第6話 知りたくなかった

「お前ら、とっと席につけよ〜」


 竹刀を片手に持つという、コンプライアンス的にどうかと思われる古風な担任教師が騒がしい生徒達を一喝した。


「さぁ、君達は今日をもって晴れて受験生となったわけだが、そんなめでたい日に転入生がやってきた。そんなわけだから皆でしっかりと出迎えてやってくれ」


 まるで芸者さんを呼ぶように両手を鳴らすと、静かに扉が開かれる。ていうか僕はその転入生が誰かを事前に知っているわけであって、何のサプライズにもなりゃしない。


 しずしずと扉から入ってきた生徒の容姿に、クラス一同男女問わず黙りこくってしまった。無理もない……昨日の僕もそうだったから。


 僕の後ろの席――幼馴染みで親友の麦穂も、それが誰だか知ってるわけで、その視線は僕の背中に剣山の如く尖ってらっしゃる。どうしてそんなに睨まれないといけないのだ。主に被害者は僕なんだけれど。


 理不尽な暴力を受けながら、緊張をまったく感じさせない海はお手本のようなお辞儀をして自己紹介を始めた。


「皆さん、始めまして。私は和歌山から転校してきました空乃海といいます。何分田舎者ですのでわからないことだらけですが、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます」


 仮にも中学生ならそんな畏まった挨拶はしないだろう。それに中学生が空海に教えることなんて何もないだろうに。


「なによ……イイ子ぶっちゃって」


 ん? なんか真後ろから変な言葉が聞こえたような気がしたけど……まさかね。


「あの、あの、空ちゃんは彼氏はいるの?

 いなかったら立候補しちゃおうかな~なんてねっ」


 うお、いきなしアクセル踏み込んだ質問をするな若林君……。二年までは別のクラスだった彼は軟派な性格で有名だったけれど、新学年になってもそれは変わらないどころか勢いを増してるようだ。

 陽キャな彼と陰キャな僕とでは正に陰陽対極に位置している。ならべく関わり合いにはなりたくないものだ。


 その恐れを知らぬ勇者の発言に、ある男子は便乗して三流記者のように海にずけずけとプライベートな質問をぶつけ、ある男子は沈黙を選び、密かに海の答えに期待をしていた。

 

女子の大半はそんな男子達のデリカシーのなさを批判しつつも、あまりに美しい海との容姿の格差に嫉妬を隠せていない様子だった。なかには関係ないとばかりに、校庭を眺めたり読書をしたり居眠りをしたりと、自由な生徒が男女含めて数名いる。


 まだそいつらのほうが仲良くなれそうな気がしたけだ、僕から話しかけることはないだろう。


 場が荒れに荒れるなか、担任が溜め息混じりに竹刀を振り上げたその時、その状況を静かに見守っていた海がある意味教室内を黙らせる一言を放った。


「ごめんなさい。今は真魚君しか見えていないから」


 はは……乾いた笑いしか出てこねぇや。


「真魚? 誰だそれ」

「おい、今なんて言ったんだ!?」

「真魚って男と付き合ってるってことか……」

「そういえば、あそこに座ってる男と登校途中に腕を組んで歩いていたの見かけたぞ」


 クラスメイト全員が示し合わせたかのように僕に視線を向ける。あまりの居心地の悪さに軽く吐き気を覚えていると、担任は振り下ろす先がなくなった竹刀を、たまたま空いていた僕の隣の席に向けてそこに座るよう海に指示した。


 圧力が強まる。圧力鍋かこの教室は。

 なんで僕ばかりこんな理不尽な眼で見られなければならないのかと、キリキリ痛むお腹を押さえていると隣に腰かけた海は、真っ黒な髪を耳にかけながら囁くように話しかけてきた。


「よろしくね。真魚君」


 耳が幸せだと初めて思った。


「まったく……少しは僕の身にもなってくれよ」

「ごめんね。つい真魚君の反応が面白くてさ」


 面白いからって、こんな事態に付き合わされていたら、僕はいつか同級生から刺されてしまうのではないかと戦々恐々とした。


 朝から殺伐とした空気になったものの、それ以降は特に問題もなく――男子から監視されてはいたが――時間はあっという間に過ぎ、下校の時間となった。


 後は誰の眼もない自宅に帰るだけだったのだが――本当ならもう自分の部屋でゴロゴロしててもおかしくない時間に、目の前では静かな戦いが繰り広げられていた。


「あの、空乃さん」

「なんだい?麦穂さん」

「朝のホームルームで話してたことって、本当なんですか?」

「またその話題かい。いつの世も噂話というものは尽きないものだね」


 困ったもんだと海はかぶりを振る。その余裕とも取れる態度が、体育会系の麦穂の機嫌を損ねていくのは手に取るようにわかった。


「何を余裕ぶってるのよ。ていうか、まーくん」

「え? な、なんだよ」


 流れ弾が飛んできて、避けきれずに被弾してしまった。


「どうして空乃さんを呼ぶときは下の名前で呼んでるのかな?」

「そう……だっけ? あまり意識してなかったけど」


(他の女子には絶対下の名前で呼ばない癖に……)


