その手を離さない門番
そこは、狭間とは名ばかりの荒れ狂う虚無の渦だった。
光が捻れ、強烈な重力が全方位からその領域を広げる。
かつてラカルムによって見せられた星々の世界に似ていたが、その領域はそれらと比べ、あまりにも凶暴で、攻撃的だった。
「ここが……ラカルムさんや黒姫さんが見ていた世界…………」
その狭間の空間に浮かぶリドルの目の前で、今この瞬間も次々と新たなる可能性の次元が生まれ、消えていく。
圧倒的混沌の渦。
それは無限に繰り返される誕生と死の
「わかる…………こっちにヴァーサスが……っ!」
凄まじい光と闇の狭間。
リドルは求める存在の座標を見つけ、その場所へと飛んだ。
もはや距離など意味を成さない、因果の地平を越えた先――。
そこには、その全身の殆どに見るも無残な傷を負い、生死定かならぬ様子で闇の中に浮かぶ想い人の姿があった。
「ヴァーサス……っ! 大丈夫ですかっ!? 迎えに来ましたよ! お願い……お願いですから……っ!」
光と闇の境界線。リドルは精一杯に手を伸ばし、ヴァーサスをこれ以上傷つけないように、できる限りそっとその胸に抱いて必死に呼びかけた。
リドルの赤い瞳から大粒の涙が零れ、腕の中のヴァーサスの頬に落ちていく。
ヴァーサスは動かなかった。
その傷ついた体は、まるで岩を抱いているように冷たかった。
「今……っ! 今助けてあげますから! こんなこともあろうかと、色々持ってきたんですっ!」
リドルはヴァーサスを救うべく持ち込んだ治療の魔術書や高価なポーションなどを次々にヴァーサスに使った。
どれもこれも、あまりにも無茶ばかりして生傷の絶えないヴァーサスのために、二人で街に出かけ、大金をはたいて用意した物ばかりだった。
しかし――――。
「ヴァー……サス……っ……嘘ですよね……? 起きて……起きてくれますよね……? まだ……全然、大丈夫……ですよね……っ?」
気がつけば、大量のアイテムが詰まっていたリドルの鞄は空っぽになっていた。
大丈夫。起きてくれる。
きっとすぐに目を覚まして、いつもの大声と満面の笑みで笑いかけてくれる。
リドルはその想いに縋りかけるが、すぐに止めた――――。
「なに……言ってるんでしょう……こんなに……もうこんなに傷ついて……いつだって私や、他のみんなのために一生懸命で……まだ……大丈夫なんて……動けるなんて……そんなわけ……ないのに……っ」
リドルは涙を流したまま、そっと――ヴァーサスの傷口へと指を添えた。
甲冑を砕かれ、露わになったヴァーサスの肌は傷が無い場所を探すことの方が難しい。初めてこの傷だらけの体を見たのはいつだっただろう――。
「私が……あのときヴァーサスに声をかけなければ……あなたを……門番なんかにしなければ……こんな……こんなっ!」
――――違う。
そんなわけない。
そこまで言いかけて、リドルはすぐにそれが馬鹿げた考えだと思い直す。
あのヴァーサスが。
あの自他共に認める門番馬鹿のヴァーサスが、そんなことを思うはずがない。
ヴァーサスは、リドルの門番になってから今まで、門番として働ける感謝と喜びこそ毎日のように口にしていたが、門番となって恐るべき敵と戦い続ける後悔や弱音、拒否を口にしたことは一度たりとも無かった。
ヴァーサスがリドルに伝えてきたいくつもの想いと言葉。
それは常にリドルに対する感謝と、自らが門番になれた喜びだった。
いつだってあの笑顔で、まっすぐで嘘偽りのない瞳で、自分が門番として働ける幸せを語っていた。
そんなヴァーサスが、今この状況を後悔するわけがない。
門番になどならなければ良かったなどと、たとえ死ぬことになってもヴァーサスが言うはずがない。
出会ってから今までの間、ずっと門番としてのヴァーサスの姿を見続け、彼の想いと言葉を受け続けてきたリドルには、それがすぐに理解できた。
だからこそ、今ここでリドル自身が成すべきことも――――。
「…………きっとあなたは、私が今までの私じゃなくなってしまっても…………私のことを絶対に守ってくれる…………私のことを大好きだって、ずっと言ってくれる。だってあなたは……私がこの世界で見つけたたった一人の……大好きな門番様ですから……」
そう言ってリドルはヴァーサスの手を握った。
もう絶対に離さない。
握ったその手に、何よりも強い自身の想いを込めて――。
「ヴァーサスが一人でこんなに頑張っているのに……雇用主で恋人の私がただ泣いているだけなんて、情けない話でした……! あなただけじゃない。黒姫さんも、他の皆さんも必死で闘ってる……! 私だって、覚悟くらい決めてやりますよ……っ!」
リドルの赤い瞳の奥に、周囲の空間と同様の渦巻く領域が浮かび上がる。
ヴァーサスを抱いて虚空に浮かぶリドルの領域に、門という実体から離れた次元の扉が浮かび上がり、リドルをその中に取り込もうと大きな口を開けた。
「……でも私はとっても運が良いです。だって……こんなときにもあなたと二人で、こうして一緒にいられるんですから――――」
リドルは握ったヴァーサスの手を離さぬまま、柔らかな笑みを浮かべた。
そしてそっと――どこまでも深く、ありったけの想いを込めて、眠るヴァーサスの唇に自身のそれを重ねた――。
渦巻く光と闇の狭間。
二人の影は重なり合ったまま、深い虚空の中に現れた闇の中に消えた――――。
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