帰り支度の門番
「ライトちゃん――――ですか?」
巨大な高層建築物が建ち並ぶ街の一角。
無機質な街並みの中心部。人工的に作られた緑溢れる広場で、ミズハが尋ねるように声を上げた。
「はい。なんでもラカルムさんが仰るには正しいとか、正解とか、とにかくそう言う意味の言葉だそうですよ。他にも、明るいとか光とかを現わす言葉にもなるとか! ライト・パーペチュアルカレンダーちゃんですね!」
「いい名前だ! やはりラカルム殿に俺たちの子供の名付けを頼んで間違いはなかった! ラカルム殿に『正解です』と言われると、不思議と俺まで嬉しくなってしまう!」
「フッ……数々の運命の分岐点において、正しい選択肢を選び取ってきた貴様らの子供に相応しい名前ではないか。恐らく、ラカルムもそう思ってのことだろう」
完全に平和を取り戻した街の中、暖かな日差しの下で談笑するヴァーサスたち。
既に、この世界からラカルムは去った。正確には、シトラリイを主とするこの世界の門に座標を固定され自我を得た上で、狭間の世界へと旅立っていった――――。
「でも結局、この世界って一体何なんでしょう? アツマさんの話では、この世界はずっと昔にラカルムさんに襲われて消えてしまったんですよね?」
「どういう理屈で一度消えた宇宙が、しかもクロガネ君の記憶通りに復活したのかは僕にもわからない。けど、この宇宙も僕たちがいる宇宙と同じ狭間の領域に存在していることは間違いないよ。そうでなければいくら僕の
「ふん……それについては私に思い当たる節がある。しかし確証があるわけでもないのでな、少々調べてみる必要があるだろう」
以前、ミズハがクロガネから聞いた彼と彼が存在した世界の結末――――。
ラカルムの襲来によって破滅したはずのクロガネの世界とは、全く違う結末を迎えたこの宇宙。黒姫の話ではこの宇宙はこれからも変わらず独自の時間を歩み続けるという。
それについての疑問を投げかけるミズハと、真剣な眼差しで思考を巡らせる黒姫。黒姫の脳裏には、つい先日彼女が体験した、未来の自分自身が創造した新しい宇宙の存在がよぎっていた。もしや、このクロガネの世界も、何者かが想像を絶する力によって新たに生み出した可能性の宇宙なのでは――――。
「――――だとすれば、そんな芸当が可能な勢力は一つしかない――――
自ずと導き出されるその答えに、黒姫は眉を顰め、苦々しく呟く。恐らく、全ては反転する意志の一派による企てであったのだろう。
新たに生み出したこの宇宙でヴァーサスとラカルムをぶつけ、同士討ちを狙ったのか。あるいはクロガネが言うように、ヴァーサスの更なる覚醒を促したのだろうか。
どちらにしろ、今回の件で
反転する意志の一団は新しい宇宙の創造のみならず、超存在であるはずのラカルムすら独自に発生させることに成功しているのだ。
それが新たに生み出されたラカルムなのか、それともラカルムという存在が残したエントロピーによる残滓なのかはわからなかったが、信じられないほどの力であることは間違いなかった――――。
「あ、いたいた! お待たせしました皆さん! 皆さんの分のアイスも買ってきましたよ! シトラリイさんお勧めのとこですっ!」
「おい待ちやがれメルト! なんで俺がコイツらのアイス持たねぇといけねぇんだよ!」
「ほえぇ……大丈夫? アンタって実は結構尻に敷かれるタイプだったのね。意外だわ……」
「うふふっ。そうなんですよ、ヘルズガルドさんとメルト様の仲の良さは聖域でも皆様知ってるほどなんです」
「無理をするなヘルズガルド。一人でアイスを持ちきれないのなら、今すぐアブソリュートをここに呼んで運ばせる。遠慮することはない」
「シオン……貴方の言動にはごく稀に謎のエラーが発生しているわ。特にアブソリュートが絡むとその傾向が顕著。あとで脳波チェックした方が良いかも」