「なに? よく聞こえなかったんだけど」

「なんでもない! それよりもいい加減二人の関係を教えてよ。まーくんはハッキリと言わないし。もしかして空乃さん……何か弱味でも握って近づいたって訳じゃないでしょうね」


 どうしたらそんな答えに行き着くのか不思議でしょうがないけれど、麦穂は麦穂なりにこんな僕の事を気にかけてくれてたのかと思うと、少し嬉しくも感じる。


「どうせホームルームで話してたのも嘘なんでしょ? まーくんもいい加減本当の事話してよ」


 しばらく続いていた麦穂の攻め手ターンが終ると、海は僕の前で初めて深々と溜め息をついた。


「あのね。私は意味もなく人に嘘はつかないと決めてるんだよ。口から出る言葉には魂が宿るからね。なのに人間という生き物は物事を都合よく解釈したい生き物だ。こちらが事実を話したところで、受け入れる側が拒もうものなら、それはたちまち『嘘』になってしまう。会話にすらならないよ」


 そんな、冷たくも思える口調で麦穂を牽制する。なにやら言葉に棘があるような気がしなくもないが――もしかしたら怒ってるのか? 弘法大師の号まで授かった自分が嘘をついてると怪しまれてることに?


「さっきから何を言ってるのかさっぱりわかんないんだけど。私はまーくんに変な女がつかないか心配なだけだもん」

「おっと、変な虫とは私のことかい? いやはや……まさかこの私が虫呼ばわりされるとはね。確かに虫も命一つだし変わりはないかもしれないけれど、気分はよくないかな。それならちょうどいい、ついてきなよ」


 現実を見せてあげる――険しい目線で麦穂に告げた。言葉の応酬にすっかり疲弊した僕は、もうお腹が痛みっぱなしで口を挟む余地もなく、ただ後をついていくしか出来なかった。女子って怖いんだね。


 それから自宅までの帰り道は、僕を挟んで無言の帰宅となった。バチバチと静かに火花が散る間に、緩衝材として僕は存在したわけだけど、ハッキリいって居心地悪いことこのうえなしであった。


 僕の回りだけ酸素濃度が足りないんじゃないかと、いっそ気を失ってしまえばどれだけ楽になれるだろうかと現実逃避しかけたものの、ちりちりと肌を焦がすような二人の雰囲気プレッシャーにその都度現実世界へと連れ戻される。


 そんなこんなでようやく自宅に辿り着くと、どっと疲労感に襲われて玄関の引き戸を開く。帰宅に気がついた母さんが奥からやって来て僕達を出迎えた。


「ただいま、母さん」

「あらお帰りなさい。それに海ちゃんもね」

「海……ちゃん?」


 隣で麦穂は呆けている。どうしたんだ?


「あら、麦ちゃんも一緒なのね。もう真魚ったら、両手に花なんて百年早いわよ」

「ちょ、ちょっとおばさんいいですか!」

「なぁに? 麦ちゃん」

「えっと、海ちゃ、じゃなくて空乃さんのこと知ってるんですか?」

「ええ。だって将来のお嫁さん候補ですものすもの」

「まだそれ信じてるの? 勘弁してよ母さん。麦穂も真に受けちゃ……麦穂?」

「嘘つき……」


 顔を赤から青へ忙しく変えていた幼馴染みは、そう言い残すと何処かへ走り去ってしまった。あまりに突然の行動に、僕は呆然と見送るしか出来ずにいた。


「あらまぁ……変なこと言っちゃったかしら。ちょっと真魚。あんた麦ちゃんの様子見てきなさいよ」

「え? 僕が? なんでそんな面倒なことを」

「いいから行ってきなさい。行ってこないと夕飯抜きにするわよ」


 あまりに理不尽な要求に、自炊能力を持ち合わせていない僕は首を縦に降るしか選択肢はなかった。しょうがないから行ってくるか。


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