皇帝も通さない門番
その切断面は到底通常の物理的破損によってもたらされるものではない。
ドレスの持つ聖剣によって両断された壁の断面から光の粒子が舞い散り、衝撃によって崩壊した天井部分を含め、それら一切がまるで水蒸気の昇華のように跡形もなく消滅する。
外壁が消滅したことで薄闇に包まれていた室内に無機質な人工の光が射し込む。
緩やかに流れる湿った大気が一度だけその場にいる者の間を駆け抜け、そして止んだ――。
「話を聞いてくれドレス! お前ほどの男ならば魔王の娘などという肩書きに惑わされることはないはずだ! リドルは魔王に類するような害を世界に与えることは決してない。むしろ、今までリドルはたった一人で門がもたらす災厄を防いでいたんだぞ!」
叫びながらヴァーサスは油断なくリドルとミズハを背後に庇い、
「……そうだね。そんなことは配信で彼女を初めて見たときからわかっていたさ。彼女が世界に害をなすつもりなんかこれっぽっちもないこと、ナーリッジの人々を大切に思っていること。そしてヴァーサス、君と彼女がどれだけ深い絆で結ばれているのかもね……」
必死に呼びかけるヴァーサスの声にドレスは耳を傾け、同意するように頷いた。
しかし、ドレスは決して刃の切っ先を下ろすことはなかった。
「ならばその剣を収めてくれ! 今は俺たちが闘う時ではない!」
「それがそうでもないのさ。僕たち帝国は三十年前の魔王討伐以後もずっと魔王のもつ力について研究を続けていたんだ。実は今回僕が自らこんな場所までやってきたのも、その研究の答え合わせをしにきたようなものでね」
「答え合わせだと……?」
「そうさ……頼んだよ、クロテン」
「ギギギ……ッ!」
「後ろか!」
瞬間、ドレスの呼びかけに応えるように、小さな黒い影となったクロテンが背後からリドルに襲いかかった。
ヴァーサスは反応が遅れる。前方のドレスへの集中を一瞬でも切らせば、即座にまとめて両断される可能性すらあるからだ。だが――。
「守勢の型……椿囲い! 師匠、クロテンさんは私が!」
「い、いえいえ大丈夫です! クロテンさん、すみませんが一足先に地上で待っててくださいね!」
「ギギギ……ッ! やってミロです……!」
動けないヴァーサスに代わり、クロテンの持つ左右六本にも及ぶ短剣をミズハが全て弾き逸らす。
ヴァーサスやミズハのように超人的な反応を持たないリドルだったが、ミズハによって出来た一瞬の隙を逃さずクロテンを迷宮の外、大体地上数十メートルの範囲へと跳ばそうと試みる。
「え……っ!? クロテンさんの座標が消えたんですけど……っ!?」
「どーしたです~? クロテンに何かするんじゃなかったです? なんもしないなら……遠慮なくぶっころしてやるデスッ! ギギギッ!」
「リドルさん下がってっ! クロテンさん、私がいる限りリドルさんには指一本触れさせませんよ!」
「雑魚門番が相手ですか……なめられたものですっ!」
驚くべき事に、リドルの座標操作にクロテンは抵抗してみせたのだ。
リドルはクロテンの座標を瞬間的に見失い、構わず切り込んだクロテンをミズハが再びはじき飛ばした。
「どうして……今までヴァーサスしか抵抗できなかったのに……!?」
「不思議かな? クロテンはね、以前は魔王だけしか使えなかったその力を利用できるように帝国の賢者達が生み出したホムンクルスなのさ。魔王の力への抵抗だけじゃないよ、リドル君の持つ圧倒的な力の総量も、こっちの塔が正解だってことも、クロテンは全部僕に教えてくれるのさ」
「……帝国はそんなことまでやっていたのか」
「僕もそれは皇帝になってから知ったんだけどね……でもだからこそ僕はもう全てを知っているんだよ。ヴァーサスが今守っている門の危険性も、そして、その門の中心座標が少しずつリドル君に移り始めていることもね……!」
「門の中心が、リドルに……?」
「な、なんですかそれ……そんなこと、私も初耳ですよっ!?」
