第7話 秘めた想い

「おーい!麦穂ーっ!」


 僕は町中を東方西走、あてどなくさまよっていた。

 なぜかって?そりゃ母さんに無茶な条件を突きつけられたし、なによりあの明るさが取り柄の幼馴染がみせた、悲しげな表情が気にかかったから。


 あの会話で何が気に食わなかったのか、鈍感な僕はわからなかったけれど、とんでもない速度で走り去っていった麦穂の後を追いかけるのはなかなか無茶な話だった。

 運動神経抜群で、去年はとうとう陸上の全国大会にあと一歩というところまで勝ち進んだ幼馴染を追いかけるというのは、亀が居眠りしてからゆっくり着替えて目覚めの一杯を飲み干してから兎を追いかけるような無謀な話だ。


 それにあいにく自転車には乗れない。

 麦穂とは正反対に運動神経の悪い僕は、その事についてよくからかわれたりしたこともあったっけ――

 こんなときに限って、どうでもいいことを思い出す。久しぶりに親友のことを考えてるからだろうか。

 息を乱しながら、昔を、昔の思い出を遡る――


 麦穂は、今でこそ誰からも好かれるような明るい性格に見えるけど、昔は嫌なことがあったり自分の思い通りにならないことがあると、よく癇癪を起こして周りに八つ当たりしていた。

 どちらかというと、『自分勝手』『我が儘』そんな言葉がしっくりくるようなヤンチャでお転婆なお姫様だったけれど、ある日を境に、急に憑き物が落ちたように性格が変わった。


 ――あれはどうしてだっけ。

 もう何年も前のカビの生えてそうな記憶を引っ張り出して試みたけれど、それがいつだったかはついぞ見えかった。

 だけど、確かにその日から麦穂は変わったんだよな。


「それにしても、本当に何処に行っちゃったんだよ」



 麦穂アイツが立ち寄りそうなところはだいたい把握しているのに、部活後に寄るコンビニにも、放課後に訪れるファーストフード店にも、二人で世間話をする河川敷にも、おおよそ考えられる場所には影も形も見当たらない。


「もしかして……犯罪に巻き込まれたんじゃ……」


 次第に焦りが生じ、不安が恐れを生む。

 頭はネガティブな仮定ばかりが思い浮かび、何処に向かえばいいのかわからなくなってしまった。

 そのとき、スマホに電話がかかってきた。母さんからだった。


 もしかしたら、麦穂のやつ何もなかったように帰ってきたんじゃないか――そう思ったのだが、


「どう?麦ちゃんは見つかった?」


「いや……まだだけど、家にも帰ってないの?」


「そうみたいね。一応麦ちゃんママには事情は説明したけれど、もうすぐ日没だから見つからないようだったら警察にも――あ、ちょっと海ちゃ」


「あーあーあー。聴こえてるかな?真魚君」


 母さんから電話を奪った海が電話に出る。


「なんだよ海。なんか用?こっちは麦穂を見つけなくちゃならないんだから、話があるなら後で聞くよ」


「まぁ待ちなよ。少し落ち着いて。でないと見つかるものも見つからないよ。ほら、深呼吸して」


 う……確かに少し慌てすぎだったかもしれない。

 言われた通りに深呼吸を三回繰り返すと、周りが少し見えるようになった気がする。


「何事も冷静になるのが大事だよ。でないと大事なものも失ってしまうから。今回の件は、ちょっと私の大人げなさが招いた結果だから、首を突っ込ませてもらうね」


「あ、ああ」


「私の見立てだと、田処さんはそう遠くに言ってはいないはずだよ。恐らく一ヶ所に留まってると考えられるね」


「どうして決めつけられるんだよ。もう足が棒になるまで町中を探し回ったけど、どこにもいなかったよ」


「あの子は、まぁここで具体的な内容に踏み込むのは彼女に悪いから割愛するけど、私のせいで真魚君、君との想い出を汚されたような気分になったんだと思うよ」


「なんだよそれ。想い出?いったい何を言いたいんの」


「せめて失いたくない想い出、この場合だと想い出の地と呼ぶべきかな。そこで過去に浸ってるはずなんだ」


「だからどうしてそうだと言い切れるんだよ。麦穂とは今日会ったばかりじゃないか」


「わかるんだよ。同じような眼をした人達を数えきれないほど見てきたからね」


 僕の記憶のなかにその欠片ピースがあると告げると、電話は切れた。後は任せた、とでもいうように。



 だけど、海が話していたことが事実だとして、僕にはその想い出の地とやらは思い浮かばなかった。

 たいして大きな町でもなく、二人でどこかに出掛けた記憶もそうそうない。

 必死に考えて、考え抜いて、すると、些細な記憶が蘇った。


 あれは確か――




 ――あれは私が小学一年生の頃の話だ。

 当時は性格が尖っていて、少しでも気に入らないことがあれば、誰彼構わず当たり散らしていた。

 当然そんな爆弾みたいな子と好き好んで付き合うような友達は誰一人いなく、いつも一人だった気がする。

 いや、正確には一人だけ側から離れなかったか――


 空色真魚。同年代タメの鈍間な男の子。

 生まれたときから母親同士の付き合いにお互い付き合わされ、顔を会わせる機会は多かった。

 何をやっても不器用な子で、始めの頃は見てるだけでイライラしていた。

 物心ついた頃には常に私の後ろに引っ付いて離れないおかしな子だったことを覚えている。


 だけど、そんな近くにいたら私の癇癪の被害に遭うことは確実で、たぶん誰よりも私の我が儘に振り回されていたと思う。

 なのに顔を会わせれば、いつだってヘラヘラして懲りずに後をついてくるもんだから、そのうち私がお姉さんにならないとって思うようになって、まーくんの手を引っ張っていろんなところへ連れ回していた。

