第8話 手の平返し

「なぁ、真魚。わしも男じゃ。お前の気持ちはよーくわかるぞ」


「は、はぁ……」


「昔なら元服を迎える成人の年齢だが、現代ではまだ中学生だ。それに生活を支えられる基盤がないのは致命的。まだ親の庇護下にある子供であることはわかっておるな」


「だから勘違いしてるんだって。俺と海はそういう関係じゃないんだって何度も言ってるじゃんか」


 まるで何を選んでも同じ答えに辿り着くRPGのようなやり取りに、いい加減うんざりしているところだった。



 海も学校生活に慣れ始め、すっかり学校一のマドンナの地位を確立した頃、学校から帰宅した僕はじっちゃんに呼ばれて一対一サシで話すことになったのだが――

 蓋を開いてみれば、居候する形となっていた海との関係ばかりが話題に上がった。

 そういえば、じっちゃんが家に帰ってきたときには既に海がなし崩し的に実家に居着いていたわけで、一人娘の母さんに頭が上がらないじっちゃんは口を突っ込むことはしなかった。

 それがとうとう僕に白羽の矢を立ててきたようだ。



「それに今の時期は勉強が一番だろ。地に足つけて一人前の僧侶になってからでも良いのではないか。とにかくあの海という子がここで暮らすのは反対だからな」


「そんな!それはさすがに横暴だよ」


 さりげなく僕の将来を決定するような物言いについ反発するが、それ以上に海を追い出そうとするじっちゃんに無償に腹が立った。


「何が横暴だ。そもそも見ず知らずの子供が、さも当たり前のように家に居座っている状況を横暴と言わずして、いったいなんと呼ぶのだ」


「う……それはそうだけど」


「いいか。将来は金剛寺を継ぐ者として、身勝手なことをするのは許さんからな。今日中に親御さんに連絡を入れさせるんだ」


 そんなことを言われても、海の両親なんて千二百年以上前に亡くなってますなんて、真面目一辺倒な祖父には口が裂けても言えない。

 というか言ったところで信じてももらえないか、正気を疑われるのがオチだろう。


「返事は」


「わ、わかったよ……」


 話はそれまでと、憮然とした態度でじっちゃんは立ち去っていく。

 たった数日だったけど、海との共同生活は案外悪くなかった。それがこうもあっけなく終わりを迎えるとなると、体から力が抜けて立ち上がることができなくなってしまった。


「ああ、こんなとこにいたのかい。今お祖父様とすれ違ったけど、なんだかご機嫌ななめのようだったよ」


 僕を探していたのか、当の本人が現れた。

 何かあったのかい?と、いつものように小首を傾げて尋ねてくる。

 どうやってこの事を伝えたら良いものか悩んでいると、僕の表情から事情を察知したのか、少し残念そうな顔でじっちゃんが座っていた座布団に腰を下ろす。


「そっかぁ。一緒にいたかったけれど、お祖父様には認められなかったかぁ」


「あ、あのさ、じっちゃんには僕から認めてもらうように話するからさ。だからちょっと待っててほしいんだ」


 そうだ。母さんに頼めばなんとかなるかもしれない。

 微かな希望が生まれると、海は首を横に振る。


「いいんだよ。私もお母様の御厚意に甘えすぎていたかもしれない。こう見えても昔は野宿ばかりしてたからね。快適な居場所を見つけるには一家言があるのさ」


 にこりと微笑んでそうは言うが――

 その儚げな顔を目にした瞬間、僕の心はチクリと痛んだ。

 そんな顔をみたくはないのに、そうさせてしまった自分が情けなく俯くしかできなかった。


「きっと不器用な真魚君は、すぐにでもお引き取り願えと言われて、どう伝えようか迷っていたんだろ?幸い私の荷物は片手で足りるほど少ないことだし、出ていくなら今日中にでも出ていくよ」


「そんな……本当に出ていく気なの?じっちゃんの言うことなんて気にしなくてもいいのに……」


「本来なら出来すぎな話だったんだよ。それにさっきも言ったけれど、御厚意に甘えた結果がこれであって、お祖父様は決して間違いを言ってるわけではないからね」


 じっちゃんが言ってることは間違いない?