ドレスの言葉に最も反応したのはリドルだった。
この世界で最も門とその力に詳しいはずの自分ですら知らなかった驚愕の事実に、リドルは言葉を失った。
「ここまで言えば君でもわかるだろう。リドル君が悪意を持っているかどうかはもう関係ないんだ。あの門も、門がもたらす災厄も、これからは僕たち帝国が管理する。そしてリドル君……君はこのままではこの世界で二つ目の新たな門になるかもしれない存在だ。残念だけど君には世界のために消えて貰うことになる。この僕の持つ
「そんなことをこの俺が許すと思うか……?」
ドレスの持つ
ヴァーサスは覚悟を決めた。
既に解放された
「ミズハ! リドルを頼めるか!?」
「承知です! 応えて見せます!」
「ヴァーサス……っ。私に……門の座標が私になってるって……どういうことなんでしょう……? 私に……なにが起こってるんですか……っ?」
「リドル……」
決意を固めたヴァーサスに、リドルが震える声で尋ねる。
ちらと目線を向けた先には、今まで一度も見たこともない悲痛な表情でガタガタと震え、怯えながら、縋るようにヴァーサスを見つめるリドルがいた。
そしてそのリドルの瞳を見たヴァーサスは、かつて感じたことがない圧倒的な感情の発露をはっきりと自覚した――。
許せん――。
ヴァーサスの心に、灼熱のマグマにも似た紅蓮の感情が沸き上がる。
その感情は、全てを焼き尽くす凄絶な怒りだった。
――そうでしょうそうでしょう! 街の皆さんにも早くて正確と大評判なんですよね――。
――内緒ですよ? そんなことが知られたらせっかく私が必死こいて築き上げたこの町での好感度が台無しですから――。
――その……リドルさんはいつも皆さんが困っていると色々やってくれていたので、つい相談してしまったら――。
一体、この目の前の非力な娘が何をしたというのか。
過酷な運命に翻弄され、今こうして世界最強の力を持つ門番に命を――否、その存在すら抹消すると宣告された。
今までどんな気持ちでリドルが生きてきたのか。
どんな気持ちであれほどの明るい笑顔を浮かべて生きていたのか。
たった一人、得体のしれない力の傍で、ともすれば自分を殺そうとするかもしれない人々の中で、どのような気持ちでたった一人、力強く生きてきたというのか。
そんなただ懸命に生きてきただけの一人の娘を、リドルを――これ以上傷つけることは絶対的に許容できない。たった一つのかすり傷すら与えることも許されない――!
「心配するなリドル……なにがあろうと君は俺が守る。今までも、そしてこれからもだ――!」
「ヴァーサス……あなた……っ」
ヴァーサスの青い瞳に稲妻のような閃光が奔り、その黒い髪がぞわりと逆立つ。
二つの狭間の武具がヴァーサスの怒りに呼応するように紅蓮の輝きを放った。
「ようやくわかってもらえたみたいで嬉しいよ。僕と君が闘うしかないってことをね……」
「ドレス。お前は俺のかけがえのない友だ。それは今も変わらない」
「僕もだよ……ヴァーサス」
ドレスは笑みを浮かべ、優雅に剣と盾を構える。
「だが……リドルの存在を否定し、その心と生き様を否定した貴様の行いは断じて許せん……っ! 貴様が無様に泣きわめきながらリドルに謝るまで……っ! 我が主リドル・パーペチュアルカレンダーに代わり、この俺が徹底的に叩きのめす!」
咆哮を上げるヴァーサス。
体内から無限とも思えるほどの勢いで湧き上がる感情の炎がヴァーサスの周囲でバチバチと音を立てて弾ける。
ヴァーサスの体表からプラズマの粒子にも似たエネルギーが放出され、既に戦闘を開始していたミズハとクロテンすら一度動きを止めてヴァーサスへと視線を向けた。
「俺の名はヴァーサス! リドルを守る門番だ! 門番皇帝ドレス・ゲートキーパー! 貴様にリドルを傷つけることは許可されていない! ここで斬り捨てる!」
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