第29話 夏休み ~麦穂と~ 後編

「おぇ……キボヂワルイ」


「だから無理しないほうがいいって言ったのに」


 フラフラと酔っぱらったように足をもつれさせて歩くまーくんを、私は目に留まったベンチで一休みさせることにした。


「ちくしょー……ジェットコースターのヤロー……」


 アトラクションに文句を言ってもしょうがないのに、ベンチで顔を真っ青にさせた彼の背中を、甲斐甲斐しく擦ってやる。

 申し訳ないけど、こんなときでも体に触れられるのはドキドキして嬉しかった。


 俯いて脱力している彼とは正反対で、私は絶叫アトラクションが大好きだった。なんなら何度でも乗るし、むしろティーカップとかメリーゴーランドとか、刺激のないアトラクションには興味がない。

 だけどまーくんは昔からこういう派手な乗り物はまるでダメで、小学五年生になってもジェットコースターに乗ると酔ってしまうほど、とても苦手としていた。


「あのさぁ……どうして仲の良い友達と一緒の班にならなかったの?誘われてたんでしょ?なのに……僕みたいなボッチと組むなんて、麦穂ももったいないことするなぁ……」


 息も絶え絶えに、顔を上げたまーくんは皮肉混じりに笑うと、天を仰いでベンチにもたれ掛かった。

 何処を見てるんだろうと視線を追うと、どこまでも蒼い大空を飛んでいる名も知らぬ鳥を捉えていた。

 そのままこちらに視線を向けることなく語り続ける。



「あんまり僕みたいな陰気な奴と関わるなよ。お人好しも良いけどさ、そのうち麦穂の評価までさがっちまうぞ」


「何言ってるの。私がまーくんと一緒に遊園地を回りたかったから別に良いの。それに……他人の評価なんて関係ないよ。だからそんな風に自分のこと悪く言わないでよ」


 まーくんは、数年前からひねくれたような性格になっていた。昔は私の後を何処までもついてくるような、無邪気で、可愛くて、それにたまに格好よくもあった男の子だったのに、お父さんを事故で急に亡くした日以来、途端に無邪気な笑顔も明るさも消え去ってしまった。

 残ったのは、空っぽになったまーくんの体だけ。


 昔みたいに何をしても感動することはなくなったし、情熱もなくなってしまった。まるで生きてることすら興味をなくしたまーくんの姿を見てるのが、私はとても辛く自分の事のように胸が苦しくなった。

 次第に同級生からも距離を取られるようになって、さらに一人の時間が増えていくという悪循環に陥ったまーくんを、私無い知恵を絞っては、あの手この手を使って元気を取り戻させるように頑張った。


 今日の遠足だって、下手をすれば仮病を使ってまで休もうとしてたくらいだ。

 そこを無理矢理引っ張り出してきて、今日は楽しんでもらおうと計画を立てていたんだけど……。

 止めようとしても苦手なジェットコースターに何度も乗ろうとするし、自分から苦しもうとしていた。

 なんだか楽しむというより、自ら傷つこうとしてるようで、見てていたたまれなかった。


「あのさ……まーくんのお母さんも心配してたよ?最近全然口を利いてくれないって。天国のお父さんも心配してるよ」


 私の言葉に反応を示そうとしないまーくんに、再度同じ言葉をかけてあげると――


「今父さんと母さんのことは関係ないだろ!頼むから放っておいてくれよ!なんで俺のことを一人にしてくれないんだよ……付きまとうなって言ってるじゃんか」


 その叫びが、「放っておいてくれよ」という叫びが針の返しとなって、私の心に深く刺さったような――そんな気がした。


 ――私はこんなに心配してあげてるっていうのに、どうしてわかってくれないの?

 ――どうして私の気持ちを理解してくれないの?

 そんな怒りが沸々と沸いてきて、気がつけば園内を一人でいる歩いていた。手のひらが軽く痺れたように痛む。



「あ……私、なんてことを……」


 思い返すと、まーくんのもとからただ離れただけでなく、どうやら怒りに任せて彼を思いきりビンタしてしまったらしい。

 喜ばせるどころか、感情的になって手をあげてしまった自らの行為に、穴があったら入りたいほどの愚かしさに身悶えした。

 辛いはずのまーくんをさらに傷付けてしまい、さらに一人きりにしてしまうとは、何をやってるんだ私は――


 だけど、素直じゃなかった私は、彼の元に戻るという選択肢を選ばなかった。

 ――もう知らない。一人でずっと落ち込んでいれば良いんだから。

 そんな風に、彼を罵り、彼に助けてもらった過去があることも忘れて、恩も忘れて、園内を一人彷徨い歩き、再びベンチに戻ってきたときには、彼の姿はそこにはなかった。




「ああ~確かそんなことあったね。すっかり忘れてたよ」


 場所を変えて僕達は観覧車のなかにいた。

 あの日に何があったのか改めて聞くと、あまりの恥ずかしさに穴があったら入りたくなる。

 顔から火が出そうとはこのことか、と夏の自由研究にもなりゃしない稀有な体験をしたわけだけど、横に座る麦穂の顔はずっと強張っていた。


「もう!忘れてたって何よ!ずっと不安だったんだからね……あれから学校ではいつもと変わらずに一人でボーッとしてたし。それに中学に進学してからはまた普通に話せるようになったから良かったけど……もしかしたら心の中では距離を取られてるんじゃないかって、ずっとあの日の事が忘れられないでいたんだからね……」


「いや、あの……僕の方こそゴメン」


「え?」


 ここは僕が頭を下げなくてならないだろう。

 ずっと笑顔の裏でそんな不安を抱えていた麦穂に、ちゃんと謝罪を伝えなくちゃいけない気がした。


「あの頃は自分が世界一不幸だと思ってた。一番近くにいた母さんにも当たってたし、元気付けようとしてくれてた麦穂にも迷惑かけて申し訳なかったね」


「えっと、もう怒ってない……?」


「そもそも怒ってなかったんだよ。ビンタされて自分の不甲斐なさに呆れてたんだ。翌日から麦穂に会わせる顔がなくて、それから中学生になるまでは気まずくて喋ることもできなくて……なんでこんなこと忘れてたのか自分でもわからないけど」


 僕の言葉に安堵したのか、深く息を吐いて胸を撫で下ろすと、ちょうどゴンドラは頂点に達するところだった。


「はぁ~良かった……嫌われてなくて」


「嫌うわけないじゃん。麦穂のこと好きなんだから」





「……え?今なんて言った?」




 ん?どうした?麦穂が動かなくなったぞ?

 不思議に思うと同時に、つい今しがた自分が発した言葉が脳内にリピートされていく――


『嫌うわけないじゃん。麦穂のことが好きなんだから――」


 ご丁寧にエコーまでかかってリフレインするフレーズに、ついに顔から火が出てしまった。


「わーーーー違う!違う!あの、あくまで親友としてっていう意味で!ちょ、なんで笑ってるの!?」



 最後は笑ってくれたけど、本当にこんな一日で麦穂は良かったのかなぁ。

 地上に到着する頃には、なんだか憑き物が落ちたように晴れ晴れとした笑顔に戻っていたから、良かったのかな?

 今日はなんだな色々と申し訳ないことをしたから、今度は自分から誘ってみるとするか――

 そんな柄にもないことを考えた一日だった。



 僕の夏休みの課題も、残すところあと一人。



 最後は、空乃海――最も手強いあいつの番だ。




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