閃光に消える門番


 鈍色の曇天の下、降り注ぐ雨にまみれた少年が泥の中を這っていた。


 辺りからは未だ散発的に鬨の声が上がるが、当初の勢いに比べれば弱々しい。


 雨と泥の中を無数の火の玉が飛び交い、雷鳴が轟く。

 既に折れた剣を握り締め、少年は口の中に入った泥を吐き出してただ前に進んだ。


 少年の名はシオン・クロスレイジ。


 彼は戦場で生まれ、戦場で育ったが、戦場に愛されてはいなかった。


 剣の腕も、魔法の才もなく、無数の戦場でなんとか自分の命を繋ぐのが精一杯。


 今このときも、辺境の邪神教団討伐の任を受けた傭兵部隊に混ざり、進軍している最中だった。



「また、俺だけか……」



 シオンの周囲には黒焦げになった屍の山――。

 元は人だったとわかるのはその形からのみ。


 国軍は侮っていたが、彼らが闘うことになった邪神の力は想定を越えていた。


 最初の一撃で数千人が死んだ。


 戦車の荷積みを行っていたシオンは運良く瓦礫の下敷きとなり、難を逃れた。


 この戦場に門番はいない。


 このような絶望的な状況に陥る度、シオンはこの世の理不尽を呪い、自身の無力さを憎んだ。気の良いやつも、到底信頼できないようなやつも、戦場では皆すぐに死ぬ。


 もし自分に門番のような力があれば、こんなクソッタレの世界を少しはマシなものにできたのではないか。


 泥と血と臓物の海を這うシオンは、灰色の空を睨み、自らの無力を嘆いた――。



「(あの戦場で俺はアブソリュートと、そこに乗ると出会った。俺は望んでいた力を手に入れ、門番となり、かつて願っていた通り、少しでも世界をマシにするために闘った――)」



 俺は、俺自身の力ではなにも出来なかった。


 偶然彼女と出会い、アブソリュートに乗った。ただそれだけの差でしかない。


 だが――。


 だが、例えたったそれだけの差だったとしても、俺は――。



 ●    ●    ●



「仕留め切れなかったか――」 



 アラート。


 敵性存在の残存を示す連続した警告音。


 シオンは即座に回避行動を取ろうとするが、それは叶わない。


 瞬間、アブソリュートの下半身がぐにゃりとひしゃげ、耳障りな音を立ててねじ切られる。両足を失い、空中で大きく体勢を崩したアブソリュートはそのまま地面へと落下。


 失った半身に更に深い破損を受け、立ち並ぶ遺跡の石壁を突き抜けて停止する。



『ガアアアアアア! 許さないいいい! よくもっ! よくもこのボクを! 他の三人のボクをこんな姿にいいいい!』



 目映いばかりの閃光と粉塵の先。


 ボロボロと崩れ落ちる肉体を震えながら支え、四体あった体のうち、三つまでも失いながらも未だその存在を維持する破壊神セロが現れる。


 その顔は憤怒にまみれ、自らの肉体の維持すら覚束ないその姿に、神としての威厳は最早無い。


 先ほどまでならば一瞬で破砕されていたはずだ。

 無尽蔵にも思えた神の力にも限界が見える。


 あと一押し。


 それこそ、あと数発の次元潜行弾頭さえ叩き込めれば倒せるであろう状況。


 しかし、今のアブソリュートにはそのあと一押しをする力が残されていなかった。



「まだだ……俺たちはここからだ」



 アブソリュートのコックピット内部、シオンはすぐさま機体の稼働状況をチェックする。すでに壮麗な青い魔導甲冑は右半身を失い、下半身のほぼ全てを喪失した。


 残されたのは左半身と胸部、そして背面のスラスター部分のみ。



【重力断層障壁――喪失】


【次元転移障壁――喪失】


【メイン縮退炉――喪失】


【次元融合炉――損傷率91%】


【搭載火器――喪失】


【活動可能限界――超過――作戦遂行可能性――0%】



「フッ……やはりお前は最高だな」



 ノイズ混じりに浮かび上がる弱々しい報告に、笑みを浮かべるシオン。


 それは、ここまで追い詰められながらも未だに諦めず、共に闘おうとしてくれる愛機への感謝の笑みだった。



 ――ねえシオン。


 ――帰ってきたら、またパーツ買うの手伝ってよ。そのくらいいいでしょ?


 ――無事に帰れるかわからないって? ……貴方、まだそんなこと言ってるの?


