第34話 夏休み ~空乃海と ~ 後編
「う~頭痛い……それになんなんだこの気持ち悪さは――」
翌朝、やたら煩い雀の鳴き声に起こされた私は、こめかみを押さえながら記憶にない布団の上で目を覚ました。
はて、いつの間に床に就いたんだろう。
「あたた……頭痛持ちでは決してないはずなんだけどな……」
そう、この不快感はまさしく「胸が焼ける」という慣用句がピッタリな症状なんだけど、じゃあ何が理由でこの頭痛やら吐き気やらに襲われているのか思い出そうとしても、霧の中を探るように見当がつかなかった。
というより、昨晩の記憶が残ってないんだよね……いやいや、まさかね、そんなことはないはずだ。
なんだか息が臭うとか私の勘違いに決まってる。
いくらなんでも、ねぇ……。
「あ、真魚君おはよう」
同室だった真魚君に声をかけると、ビクッと大袈裟に体を震わせて、何やら妙に落ち着きなくそわそわしていた。
――どうしたんだろう。なんだか凄く嫌な予感がする。
「あ、あのね、真魚君。昨晩の事なんだけど」
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼく、朝風呂入ってくるね!」
「え」
肝心なことを尋ねようとするや否や、まるで言い訳をするように部屋を去っていってしまった。
これではますます嫌な予感が現実味を帯びていくではないか。
仕方がないから誰もいなくなった部屋で一人考えるとしよう。
――うん。さっきから視界にちらっと映りこんでいたのは、どうみても私のサイズである下着に間違いないね。
最澄はあんな慎ましくないもん。かといって真魚君が私と同サイズの下着を衣服の下に身に付けていたとしたら、それはそれで問題だけれどその可能性は0に等しい。
「どれどれ……」
浴衣の下を確認すると、やはりというべきか、やってしまったというべきか。
うーん困ったなぁ。
そういえばさっき……真魚君が部屋を出ていくときに見てしまったんだよなぁ。
彼の首筋に赤い痕が付いていたのを。
うーん。困ったなぁ。これは困ったぞー。仮にもあの二人と同盟を結んだというのに、私がもし率先して破ってしまったなんてバレたりしたら……
「くしゅん……う~冷えたかな……ほとんど裸同然だったし。私も朝風呂に浸かってくるとするかな」
そういえば昨晩は折角の露天風呂にも浸かった記憶がないので、頭をスッキリさせるためにも浴場に向かうと、そこには先客がいた。
「あらぁ~昨晩はお楽しみでしたねぇ~」
同じ女性の私から見ても暴力的な肉体を保有している変態女が、いちいち扇情的なポーズで露天風呂を満喫していた。
それよりもお楽しみとはなんだ。お楽しみとは。そこら辺を詳細に教えろ。
体を流してから、対角線になるように肩まで浸かり問い詰める。
「ん~どうしようかしらぁ……話してもいいけど~後の事は自分でどうにかしなさいよぉ?自己責任だからねぇ」
貴様の辞書に自己責任なんて高尚な言葉は載っかってないだろうと野次を飛ばしたくなる口を抑えつつ、昨晩何があったか彼女の言葉に耳を傾けた――
「昨晩はぁ~夕食時になってもぉ空海の機嫌がずっと悪かったわけぇ」
「……そういえばずっと不貞腐れていたよ。だって真魚君と二人きりだと思っていた旅行に、とんだ疫病神がついてくるだ。誰だって怒るだろう」
「それでぇ~いい加減私もカチンときてぇ~自分の部屋に戻って呑み直そうとしたのよぉ~。そのあとすぐに~真魚君が部屋に戻りましょうって後をついて来たの~」
「ふむ……それで?」
「しょうがないから~真魚君の顔に免じてぇ部屋に戻ったわけぇ。そうしたらぁ……空海ったらぁ私の飲みかけのお酒を~一人でチビチビ飲んでるんだものぉ~驚いたわよぉ」
