第49話 恋を学ぶ

「くそ……どうして一度もナンパが成功しないんだ!」


 同じ班の男子は、修学旅行という見ず知らずの地で、恋のイベントでも発生すると期待していたのか、手当り次第に他校の女子に声をかけてはことごとく惨敗していた。

 よくそれほど精神力が保てるなと呆れを通り越して尊敬すら覚えるほどだった。


「空色はいいよな~。俺達と違ってマドンナ三人の中から一人選べばいいんだし」


 そんな無責任な言葉がどこかから飛んでくる。

 思わず胸を抑えた。昨夜のことは、未だに僕の心の中で燻っている。もし、麦穂のことをフッたなんて口にしたら、その時は本当にボコボコにされそうで背筋が震えた。


「空色。スマホ鳴ってんぞ」


「あ、うん……って知らない番号だ」


 登録されてる件数なんてたかが知れているスマホの画面に、見知らぬ十一桁の番号が表示されていた。

 誰だろう――


「もしもし?」





「おい、さいちょ、じゃなくて最上先生。本当に上手くいくと思ってるんですか?」


 ここまでする必要があるかと疑問に思うが、手慣れた手付きの最澄にロープで体を拘束されていた私は、彼女の話していた稚拙な内容の計画にわざわざ乗っかって今に至る。

 場所は、現在使われていないとあるお寺の本殿――その内部で、囚われの姫君のような役を演じることになってしまった。

 あの不届き者の銀河という男は、キュッと絞められた後に最澄のその場で思い付いた、とあるアイデアに巻き込まれることになった。


「この男にぃ~海ちゃんがぁ~拐われたってぇ~真魚君にぃ~伝えるのよぉ」


「そんなことしてどうるすんだよ。ただ真魚君を困らせるだけじゃないか」


「知りたくないのぉ~?彼がぁ~どのくらい本気でぇ~空海ちゃんを助けてくれるのかを~」


「それは、」


 そんな馬鹿馬鹿しい話に乗るわけにはいかなかったけど、一瞬でも彼ならどうするだろうと想像してしまい、答えに窮した私は最澄の思惑通りに断ることが出来なかった。

 それからはあれよあれよと舞台は整ってしまった。



「今……何て言った?」


「空色真魚。これから伝える場所に一人で来い。さもないと、空乃海の安全は保証しない」


 どこかで聴いたことのあるような声の主が、僕を名指しで指名してきた。

 何を言ってるのか、訳がわからず理由を訊ねると、男とも女ともつかない相手はくぐもった声で笑いながら答えた。


「空乃海は既に手中に収めている。もし指定した時間に一人で辿り着かなかった場合、お前には二度と彼女は渡さない」


「何を言ってるんだ……おい、聞いてるのか!」


 用件だけ伝えると、電話は切れ、その直後に動画が送られてきた。

 その動画には、ロープで体をグルグル巻かれ、身動きが取れずに苦悶の表情を浮かべる海の姿が写っていた。

 頭が真っ白になる。どうして海がこんな目に――

 先程の声の主は何者だったのか、必死に思い出そうと試みると、以前ららぽーるで海に声をかけてきた、ジョニーズの銀河流星が思い浮かんだ。


「ふざけんな……海は物じゃないんだぞ!」


「お、おい……空色どうしたんだ?」


 僕のただならぬ雰囲気を察したクラスメイトに、ここから先は単独で行動する旨を伝え、困惑する彼らを残して僕は一人駆け出した。




 荒れた本堂は鼠の住みかになっているらしく、縄張りを荒らしている私達を威嚇するようにあちこちから足音が聴こえてくる。


「そんな都合よく行くのかなぁ……もし空色君が110番したらどうするの?むしろその方が確率が高いと思うけど」


「まーくんは、海ちゃんの身の安全がかかっているなら、警察には連絡をいれないはずだよ。自分で解決しようとするに決まってる」


 長内さんの意見は最もだった。真実を知っている私達からすれば滑稽極まる計画だけど、なにも知らない真魚君にしてみれば、これは狂言とはいえ拉致監禁事件だ。

 自分でどうこうするよりも警察に介入してもらうのが普通の選択肢だけど、麦穂ちゃんの意見もよくわかる。伊達に何ヵ月も一緒には暮らしていない。

 彼の人となりはよく理解しているつもりだ。こんな事態で、私の身に危険が及ばないように一人で向かってくることも。


「うんうん。麦穂ちゃんの~意見がぁ~正しかったみたいねぇ~。どうやら~一人で~やって来たみたいよ~」


 一体お前の聴力はどうなっているんだと突っ込みたくなるが、確かに本堂に向かってくる何者かの足音が聴こえた。

 徐々に近づく足音にドキドキしながら、三人は物陰に隠れて一部始終を眺めている。

 ガラガラ、と、勢いよく開かれた引き戸の向こうに、息を切らして立ち竦んでいる真魚君の姿があった。

 暗い本堂の中で縛られている私の姿を見つけるなり、大きな声で名前を呼んだ――海!――と。

 不覚にも、胸が高鳴ってしまった。最澄が仕組んだ事とはいえ、これは役得かもしれない。


「お、おう。ちゃんと時間通りに来たようだな……」


 ここで不幸にも最澄の魔の手に堕ちた男の出番だ。

 一応は役者の経験もあるようだが、恐怖の方が勝って大根役者の演技にしか見えないのが残念極まりない。


「約束通りに女は返してやりたいところだが……その前にお前の本心を聞かせろ」


 与えられた台詞をそのまま真魚君に伝える。


「本心?」


「そうだ。お前がどれだけこの女を大事に思っているか、俺を納得させられる事ができたなら、そのときは女は無事に返してやるよ」


 改めて聞かされるこっ恥ずかし過ぎる台詞に、赤面して俯かざるを得なくなる。

 でも、この羞恥心に耐えてまで、私は知りたかった。彼は私の事をどう思っているのかということを――



「僕は……海の事は大事だと思ってるよ」


 それは、どういう意味かい?


「大事とはなんだ。もっと分かりやすく答えろ」


「それは……」


 それは、それは一体――

 その時、知りたいと願う前のめりな自分を抑えるもう一人の自分が現れた。その自分は、首を横に振っている。


「もういい……やめさせろ」


 やっぱり止めよう。これ以上、この世に未練を残さない方が楽だから。


 その後、状況が飲み込めない真魚君には全員で謝罪をした。

 あまりに馬鹿げた内容に、流石に怒られるかと覚悟したけど、全てを聴き終えた彼は深く息を吐いてから床に尻餅をついた。


「なんだ~海に何もなくて良かったよ」


 へたりこんで力なく笑う彼の顔を見たとき、私は初めて彼と出逢った日に、自ら伝えた言葉を思いだした。だけど、どうやらそれは間違いのようだった。

 夢を叶えるとか、そんな大それた話じゃない。

 私がこの世に再び甦ったのは、きっと真魚君という人間に出会うことであって、私はそれを心の底から求めていたんだ。

 私は、君に出会う前から、恋をしていたんだね。

 そうかそうか、これが恋なのか。


 初めて理解したこの感情は、とてもじゃないけど悟りとは程遠いものに違いない。

 こんな気持ちを知ってしまったら、今日で弘法大師なんて大それた称号は返上しなくては。


 なんだか心が満たされた気がして、八百年前には流したことのない涙が頬を伝い落ちていった。


 ありがとう――真魚君。私に恋を教えてくれて。



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