 ――アブソリュートは私の最高傑作よ。なにがあろうと、絶対に負けない。


 ――いい? 帰ってきたら私と一緒に買い物するの。約束よ。


 ――絶対に。無事に帰ってきて。



 シオンの脳裏に、眼鏡をかけた白衣の少女の姿が浮かぶ。

 思えば、彼女と出会ってから世界はともかくシオンの世界は随分とマシになった。


 たとえ死にかけたとしても、それは決してかつてと同じ泥の味ではなかった。



「――そうだな。アリス」



 言って、シオンが操縦桿を最大まで引き倒す。ペダルを踏み込み、左右のトグルを的確にオンオフしていく。


 必要な部分に残された力を集中させ、もはや意味の無い部分へのエネルギー供給をカットする。


 瓦礫に埋もれたアブソリュートの背面スラスターが最後の火を灯す。


 その命を燃やし尽くすかのように、もはや制御された炎輪ではなく、ただ闇雲に残された力を推進力へと変換し、ただ空へ、ただ眼前の敵へとめがけ飛翔する。



 バランサーが稼働せず、傾きを修正しないままに不格好な蛇行軌道を描いて飛ぶアブソリュート。


 そんなアブソリュートの姿を見た破壊神セロが、目を見開いて叫ぶ。



『まだッッ! まだわからないのか!? このゴミ共ォ! お前らごときが神に! それもそんなオモチャでッッ! 勝てるわけねぇええええだろおおがあああ!』



 そのような姿を晒しながらも、未だ自身への敵意を失わぬ存在に、破壊神セロは限界を超えた憤怒の雄叫びを上げ、今度こそ完全にその存在を抹消しようと試みる。


 だがここに来てセロは憤怒以外の感情を感じ始めていた。



 その感情。それは――。



 果たして、自分はいつ、なぜこんな無様な姿に成りはてたのか?


 一体自分は幾度の破壊と終末をこの目の前の玩具に放ったか?


 にも関わらず、なぜ未だに目の前の無力な存在は自分へと立ち向かってくるのか?


 セロは焦り、怯え、そしてそれらを打ち消すように怒って見せた。

 

 そして無様によろよろと飛ぶアブソリュートめがけ、残された破壊の力を注ぎ込もうと手をかざす。しかし――!



「――破壊神セロ。お前はもう少し相手を疑ったほうがいい」


『――なっ!?』


「俺たちは弱い。弱いからこそどんな手も使う。欺き、装い、生にしがみつく。今の――この俺のようにな」



 瞬間、それまでフラフラと方向定まらぬ飛行を続けていたアブソリュートの眼光が赤く輝く。バランサーが息を吹き返し、一瞬で方向を修正。アブソリュートめがけて手をかざすセロに向き直ると、突如として音速を超える速度まで加速する。


 万全の状態ならまだしも、すでにその身を維持することすら難しい今のセロは反応できずにアブソリュートの接近を許した。



『ふ、ふざけるなよッ!? お前、もう飛ぶこともできないんじゃ……!?』


「アブソリュートはバランサーのオンオフも出来る。死んだふりのようなものだ」



 セロへと肉薄したアブソリュートは、即座に残された左腕でセロを捕縛すると、そのままの勢いで更に加速。赤く染まった天上めがけ、一筋の流星と化して上昇する。



『お、お前!? 何を!? 何をする!? 破壊だ! 破壊してやる! 壊れろ! 今すぐに壊れろおおおおお!』


「悪いが――付き合って貰うぞ」



 残された最後の力でアブソリュートを破壊しようと試みるセロ。アブソリュートのパーツが徐々にひしゃげ、コックピット内部にまで破砕が及び始める。


 シオンは静かに視線を巡らせ、厳重にロックされたスイッチへと手を伸ばす。


 最後にちらと機体の状況を告げるモニターに目をやると、確かに切ったはずのが、なぜかひとりでに点滅していた。



「――心配するな。俺は最後まで、お前と一緒だ」



 柔らかい笑みを浮かべるシオン。


 そして、シオンはロックされたスイッチを押した。



 衝撃。


 そして閃光。


 それは辺り一面全てを照らす、消えることのない最後の輝き。



『うそだ! いやだああ! ボクは破壊神だぞ!? なんで、なんでボクが破壊されないといけないんだ!? なんで、このボクがあああ――――!』



 それが、破壊神セロがこの次元に残した最後のエントロピーだった。


 


 破壊神セロは死んだ。


 そして、シオン・クロスレイジは閃光の中に消えた。



 

 全てが終わった後。


 その場にはただ純白の粒子だけが、雪のようにいつまでも降り注いでいた――。

 

 


 西の門番シオン・クロスレイジ


 VS


 破壊神セロ 


 △門番 △破壊神 決まり手:次元融合炉のオーバーロードによる自爆


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