 本当にそうなのか僕にはわからなかった。

 居候とはいえ、中学生である女の子を追い返すのが本当に仏に仕えるものがやっていいことなのだろか――


「さて、それじゃあ最後に仏様に手でも合わせるとするかな」


 本堂の奥の大日如来像の前に腰を下ろすと、何やら印を結んで聞き慣れない言葉を呟き始めた。


「それって……何かの儀式?」


「うん。これはね、三密加持さんみつかじといって、即身成仏に至るための方法なんだよ」


「三密加持?始めて聞いた」


 海は、こちらを振り向かずに答える。


「私達人間は、普段煩悩を抱えて生きている。しかし仏はその一切の煩悩から解き放たれているんだよ。大日如来を表す印を結んで、真言マントラという大日如来の言葉を唱える。それと心のなかで大日如来を思い描くんだ。この三つを続けることで仏と一体化を目指す。この修行法を三密加持と言うから覚えておいて損はないよ」


「でも、空海には今さらな修行なんじゃ……」


「そんなことないさ。私は昔も今も人一倍欲ばりなことを知らないのかい?」


「それって……例えば?」


「昔はあまねく衆生しゅじょう……民を救いたいという、いわば誰かの為に生きたいという欲求に突き動かされていた。そして今は――ううん。それは内緒。さて、途中で会話を挟んでしまったからね。もう少し祈らせてもらうよ」


 それからどれだけの時間が経っただろうか。

 身動き一つしない海の背中を眺めていると、襖が開かれ僕を呼ぶ声が本堂に響いた。


「おい真魚!さっき話したことはちゃんと伝え……たのか?」


「ああ、じっちゃん……今邪魔しないでもらえるかな。今、海の好きなようにさせてるからさ」


 最後くらい好きにさせてやりたかった。

 いや、結構好き勝手してたようにも思えるけど、今日が一緒に暮らす最後の日なら、じっちゃんに歯向かうのもそんなに怖くはなかった。


「おい……真魚……あの子は、いや、あのお方は誰だ?」


「は?誰って、海に決まってるじゃないか」


 もしかしてじっちゃんボケたのか?と、一瞬疑ったが、どうやらそうではないらしい。ずっと背を向け続けている海から、見開いた目を離せないでいるように見えた。


「いったいどうしたの?」


「なんだ……あの慈愛に満ちたお姿は。まるで仏そのものではないか」


 そういうと、孫の目の前で女子中学生に向かい涙して手を合わせたのだ。

 僕にはひたすら厳しいじっちゃんがだ。


「ああ、これはこれは気付かずに申し訳ありません。話は伺ってますので、すぐにでも出ていくのでご容赦を」


 背後でやり取りしている声に気づいた海が、やっと振り向いて恭しく挨拶をする。


「いや、その件は白紙にさせてくれ。いや、むしろこの金剛寺にずっといてくださいませ!」


 じっちゃんは負けじと、畳に額をつけて土下座をした。


「「へ?」」



「海殿の三密加持を拝見させていただきましたが、まるで弘法太子を彷彿とさせるそのお姿に感銘を受けました。ひいてはこの金剛寺を孫の真魚と共に支えていただければと!」


「じっちゃん。さっきと言ってることが真逆じゃないか」


「うるさい。それで海殿……手の平を返すようで申し訳ないのですが、是非ここを自宅だと思って暮らしていただけると幸いです」


「……どうする?僕も、出来れば出ていかないで欲しいんだけど……」


 なんて答えるだろうか――不安に胸が潰されそうになったが、海の答えは――


「……私のほうこそ、今後ともよろしくお願い致します」




 その日の夜――




「真魚君があんなに私のことを手離したくないなんて、案外欲が深いんだねー」


「あーもう!わかったから茶化さないでくれよ!」


 ちょうどいい玩具を見つけたようにからかってくる海に、思春期真っ盛りの僕は余計なことを言ってしまったと後悔するが、どれだけ頭を抱えたところで後の祭りだった。


 でも――ホッとしているのはきっと本心なんだろうな。


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