家に帰る門番
ナーリッジの街を眩い閃光が柔らかく照らした。
魔王の迷宮とされる巨大な構造物が存在した場所から光の柱が立ち上る。
先ほどまで続いていた震動は止み、その光景を見た人々はあまりの神々しさにただ見とれることしかできなかった。
● ● ●
『研究所の転移と同時に、システムに残された最後の余剰エネルギーで門の封印を強化しておきましょう。貴方への門の転移も、それで今しばらくは時間が稼げるはず』
「ゴトー……」
『リドル様……どうか強く、幸せに生きてください。それは私だけでなく、あの時をここで過ごした我々全員の願いです。貴方と、貴方のご両親を侮辱するような行いをしてしまったこと、お許しください――』
● ● ●
裂け目への処置を終え、迷宮の外へと脱出したヴァーサス達。
目映く輝く光の粒子が立ち上るその光景を見つめるリドルは、我知らず胸に当てた手を握り締め、静かに涙を零していた。
まだリドルが幼かった頃、あの街には多くの人々が住んでいた。
彼らは皆、元いた世界で門の力に巻き込まれ、やむを得ずあの街ごと飛ばされてしまった人々だった。
エルシエルがあの街の放棄を宣言した後、彼らは街を捨て、この世界に根を張って生きていくことを選んだ。
大陸中の人々から魔王の居城として恐れられ、災厄の象徴と罵られた場所だったが、リドルはあの街で生まれ、あの街で育った。
家族で過ごした日々は本当に短い間だったが、リドルはあの街で誰からも愛され、健やかに成長した。
今、彼女が数え切れないほど遊んだ公園も、遊具も、家族三人でかけがえのない時間を過ごした家も、全ては光の中に消えていく――。
思えば、彼女が今日一日で体験した感情の強度は恐るべきものだった。
生まれ育った故郷への帰還。
ゴトーとの再会。
ドレスによる自身の存在そのものの危機。
リドル自身が門になろうとしているという恐るべき事実。
そして、ヴァーサスへの想い――。
ようやく全ての終わりを実感した今、それら沸き上がる無数の感情が、リドルの胸に去来していたのだ――。
「あ……っ」
その時、目の前の光景を見つめるリドルの肩に、そっと大きな手が添えられた。
驚き、振り向いたリドルの目に映ったのは、何も言わずに優しく微笑むヴァーサスの姿だった。
「大丈夫だ。何があろうと、俺はここにいる」
「ヴァーサス……っ」
瞬間、リドルはヴァーサスに縋り付くように身を寄せると、堰を切ったように大声で泣いた。
リドルは故郷を出てからの二年間。ただの一度も人前で弱音を吐くことなく、涙を見せたこともなかった。
街では笑顔を絶やさず、東西南北の門番達とは良好な関係を築けるように努めた。
家に帰ったあとも一人、感情を表せる相手などいなかったのだ。
だが今、リドルは故郷を出てから初めて人目をはばからず、思うまま涙を流した。
押し寄せる感情そのままに、母を失い、父を失い、たった一人で素性を隠しながら生きてきた今までの想いと、大切な思い出が詰まった故郷を失った寂しさの全てをはき出すように、リドルはただひたすらに、叫ぶようにして泣いた。
そんなリドルを、ヴァーサスはいつまでも優しく抱き留めていたのだった――。
● ● ●
「ただいま帰りましたよーっと!」
二人の暮らす小さな家に、暖かい光が灯る。
研究所の光は既に消え、辺りは夜の闇の中に包まれていた。
「ふわぁ……なんだかいっぱい泣いたらすっきりしました! ヴァーサスのお陰ですね! あんなに長々とお胸を拝借してしまいすみませんでした」
「気にしないでくれ! 俺の胸で良ければいつでも貸す。リドルは少々人よりも無理をするところがあるからな。たまにはああやって泣くのも健康的でいいものだ!」
「無理って……ヴァーサスがそれを言うんですか……私よりよっぽど貴方の方が無理無茶無鉄砲の塊だと思うんですけど……」
「ハッハッハ! そうかもしれん!」
オレンジ色の光に照らされた室内。
リドルは大きな肩掛けカバンを「どっこいしょー!」のかけ声と共に床に放り投げると、今回ばかりは本当に疲れ果てたというように自分のベッドへと身を投げ出した。
「私、疲れました……皇帝さんとのお話とか、これからのこととか、色々やらないといけないことがあるのに……なんということでしょう……瞼が勝手に閉じてきますよ……!」
「たしかにな……俺も本気を出したドレスの相手をするのはなかなかに骨が折れた……少し休息が必要かもしれん」
リドルだけではない。ヴァーサスもまた深く疲労していた。
ヴァーサスはボロボロになった甲冑を雑に取り外すと、汚れた上着を脱ぎ捨てて洗濯用の籠へと放り込む。
「ほんと……今日の私たちは頑張りました……もう限界です……」
「待てリドル。寝るならちゃんと毛布を掛けてから寝るのだ。まだまだ夜は寒いからな」
ヴァーサスはそう言うと、いつもよりも若干力のない足取りで毛布を手に取り、ベッドに倒れ伏すリドルの上に丁寧にかけた。
「うひゃあ……疲れて横になってるだけで勝手に毛布が現れました! ここは天国ですか?」
「フッ……そうかもしれんな」
ヴァーサスに毛布をかけられ、心の底から満足したというような声を上げるリドル。
リドルはもぞもぞと毛布にくるまりながらベッドに身を埋めると、毛布の端から顔の上半分だけを覗かせながらヴァーサスを見た。
「……ちょっといいですか? ちょいちょい」
「どうした?」
「うりゃ!」
呼ばれ、ベッドへと身を寄せたヴァーサスの手を不意に引っ張るリドル。
既に疲労困憊し、弱っていたヴァーサスは体勢を崩されリドルの横に並ぶように引きずり込まれた。
「な、なにを……っ!?」
「フッフッフ……ひっかかりましたね。まだまだヴァーサスも門番として甘いところがあるようです」
思いがけず一つのベッドでリドルと身を寄せ合う形になったヴァーサス。
ヴァーサスは反射的に抜け出そうとしたが、リドルはしっかりと手を回してそれを許さなかった。
「逃がしませんよ……ようやく私が見つけたとびっきりの門番様なんですから……ずっと……守って貰います……」
「む……むむ……むむむ……」
緊張で居心地悪そうにうめくヴァーサス。
そんなヴァーサスのほんのすぐ目の前で、リドルは満足げに微笑んでいた。
「ちょっと狭いですけど……我慢してください……今日何度もやってみて思ったんですけど、貴方って抱き心地いいんですよ……安眠に最適……」
「……俺は枕ではないのだが……」
「すぅ……すぅ……」
赤面し、困惑した顔で言い返したヴァーサスだったが、リドルからの返事は安らかな寝息だった。
「リドル……本当に疲れていたのだな……」
ヴァーサスは起こさぬように静かに呟くと、はみ出した自分の体にも毛布をひっぱり、一晩は安眠枕としての責務を果たすのも良いかと独りごちた。
「……しかし、これでは俺が寝れないのだが……」
やがてランプの灯がひとりでに消え、部屋を照らす光が月明かりだけになる。
穏やかな呼吸音は二つに増え、激動の一日が終わった。
お互いを気遣うような距離感で眠る二人。
その二人の表情は、とても優しく、幸せそうな色に満ちていた――。
『門番VS大迷宮 ○門番 ●大迷宮 決まり手:自壊』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます