第25話 夏休み ~長内さんと~ 中編

 なんとか灼熱の責め苦から解放されると、次に僕を待ち受けていたのは怒濤の人の波であった。

 開場してすぐにお目当ての品を求め、歴戦の勇者然とした参加者達は、慣れた足取りで会場内をひた走っていく。

 その数十、数百、いや……数千の人間が血眼になつて駆け巡り、すぐに行列が出来ているブースも見受けられる。

 僕はその光景にただただ圧倒されるばかりで、おろおろするしか出来ないお上りさんと化していた。


「あの一際行列が出来ているブースは壁サーだよ」


「うん壁サー。通称壁サークル。大きな開場の壁際に配置される超大手のサークルの事だよ」


「へー……なんだかすごい人気があるというか……。普通の参加者はあそこにブース構えられないの?」


「一般が?ムリムリ!壁なんて主催者の計らいでしか使えないんだから。殆どの参加者は『島』って呼ばれている小さなブースで僅かな部数を売るのに精一杯なのよ」


「ふーん。それにしても……日差しが無いだけで会場内も暑いことに変わりないんだね」


「ああ……眼鏡のガラスが曇るって言われるくらいだからね。下手したら外の環境より過酷かも」


 そう言われると、確かに会場内が曇って見えるような気が……こういってはなんだが、汗を滝のように流しているチェックシャツの方々から、気体となった蒸気がもうもうと立ち上がっているような幻が見えてしまう。


 それじゃあコレ、そう手渡されたのはサークル名がびっしりと記されたプリント用紙だった。


 ……え?


「本当は一緒に回りたいんだけど、スケジュール的に二手に分かれないと手に入れられなさそうなブツもあるからさ。とりあえずここと、ここ、それからここに向かって……」


 そんな感じで会場内のレクチャーを受けた僕は、五百円玉がぎっしり詰まったコインケースを受け取り戦場へと駆り出された。


「それじゃあよろしくね。何かあったら連絡して!」


 いざ行かん、と疾風のごとく壁サークルに突撃していってしまった長内さんを見送った僕は、とりあえず指示通りにプリントに書かれている同人誌を買い求め、一人流浪の旅へと向かったのだった――


 長内さんってあんな自由な人だったんだ……生き生きとしてるから、きっとこっちが本来の彼女なんだろう。

 僕は僕でちゃっちゃと依頼を済ませますか。まずはあそこで買って、それからあっちで――



「ふぅ……今日は幸先がいいぞ。この調子なら早めに空色君と合流できるかも」


 昼前にもなると、来場者の数はピークを迎え、特に人気のサークルの行列は初心者に二の足を踏ませるほどの長蛇の列をなしていた。

 私は運良くお目当ての人気サークルを早い時間で回ることが出来たので、午前中の戦可としては上々の立ち上がりだった。


 会場の隅で一息着いていると、スマホに彼からのメッセージが届いていた。


 こっちは順調だよ。

 それよりお昼どうする?


 どうやら向こうも問題はなさそうだ。


 報告ありがとう。

 こっちも順調だから午後は一緒に回りましょう。あと、お弁当を作ってきているから楽しみにしてて。


 少し素っ気なかったかしら――

 返信して既読が着くと、無性に恥ずかしくなって頭から湯気が立ち上った気がする。こんなの私のキャラじゃないんだけどな……。


 空色君をコミケに誘ったときは、さすがに引かれやしないかと少し緊張したけれど、私の心配をよそに空色君は引くどころか、嫌な顔一つ見せずに快諾してくれた。

 あれは嬉しかったなぁ。


 私のこれまでの人生で、趣味を受け入れてくれた奇特な人はごく僅かしかいなかった。その少数の中の一人である彼は、私のつまらない学校生活を彩ってくれた数少ない友人――いや、大事な存在にいつしか変わっていた。

 色恋なんて二次元の中の産物としか思っていなかった私が、夏の太陽に負けないくらい身も心も焦がれるなんて、数年前の自分が見たら失笑するに違いない。

 まぁ、優柔不断なところはあるし、決してラノベに登場するようなイケメンではないけれど、そんなのは些細なことでしかない。

 彼には彼なりのいいところがある。出来れば恋敵ライバルを蹴落として私が彼を独占したい――


 そんなことを考えてると、再びメッセージが届いた。


 ちょ、ゴメン!トイレに行ってくる!

 ってめっちゃ行列/(^o^)\


「ふふ……普通女子にそんなこと言う?」


 ちょっとコミケを舐めていた部分はあったけど、それはしょうがない。私も初めて参加したときはわからないことだらけで戸惑っていたんだし――


「初めて……か」


 チクリと、過去の古傷がチクリと痛んだ。ああ、そうか。未だに私は忘れてないのか。あの痛みを――




「あれ?みなじゃない?」


 突然声を掛けられた。

 何でこんなところに。

 いや、ここだからか。

 声の主に気付いた瞬間、心臓が止まりかけた。

 よく透き通る声は、昔からちっとも変わっていない。

 私自身目を背けたくなるような、深く暗い水底まで無遠慮に届く純粋な音色。


「ひまわり……」


 振り返ると、私がかつて裏切った友が向日葵のような笑顔で立っていた。



 to be continued……


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