今ここに立つ門番
油断は無かった。
気配を探り、完全な消滅を確認した。
魔力の大幅な減衰と途絶を見たはずだった。
ミズハも、そしてルルトアさえも、神は死んだと確信していた。しかし――。
「――そんなっ!?」
「はわわっ!?」
空中で残心するミズハの周囲に青白い粒子が集まる。
見間違うことはない。それはさきほどミズハが
レゴスは確かに倒したはず。
しかし今、現実として目の前に極大の魔力の渦が現れたのだ。
この魔力の炸裂を許せば、ミズハもルルトアも死ぬだろう。
ミズハは刹那の迷いを振り払い、再び眼前のエネルギーを切断すべく、空を駆けた。しかし――。
『み……ごと……! み……事だ。人の子よ。私は嬉しい。心の底から嬉しさが沸き上がる。私の神としての座も、長く過ごしたこの時も、全ては君のような成長をこの目で見んがため! 賞賛しよう! 祝福しよう! 我が全霊を持って相対しよう!』
「――っ!」
ルルトアの力によってその支配領域ごと縮小され、ミズハによって両断、消滅したはずのレゴス。
そのレゴスの声が、音が、赤く染まった虚空の中に再び響き、それと同時、ミズハの周囲に数十にも及ぶ魔力塊が出現する。
これは――斬れない。
ミズハは悟る。自らの死を。避けられぬ消滅の結末を。
ならば、せめてルルトアだけでも――!
「ルルさんっ!」
「み、ミズハさんっ!?」
ミズハは肩に乗るルルトアを掴み、その小さな自分の体で庇うように抱きしめた。
「(すみません、師匠――)」
ミズハが最期に想ったのは、ヴァーサスの姿だった。
その直後。辺り一帯全てを抹消する破砕と破滅の審判が下り、ミズハの意識はそこで途切れた――。
――闇。
漆黒に塗り込められた闇の世界。
ミズハはその闇の中で、ヴァーサスの姿を見た。
闇の中のはずなのに、ヴァーサスの姿ははっきりと浮かび上がり、じっと自分を見据えている。その表情からは、ヴァーサスの感情を読み取ることはできない。
「し、師匠! ごめんなさい……私、やっぱりまだ弱くて……っ! 全然だめで……っ!」
闇の中、ヴァーサスへと駆け寄るミズハ。
ミズハは目の前のヴァーサスの視線に目を泳がせ、涙を浮かべて謝罪する。
自身の不甲斐なさを、任された門を守れなかったと、勤めを果たせなかったと。
ミズハは闇の中で何度もヴァーサスに詫びた。だが――。
「まだだ――」
「え……っ?」
ヴァーサスの熱く燃えるような眼差しがミズハを射貫く。
心臓が高鳴り、まるでその熱が伝播したかのようにミズハの鼓動を大きく動かす。
「まだ負けていない。終わってなどいない。自分を信じろ。すでに君は、俺が誰よりも誇りに思う最高の門番になった。俺は――ミズハを信じている」
「師匠――っ」
それは、刹那の時だった。
気づいた時、闇の中から抜けたミズハが最初に見た光景は深く広い荒野――否、それは先ほどまでどこまでも広がる草原だった場所に生まれた、巨大なクレーターの中心点。
半身を乾いた砂の中に埋めたミズハは、自身の体の下で傷を負いながらも息をするルルトアを見た。そして、自身の眼前でミズハを守るように銀色の粒子を放ちながら浮遊する二振りの刀――ミズハの愛刀、
「双蓮華……っ? まさか……私を守って……!?」
二刀一対の刃、双蓮華。
かつてミズハが家族の元を放逐された際、両親からその今生の別れの駄賃として手渡された、スイレンの家に伝わる守護刀。
ミズハの無事を見届けた双蓮華は、まるで安心したかのように、その役目を終えたかのようにゆっくりと輝きを失い、ミズハの眼前で音も無く砕け散った――。
「あ……ああっ! ああ……っ!」
ミズハは光の粒となって昇華していく双蓮華に向かい、泥と血にまみれた手を懸命に伸ばした。
知らなかった。
双蓮華に神の力すら遮断する守護の力が込められていたことに。
知らなかった。
ミズハの両親は、決して自分を疎んでなどいなかったのだということに。
両親は、過酷な武門のしきたりの末、二度と帰ることも許されぬ危険な旅路へと送り出されるミズハに、家の命とも言える刀を手渡していた。
どうか幼くか弱い末の娘が、少しでも危険から遠ざかるようにと。
その幼い命を繋げるようにと――。
ミズハの父も、母も、ずっと……ずっとこうして見守っていてくれたのだ。
「うっ……うぅ……うう……っ!」
ミズハはその役目を終え、荒廃した大地へと音も無く落ちた双蓮華の柄を拾い上げると、嗚咽を漏らしてその胸に抱き、力強く握り締めた――。
そして、その光景を上空から見つめる創造神――。
万物の親にして、悠久の時に渡り見守りし創造の神レゴス。
『ミズハ・スイレン……もうそれ以上動かなくて良い。楽にし、命を繋ぐことに努めよ』
レゴスの発したその声は穏やかだった。
それはまるで、泣きじゃくる我が子をなだめるような、そんな声だった。
『私は創造の神。たとえ其方がいかに限界を超えて高みに至ろうと、私は無限に私を創造し続けることができる。其方の力では、私の領域を侵すことはできないのだ』
砕けた双蓮華の柄を抱き、ズタズタの体で震えるミズハに諭すように語りかけるレゴス。
レゴスはその背に煌々と輝く後光を背負いながら、静かに続けた。
『ミズハ・スイレン。其方は我が最後の審判を乗り越えた。たった今其方に放った力に手心は加えていない。故に、それを受けてなお命を繋ぐ其方を私はこれ以上害するつもりはない――』
ミズハは動かない。傷ついたルルトアと双蓮華を抱いたまま、ただ俯いている。
『私は決めた。次の世界への君の同行を許そう。私はかつてここまでに至った子を知らない。無限とも思える種を蒔いては、それが花を咲かせることなく枯れるのを見た。それは私の心に暗い影を落とし、絶望すらもたらした』
レゴスはそのガラス玉のような瞳をじっとミズハへと向ける。
その瞳にも、無機的な表情にも、レゴスが発する言葉通り、ミズハという存在を見いだした喜びの色が浮かんでいた。
『ミズハ・スイレン。其方は咲いた花だ。私は悠久の時の果てにようやくこの目で命の開花を見た。私は其方を連れて行きたい。次の世界でも、其方を模範とした命が後に続くようにと願いたい。どうか、私と共に来てはくれないだろうか?』
「……っ」
レゴスはミズハを誘うように、穏やかに手をさしのべた。
その誘いを受けたミズハは、そっとルルトアを自身の胸元へ抱え、ルルトアが落ちてしまわないようにと、服の袖を切り裂いて体に巻き付けてその小さな体を固定する。
そしてゆっくりと立ち上がると、銀色の透き通った瞳で創造神を見つめた。
「連れていくのは私だけですか……」
『他の者が心配か? その気持、私にもよく理解できる……』
ミズハの問いに、レゴスは案ずることはないと笑みを浮かべ、言葉を続けた。
『安心するがいい。連れて行けるのは其方だけだが、次の世界においても今と全く変わらぬ外見、心持ち、関係性を維持したまま、もう一度世界を元通りに作り直そう。其方の両親も親しい友も、再びそこで幸せに暮らすことが出来る。何も案ずることは――』
「――ふざけるなっ!」
震えた。
それは、レゴス自身の震えだっただろうか。
目の前のこの小さな少女が発した気――。
明確な怒りというその感情の奔流が、レゴスの領域へと届き始めていた。
「そんなの……そんなの何一つ元通りじゃない! まるで違う! そんなもの……なにも幸せじゃない! 私の想いも、受け取った気持ちも……全部! 今ここにしかないっ!」
『ミズハよ……其方の気持はわかる。だが、どうか――』
「黙れっ! 私は門番だ! 父も母も兄も姉も、みんなこの世界で生きている! 師匠も、リドルさんも、クレスト様や旦那様、お屋敷の皆も、いつも私を応援してくれるみんなも、今ここで生きている! そんな皆の命を守るために……私は今! 門番としてここに立っているんだっ!」
ミズハが叫ぶ。
その叫びと共に、ミズハは既に刃が砕けた双蓮華の柄だけを掲げ、その切っ先があったであろう向きをまっすぐにレゴスへと向ける。
それは、ミズハが最期に見せる門番としての矜恃だった。
だがそれらは所詮こけおどし。
明らかに意味の無い虚勢。今のミズハの叫びも、怒りも、全ては無意味な意地を張っているに過ぎない。レゴスにはそう見えた。
『……私は悲しい……悲しいぞ……ミズハよ』
「ならば来なさい! 私はここから一歩も退くつもりはないっ!」
ミズハの柄を握り締める手から血が滲み、その腕を伝う。
レゴスはそんなミズハの姿に悲しみの音を発し、静かに終局の時を告げようとした。
だが――。
その時である。
『なにか……?』
「……っ?」
赤く染まった空に震動が走ったのだ。
その震動は空を震わせ、一度、二度、三度と。まるで、何者かが扉をノックしているかのように、突き破ろうとしてるかのように。
『馬鹿な……我らが総掛かりで張った特異点に干渉出来る者など……もしや、ヴァーサスとかいう人の子か?』
レゴスが警戒を強める。外界から隔絶された今のこの星へと干渉する手段は限られる。だが、ヴァーサスが持つという
レゴスは身構え、その震動の中心へと魔力を集中させる。その瞬間だった。
「チェエエエエイアアアア!」
『っ!?』
赤く染まった空が砕け、先ほど降臨したレゴスと同様に、次元の尾を引いて何者かが神々の領域へと突入したのだ。
――それは、あまりにも巨大な人型。
「やああっとかえってきたぞおおおお! 俺と勝負だああああ! ヴァァァサスゥゥゥゥ!」
その巨体、三千メートル。
この世界最大の巨人にして、あらゆる武を極めし最強の巨人。
かつてこの地でヴァーサスと戦い、
その帰還であった――。
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