夢見る門番


「来て頂いて助かりました」


「いや、俺の方こそ突然すまなかった。それでミズハは?」



 レイランド邸の広々とした通路を進むヴァーサス。


 そのヴァーサスの少し前を歩くのは以前の事件以来懇意にしているレイランド卿の一人息子、クレスト少年である。



「それが……今朝も何度か声をかけたのですが返事がなくて……もう丸一日部屋に籠もりっきりなんです。ヴァーサスさんがいらっしゃる前にも、鍵師の方に連絡してこちらから開けようとしていたところで……」


「なるほど……心配だな。悪い病気や怪我でなければいいのだが……」



 クレストから聞いたミズハの様子に顔を曇らせるヴァーサス。


 案内されたミズハの部屋の扉の前に立ったヴァーサスは、クレストの了解を得た上で咳払いを一つ。僅かに思案した後、意を決して扉を叩いた。



「ミズハ、俺だ。ヴァーサスだ。君がずっと部屋に籠もっていると聞いて俺も他の皆も心配している。返事をしてくれないだろうか?」



 言いながら、ヴァーサスは室内の気配を探る。


 ヴァーサス程の腕を持つ門番ならば、この程度の扉越しに室内の動きを探ることなど造作も無い。だが――。



「これは……っ!? クレスト殿、すまないが扉を破るぞ!」


「え!? は、はいっ!」



 瞬間、顔色を変えたヴァーサスはドアノブ部分に軽く拳を叩きつけた。


 全く力を入れているように見えないにもかかわらず、ヴァーサスの拳で叩かれた扉は内部の金具を破壊され、ゆっくりと奥へと押しやられる。



「ミズハ! 無事か!?」



 扉が開くと同時、すぐさま室内へと入ったヴァーサスが叫ぶ。


 整理整頓され、いかにもミズハらしい装いの小綺麗な室内。 

 カーテンは閉められ、その隙間から明るい光が僅かに射し込んでいる。


 室内に動くものはなかった。


 血相を変えて飛び込んだヴァーサスの目に、大きめのベッドの上で笑みを浮かべ、すやすやと安らかな寝息を立てて眠るミズハの姿が映る。


 しかしヴァーサスはミズハの無事を確認すると、すぐさま別の存在を探して目をこらした。



「やはりな……しかし……」

 


 眠るミズハの枕元。


 そこには手に持った釣り竿の先に三日月の飾りをぶら下げた、小さな羽の生えた妖精が、やはりこちらも座ったままの姿勢で眠りこけていたのであった――。



############


『いたずら妖精ドリーモ』

 種族:妖精 

 レベル:3

 特徴:

 特に人に害をなすことのない下級妖精。

 普段は花畑や日当たりの良い場所で仲間と一日中遊んでいる。

 自分自身の見る夢を自在に操る能力があるが、自分限定なので特に意味も無い。

 時折人里に紛れ込み、料理をつまみ食いしたり些細な迷惑をしたりする。

 仲良くなった人間に、その力で望む夢を見せることがあると言い伝えられている。


############



●    ●    ●



「大丈夫か……? ミズハ」


「えっ……? ひえっ!?」



 突然かけられた声に驚き、跳ねるようにしてベッドから身を起こしたミズハ。


 部屋の中には明るい日差しが射し込んでいる。

 日の高さから見るにもう正午になるかという頃合いだろうか。



「わ、私……!? そうでした……あのまま戻ってすぐベッドに……い、急いで師匠のところにいかないとっ!」


「ハッハッハ! 俺ならここにいる! いつまで経ってもミズハがやってこないので様子を見に来たのだが、どうやら元気そうでなによりだ!」


「し、師匠!? 師匠が私の部屋に!? あわわわ……っ! わ、私こんな……! 髪も梳かしてないし……! 服も……服もっ!?」


 

 目を覚ましたらすぐ横にヴァーサスがいるという信じられない状況に、ミズハは天地もひっくり返らん程の驚きを見せた。


 なにより今のミズハは濡れて帰った際に雑に服を脱ぎ捨てており、肌着しか身に纏っていなかったのだ。



「ぴゃあああっ! すみません師匠! す、少しだけ外に! お願いですから、お願いですから外でお待ち頂けますかっ!? わ、私こんなはしたない格好でっ!」


「う、うむ! そうだな、これはすまないことをした! 事前にクレスト殿からの許可は得ていたのだが、言われてみれば勝手に室内に入ってしまい無礼なことをした。許してくれ、ミズハ」


「ううぅ~~……ふいまふぇん師匠ぉ……わ、私こんな……すごく……恥ずかしくて……」


「気にするな。悪いのは俺だ。では、俺は部屋の外で待っている」



 大きな布団に隠れ、二つの瞳だけが覗くような状態で去って行くヴァーサスを見送るミズハ。

 

 どきどきと高鳴り続ける鼓動は自分でもうるさく感じる程。


 息も止まるかと思うほど恥ずかしかったが、その恥ずかしさはすぐにそれ以上の喜びで押し流された。



「師匠……私のことを心配して来てくれるなんて……」



 頬を赤く染め、一人呟いたミズハの顔がみるみるうちにふにゃふにゃと崩れ、抑えきれない笑みが漏れる。



「はっ……急いで準備しないと! 師匠が待ってます!」



 そう言ってベッドから勢いよく飛び出し、ぱたぱたと室内を駆け回るミズハ。


 結局、ミズハはそのふやけた笑顔を普段通りに戻すまで、完璧に身だしなみを整えるのと同等の時間を要したのだった――。



●    ●    ●



「お、お待たせしました!」



 ミズハが目覚めてから丁度三十分ほどが経っただろうか。


 普段ならば平気で一時間以上かかる身だしなみのチェックを全速力で終わらせたミズハは、少しだけ上気した頬でヴァーサスの前に現れた。



「うむ! 改めてこうして見ても元気そうだな。本当に心配したぞ」


「すみません……私、また師匠にご迷惑を……」


「フッ……まだそんなことを気にしているのか」



 現れたミズハを見て安堵の表情を浮かべるヴァーサス。


 心配をかけてしまったことにしゅんと肩を落として謝罪するミズハだったが、ヴァーサスはそんなミズハに笑みを浮かべると、そっとその小さな額に自身の手を添えた――。



「ひゃ……し、師匠……っ?」



 今まで意識してこなかった、ヴァーサスの大きな手から伝わる温もり――。


 ヴァーサスに触れられている額だけが自分の体ではなくなったように熱を帯び、ミズハはその大きな瞳を白黒させ、ぱくぱくと口を開け閉めして声なき声を発した。



「うむ……少し脈が早いが、体温や気の流れも健康そのものだ。これなら少し外に出ても大丈夫だろう」


「え……?」


 

 予想外のヴァーサスの行動に、耳まで真っ赤になって硬直するミズハ。


 しかしそんなミズハに追い打ちをかけるように、ヴァーサスは満面の笑みをミズハに向けて言葉を続けた。



「今日は稽古は無しだ。その代わりに俺と一緒に街に出かけるとしよう。休むのも修行のうちというからな! ハッハッハ!」


「お出かけ……私と師匠が……ふ、二人っきりで……!? あわ……あわわ……!?」



 精悍な顔に力強い笑みを浮かべ、ヴァーサスはミズハをエスコートするようにその手を取って宣言する。


 次々と発生する、信じられないような怒濤の展開。


 ミズハはすっかり茹だった頭をなんとか回転させながらも『二人でお出かけできるのならもうあと十五分ほど身だしなみに時間を使えば良かった』と、その大きな目をぐるぐる回しながら思うのであった――。





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