第50話 恋を失う

 もうすぐ年が明けようとしている。

 境内には雪が深々と降り積もり、誰の足跡も残さない。居間には、母さんのやたら大きな笑い声と、何を写しても空虚な映像にしか見えない毎年お馴染みのお笑い番組が流れていた。


 修学旅行から帰ってきたあの日、僕の元に届いたオーディションの結果はやっぱり不合格だった。

 だけど夢を諦められない僕は、じっちゃんに直談判を決行した。まさか僕がそんな大それた意思表示をするとは思ってもいなかったじっちゃんは、鬼神のごとく怒って、それはそれは大喧嘩となったけど、最終的には僕の意思に折れたじっちゃんと、高校まではちゃんと出ることと、卒業後四年という期間で結果がでなかったら、その時は寺の跡を継ぐという条件で許しを貰えた。

 たぶん母さんが裏で助け船を出してくれてたんだと思う。


 本当は心から喜びたかった。だけど、今はその喜びもせいぜい半分以下にしか感じない。

 なぜなら、本来なら喜びを隣で一緒にわかち合うはずだった大切な人が、もういないから。


 誰にも別れの挨拶もせず、ある日置き手紙だけ残して、僕の前から突然海は姿を消してしまった。あの日からもう二ヶ月が経とうとしている。そして数時間後には海のいない新年を迎えようとしていた。

 一緒にいる時間が当たり前だったのに、まるで一時の夢のように海は跡も残さずに消えてしまったもんだから、僕の時間もあの日から止まったままのようだ。

 受験勉強は辛うじて続けていたけれど、どうにもこうにも身が入らず、麦穂と長内さんには心配ばかりかけていた。


「あら、こんな時間に誰かしら?」


 母さんがよっこらせと立ち上がって玄関に向かう。来訪者が訪れたサインも気づかないほど、周囲の変化に興味がなくなっている。


「あら、麦穂ちゃんじゃない!綺麗な着物ねぇ。あら……そうなの?もう本当に海ちゃんがいなくなってから腑抜けちゃって困るわよ。麦穂ちゃんからもビシッと言ってあげて」


 なんだ?誰かと話をしている……。

 ああ、そうだった。母さんが余計な話をしてるけど、そういえば麦穂と無理矢理大晦日に初詣に行く約束をしてたんだっけ。

 てことは長内さんは今頃向日葵さんとコミケかな。

 面倒だから母さんが断ってくれてもいいんだけど――


「もう!まーくん約束したじゃん。年末詣に行こうって!」


 あわよくば帰って貰おうと願っていたけど、ここ最近性格が母さんに似てきたような麦穂に、僕は強く出ることが出来なくなっていた。

 自分でも信じられないけど、現在僕は麦穂と付き合ってる。海がいなくなって、今よりもっと生きる気力を失いかけていたとき、麦穂はそっと寄り添ってくれた。

 何度か八つ当たりのような愚かな真似だってしたにも関わらず、彼女の献身的な姿勢に何度助けられたことか。

 そしてクリスマの夜、僕は麦穂に二度目の告白をされた。断ろうとしたけど、「海ちゃんのことは無理して忘れなくてもいい。その代わり、いつか私に振り向かせてあげるから、それまで私にチャンスをちょうだい」と強い眼差しで訴えられ、その言葉が麦穂と付き合うきっかけとなった。


「わかったよ。十分で準備するからちょっと待ってて」


 自分でも酷い男だと思う。麦穂の優しさにつけこんで、ただ彼女を傷つけているだけだというのに。

 二階の部屋に戻って、寒い部屋で外行きの服に着替えていると、余計に一人であることを痛感させられる。

 二ヶ月前まではこの部屋に四六時中一緒にいたあの面影を探してしまうのは辛い。この部屋だけじゃない。どこにいても海と過ごした記憶のある地では、いるはずのない彼女の後ろ姿を探してしまう。


 階下から僕を急かす声が聴こえ、急いで降りた。

 こういう時、世の中の人間はどうやってこの痛みと向き合ってるのだろうか。やはり、時間が経てば、この気持ちも忘れられる日が訪れるのだろうか――



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