母の亡骸。
冷たくなった母に縋り付いて泣く自分。
そして、そんな自分たちを見る、血塗られた槍を持つ父の姿――。
――ギリと、血が滲むほど奥歯を噛みしめる黒姫。
黒姫はその赤い瞳に決意を灯すと、必死の思いでリドルへと呼びかけた。
「――まだだ! ヴァーサスはまだ消えていない! だが貴様まで消えたら、その望みも絶たれてしまう! 頼むから……頼むから私の声を聞いてくれ……っ!」
「――っ!? ヴァーサスが……まだ……っ?」
ぴたとその動きを止め、黒姫へと目を向けるリドル。
黒姫は普段の彼女とは全く違う、まっすぐな瞳でそんなリドルを見つめた。
「そうだ……! ヴァーサスは強い。それはヴァーサスが強固な自身の領域を持っているからだ。たった今その領域はあの神に潰されはしたが、今のヴァーサスはおそらくまだ次元の狭間で生きている。そしてそれを見つけ出せるのは白姫、この世界の門の適合者である貴様だけなのだ! だが――――……」
リドルの肩を掴み、一息に説明する黒姫。
しかし黒姫は、最後の言葉を発しようとして躊躇った――。
黒姫の顔が苦悶と後悔に歪み、こらえきれずにリドルから目をそらす。
だがリドルは即座に黒姫の言わんとしていることがわかった。
そして、それがリドル自身にとって、どのような変化をもたらすことになるのかも――。
「ありがとうございます……黒姫さん。その先は……言わなくてもわかりました。教えてくれてありがとうございます!」
「白姫よ……許してくれ。私にも、これ以外の方法が思い浮かばぬのだ……っ」
泣きはらし、泥で汚れた顔で笑みを浮かべるリドル。
そのリドルの笑みに、黒姫は悲痛な表情で「すまない……」と呟いた。
「いいんです。私、ヴァーサスのことが大好きなんです。彼を助けられるなら、私が彼の力になれるなら、たとえなにを犠牲にしても、彼のためにしてあげたい……黒姫さんも、きっとそうですよね……」
「……やはり貴様には敵わぬな……白姫よ……」
「ふふっ……なんたって恋人ですから!」
寂しそうに呟く黒姫に、満面の笑みを浮かべるリドル。
リドルは言うと、黒姫から離れ、背後の門へと向かった。
「黒姫さん、みなさん、すみませんが私はちょっとヴァーサスを迎えに行ってきます! その間、ここのこと少しだけお願いしますね!」
「リドルさん……わかりました。命に代えても、ここは死守して見せます」
「気をつけてね……帰ってくるの、待ってるよ……」
辺りを大きく揺らす震動が強くなり、未だダストベリーの障壁によって均衡を保つ通常領域が大きくひび割れ始める。残された時間は最早無い。
門が大きくその扉を開き、光り輝く世界がその向こうに広がる。
最後にリドルは一度だけ黒姫を振り返り、声をかけた。
「絶対に二人で戻ってきますから! 黒姫さんも、どうかご無事で!」
「ああ……私はここでお前たちの帰りを待つ。ヴァーサスを頼んだぞ、白姫……」
その声が届いたかはわからない。
笑みを浮かべ、その赤い瞳に決意を宿したリドルの姿が門の向こうに消える――。
黒姫は――その姿を焼き付けるようにじっと見据え、沈痛な面持ちを浮かべて瞳を閉じた――。
『また新しいことを教えてくれるのでしょうか――次は何を見せてくれるのでしょうか――楽しみです――まだ貴方たちからは力を感じる――私が成長するために必要な、力強いエネルギーを――』
黒姫の背後で名も無き神がうそぶくようにして音を発した。
その音は、絶望と終焉をもたらす存在が発した音とは思えぬ程無邪気で、好奇心と喜びに満ちていた。
だが――。
「言いたいことはそれだけですか……?」
それは、黒姫が発した声――。
その声を聞いたダストベリーとエアが、驚いたように黒姫へと視線を向けた。
「あの子だけは…………あの子だけは絶対に……私と同じにしたくなかったのに……! そう……決めたのに……っ!」
その声の主は黒姫。
しかしその声は、どこからどう聞いても先ほど扉の向こうに消えたリドルそのものだったのだ。
音程、口調、そして雰囲気までが同一にしか思えない黒姫のその声に、二人は何事かと困惑の表情を浮かべた。
『あなたのその感情――興味深いです。聞かせてくださいその音を――その音色を――そうすればもっと私は――』
「終わりですよ……全部。この私を……ここまで怒らせた貴方はもう終わり。これ以上何も覚えることもなく、感じることもなく、歩みを進めることもない……。貴方の存在はここで終わり……これは全ての次元で決定されたこと。もう、決して覆ることはない――っ!」
黒姫の周辺領域が歪む。しかしもはやその歪みは禍々しさを残さない。白く輝き、どこまでも透明で純粋な領域がダストベリーとエア、そして門を守るように展開され、全てを押し潰そうと迫っていた名も無き神の領域を押し返す。
『これは――こんな力は初めてです――興味深いです――興味深いです――興味深いです――』
黒姫が顔を上げる。名も無き神を、透き通った赤い瞳が射貫く。
「私はリドル・パーペチュアルカレンダー。かつて魔王エルシエルの娘と呼ばれ、ナーリッジという街で平和に宅配業を営んでいました。しかし今は……この世界と、この世界の私を守る門番として……貴方をここで破壊します。来なさい……生まれたばかりのか細い領域よ。次元の破壊者と呼ばれた私の力、とくとその目で見るがいい……!」
閃光の領域を背負った黒姫が、静かにそして冷徹に最後の時を告げた。
その決意に満ちた相貌はしかし、どこまでも深い悲しみと後悔に満ちていたのだった――――。
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