 そんな距離感にも比較的慣れはじめて、ある日小さな公園で遊んでいたとき、まーくんは尋ねてきた。



「ねぇ。どうして麦ちゃんは友達に怒ったりするの?」


「だって……みんな私の言うこと聞いてくれないし」


「ふーん。でもさ、怒ったあとはいつも寂しそうな顔してるよ?」


「え?私が?」


「うん。麦ちゃんは笑ってるほうが可愛いよ」


「――っ!」


 誰かに可愛いなんて言われるのは初めてだった。それが同世代の男の子からなんて、こそばゆかった。


「そ、そうかな」


「うん!だって僕ね、笑ってる麦ちゃんが大好きなんだよ」


「ええ!?そうなの?ええっと……その……あのね、まーくん」


「なあに?」


「私ね……まーくんとずっと一緒にいたい。後ろじゃなくて隣にいてほしいの」


 今思えば、あの言葉は私の精一杯の告白だったのかもしれない。

 そんなことに気づきもしないまーくんは、笑顔で首を縦に振ってくれたけど――



 気づけばその隣には見知らぬ女性がいるし……一目で私なんかより大人な女性ってわかっちゃったし……もうどうでもよくなっちゃった。

 また一人に戻ったほうが楽かもしれない。

 なんだか泣けてきた。ずいぶん泣いてたからもう涙は枯れ果てたかと思っていたけど、そんなことはなく再び頬を伝い落ちていく。


「どうしてこんなことになっちゃったのかなぁ……」



「おい!麦穂!」


 そのとき、幻聴が聴こえた。あまりに悲しくて脳が錯覚させたのだろうか。

 だとしたら余計泣けてくる。もう一人にしてほしいのに。


「なに無視シカトしてるんだよ!手間かけさせやがって」


「へ……?まーくん?」


「はいはいまーくんですよ。隠れてたのってこの公園だったのか。久しぶり過ぎて忘れてたよ」


 視線を向けると、まーくんが息を切らせて顔を覗かせていた。


「どうして……ここがわかったの?」


「ああ、海に電話でヒントをもらってね」


 ああ……やっぱり彼女が絡んでたのか。

 本当にあの人には敵わないなぁ。


「そんなことより!本当に心配したんだぞ」


「うん。ごめん……」


 私の場所は無くなっちゃったけど、こうして迎えに来てくれただけでと良しとしよう。

 すっかり日が落ちた公園には、子供のはしゃぎ回る声もとうに消え、私達以外に人気はなくなっていた。

 どうやら時間も忘れて土管のなかに籠っていたらしい。

 春とはいえ夜はまだまだ肌寒く、すっかり冷えきっていた手を暖めるように、ゆーくんは私の手を掴んで外へと引っ張り出してくれた。


「なぁ覚えてるか」


「なにを?」


「むかしむかし、ここで俺が麦穂と約束したこと」


「うん……忘れたことなんてないよ」


 そう言うと、まーくんは頭を掻いてバツが悪そうに白状した。


「いやさ、今日思い出すまであの日のことを忘れてたんだよ。スマン」


「ううん。もう何年も昔の話だもん。しょうがないよ」


「忘れてたけどさ、僕はいつだって麦穂の隣にいてやるからな。周りがどれだけ変わったとしても、それだけは約束する。だから、これまで通り僕の隣にいてくれるか?」


「……うん。うん。うん」


「ちょっ!?こんなとこで抱きつくなよ!」


 あの日の約束を忘れてたって言われたのは、ちょっと悔しかったけど、改めて約束してくれたのはとても嬉しかった。

 やっぱり、隣を譲るのは私の性分じゃないなぁ――



 そんなドタバタ劇になんとか幕を閉じた僕は、麦穂を家に届けてから満身創痍で帰宅した。


「人探しお疲れ様。ゆっくり休むといいよ」


 お風呂で一日の疲れを落としてベッドに倒れ込むと、いつの間にか僕が招かれた客のように振る舞っている海に尋ねる。


「なあ、海」


「なんだい?」


「人ってさ、案外弱いのかもしんないな」


「――急にどうしたんだい?十代特有の悩みってやつかな」


「そうじゃなくて、あれだけ明るかった麦穂がさ、あそこまで逃げ出したくなるようなことがあるなんて、なんか信じられないんだよ」


 それまで読んでいた本を閉じると、海は僕の隣に腰かけた。

 二人分の体重が加わったマットレスは余計に沈み、バランスを崩した僕は彼女の肌に触れたことで心拍数が上昇した。


「どれだけ得を積んだ僧侶だって、物事の道理を知らない赤子だって、弱さとは無縁でいられないものだよ。だからこそ他者との繋がりは金より尊いものなんだ。それを知ることが出来た君は、いくらか大人になったんじゃないかな」


 茶化すように頬笑む彼女の掌の上で、なんだか転がされてるような気がしなくもなかった夜だった。

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