ヴァーサスやリドルが集まっている場所に、メルトが明るい声と共に駆け寄ってくる。後方には両手で抱えたボックスのせいで前すら見えぬ有様のヘルズガルド。そしてそれを眺めながらも放置するカムイとダストベリーに、一人アブソリュートを呼び出そうとするシオン。そんなシオンにこめかみを押さえて首を振るアリスが続いた。
「ありがとうございます皆さん! さっきクロガネさんから連絡あって、もうすぐ来れるそうです。なので丁度良かったですね」
「うむ……この世界に居た日々は僅かだったが、こうして離れるとなると名残惜しい。いつかまた、ぜひ訪れたいものだな」
そう言って、この世界との別れを惜しむように周囲を見回すヴァーサス。
当初、ヴァーサスはこの街並みに無機質な冷たさを感じていた。だが、そこで暮らす人々の営みを知るにつれ、ヴァーサスは自身のその印象を拭い、この街にも確かな生命の息づかいを感じられるようになっていたのだ。
「私もこの世界では健康そのもので最高でしたよ……そういえば、私たちの体って、ここと元の世界で二つあることになるんでしょうか? そこんとこ大丈夫なんでしょうか?」
そして、続いて発したリドルの疑問には黒姫がさらりと答える。
「そうだな。直接来訪したドレス達はともかく、あの石ころを使ってやってきた私やヴァーサス、白姫などはこの世界では仮初めの肉体のようなもの。このまま元の世界に近づくにつれ、自然と重ね合わせとなって一つの体に戻るであろう」
「ふーん、なにそれ? ぜんっぜんわからないんだけど!」
「カムイはもう少し勉強した方が良いね。もし君に勉強する気があるなら、
「やるわけないでしょ! でも、そうね……ドレスのお嫁さんになるなら、ちゃんと勉強はしたほうがいいのかも……そうよね?」
「その意気だよカムイ。僕も一緒にやるから、二人で頑張ろう」
「う、うん……頑張る……っ」
カムイはそう言うと、しっかりとドレスの隣の定位置をキープし、はにかんだ笑みを浮かべてドレスに自分が選んだアイスを手渡した。
「ところで、ウォン様はどちらに行かれたのですか? 先程からお姿が見えませんが……」
「ウォンさんならほら、あそこでお酒飲んでますよ。せっかく遠路はるばる来た記念に飲むとか言って……」
「ハハハ! 他人の家にやってきておいて酒を飲まないのは礼を失するそうだ! ウォン殿らしいな!」
見れば、ウォンは広場の隅に咲いた可憐な花の傍で一人酒をあおっていた。恐らくこの世界の酒であろうが、一体どこで手に入れたのやら。
さらにその周囲を通り過ぎる人々や犬などもウォンは完全に威圧してしまっている。やはり、一人静かに酒を飲むにはあまりにも存在感がデカすぎた。
「――――ではでは! せっかくメルトさんが買ってきて下さったのですから、溶けないうちに皆さん頂いちゃいましょうっ。クロガネさんの分は時間凍結して取っておきましょうね」
「俺はチョコ味を頂きたいぞ!」
「わ、私は抹茶をお願いしました!」
「クハハッ! 我が高貴なる舌にはこの鮮血にも似たブラッドチェリーが相応しいッ!」
「まあまあ、ちゃんと皆さんの注文通りメルトさんたちが買ってくれてますから、そう焦らずに。えーっと、ヴァーサスはチョコですね……」
立ち並ぶ摩天楼の間を駆け抜ける乾いた風が、ヴァーサスたちの間を通り過ぎていく。再び困難を乗り越えた彼らの笑みが、暖かな日差しと石造りの街並みの中に輝いていた。
そして、一方その頃クロガネは――――。
「本当にいいのか? ラリィ――――」
「――――ええ、もう決めたことです」
無機質なオフィスビルの扉の前。
『Inglis Detective Agency』と書かれたプレートを静かに外すシトラリイ。
どこか、憑きものが落ちたような穏やかな笑みを浮かべたシトラリイは、そのプレートを自身の革鞄の中に丁寧にしまうと、横に立つクロガネを静かに、しかしまっすぐに見つめた――――。
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