その話を聴いて、想定しうる中で最悪なパターンだということが解った。
「……ええと、つまり私は酔っ払ってしまったんだね……」
「モチのロンよぉ」
その瞬間、はぁ~、とアルコール臭い溜め息が漏れてしまった。中学三年生の婦女子が漏らしていい臭いでは決してない。
頭痛が三割増しで痛くなった気がする。これは今後の真魚君とのつきあい方に頭を悩ませてるせいだ。きっとそうに違いない。
ブクブクと蟹のように泡を吹き出しながら温泉に浸かると、最澄が痛いところをついてきた。
「酒の一滴でもぉ口にすると酔っぱらってぇウザ絡みする空海だものねぇ」
「煩い!そんなことはわかってるよ!それでその後私はどうしたんだ。さっさと話してくれ!」
私の悲鳴に近い叫びに、悪魔のような顔で笑みを浮かべる最澄は、その後の出来事を愉しそうに語った。
「じゃあ~覚悟しなさいよぉ……まずはぁ――」
「あの……真魚君」
「へ?な、なにかな」
先に朝風呂から帰ってきていた真魚君を見つけた私は、最澄から聴いた数々の所業について深く深く謝罪をした。
八百年前でもこんなに誰かに頭を下げたことはない。
それはもう膝をつき、両手を添え、頭を床に擦り付ける具合で。究極の土下座に違いない。
「まさか……酔っぱらった揚げ句、あんな事やこんな事も……そのうえそんな事もしでかすなんて……全くもって私の修行不足だよ。本当に申し訳ない」
「いやいや、僕も、その……最初は驚いたけど、そんなに嫌じゃなかったというか……ゴニョゴニョ」
真魚君は顔を赤らめて、よく聞き取れない声量で何やら呟いた。もしかしたら……怒られてない?
「えっと……それはつまり、今後私を嫌われてないってことかな?そうなのかな?」
「当たり前じゃん。だから土下座なんて今すぐ止めて顔を上げてよ」
赦しの言葉を聴いた瞬間、全身の力が抜けてその場でへたりこんでしまった。心の底から彼に嫌われずに済んで良かったと、ホッと一息つく。
「そうか……良かった~嫌われたかと思ったよ」
「僕としては、最上先生とも仲良くなってほしいけれどね」
「え?最澄と?」
唐突な言葉に私は面食らった。どうしてここで最澄の話題が出てくるんだ?
「だってさ、八百年前に喧嘩別れしたまま亡くなったのに、奇跡的にこうして再会を果たしたんだよ。確かに最上先生は変態だし、海は誰が見ても真面目で相性は水と油かもしれないけどさ、またいがみ合ってばかりじゃ、なんだか現世に甦ったのにもったいない気がするんだよ」
「もったいないって?それは考えたことなかったな」
「神様がいるなんて僕にはよくわからないけどさ、せめて第二の人生は昔に縛られないで生きてもらいたいとも思うんだよね。僕達がこうして出会えたことは、それはそれは考えられないくらいの奇跡がもたらしてくれたものなんだから」
「……そうだね。ちなみに神様じゃなくて仏様と呼んでほしいな」
「やっぱ海は真面目だよ」
こうして私と真魚君――そして最澄を含めた三人のドタバタした旅行は終わりを告げた。
お土産は酷い二日酔いだったけど、気分は青空のように澄み渡っていた。
帰りの車中、隣で真魚君は夢の世界に落ちていたけど、どうやら私のせいで睡眠不足だったらしい。
彼の横顔を見つめていると、無防備な寝顔に思わず笑みがこぼれてしまった。
まさか自分が諭される日が来るなんて、夢にも思わなかった。
ふと、熱を感じて頬に手を添える。
僅かに火照っていることに気がついた。
まだ朝風呂の影響が残っていたのかな――
たまたまバックミラー越しに最澄と眼がかち合う。
「それって~分かりやすい恋よね~」
「煩い!前見て運転しろ!」
やっぱこの女は嫌いだ!
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