第33話 若かりし頃
「また問題を起こしたのか……この変態僧侶が」
轟々と護摩壇の中で燃え盛る
そこには真っ赤な焔とは対照的な、こちらを見下したような冷やかな眼を向けてきた。
思わず背筋がぞくぞくと震えた。
そういう目は嫌いじゃない。
「あらぁ~失礼なこと言うわねぇ……。私は可愛い可愛い愛弟子たちにぃ愛を教え伝えてるだけよぉ。いわばぁ『愛の伝道師』ってところかしらぁ?」
鋭い目がさらに鋭利になり、侮蔑を隠そうともしない彼女は私のお気に入りと同時に、面倒な人物でもあった。
「ふん。天台宗がそんな体たらくだからこそ、真に真言宗が衆生に必要とされるべきなんだ」
「そんなこと言ってぇ~京に入れなくて困ってたのはぁ~どこのどなたでしたっけ~?口添えをして入京出来たのはぁ私のお陰でしょう?」
共に唐で密教を学んではいたが、先に帰国した私とは違い空海は師の元で研鑽を積んだ。
私が天台宗の祖として朝廷の覚えがめでたかった頃、ようやっと帰国した空海はまだ大々的に真言宗の祖として活躍はしていない時期で、天皇からの評価も低いことが災いして京に立ち入ることを禁じられていたところを、私が機転を利かせて入京させたのだ。
だけど、当時から頭一つ二つは僧としての才覚が飛び抜けていた空海のことを、私は密かにライバル視していた。
同じく唐に渡ったはずの自分が師から授かった教えが、空海が師から授かったものに比べ劣るものだと自覚すると、それはつまり空海こそが後継者足り得るということではないかと、普段は感情に左右されない私がその時だけは薄暗い嫉妬の炎で身の
――何故、私が選ばれないのだ、と。
京都に入京出来ずに困っていた空海に手を差し伸べたのも、空海が唐から持ち帰った二つの経典――「
「少し歩こうか」
修行を中断した空海は、私を表に誘い出すと、桜が満開に咲き誇る庭園をぞろ歩きだす。
丹念に手入れされた枯山水も、草木も、まるで浄土もかくやという光景だった。
「なあ最澄」
「なにかしらぁ?」
こちらを見ようともしないで空海は語りだす。
いつものことだ。
「世は天皇がコロコロと代替りすることによって政情不安が一層高まり、立て続けに起こる
「なによぉ藪から棒にぃ~」
珍しく弱音を吐くなと、その時は単純に思った。
それは己の修行が足りないからだと言いきるのは容易かったけど、彼女がより一層修行に邁進していくのは目に見えていたので、それよりも私に不足している密教の教えを一刻も早く教えてもらいたかった。
顔を会わせる度にその都度教えてくれないかと頼んではいたが、一向に首を縦には振らないことに業を煮やし、それなら弟子にしてはくれまいかとプライドを圧し殺して頭を下げ、ようやく認めてもらうに至る。
経典を教えてもらうどころか、触れさせてももらえない日々にうんざりしていた。
「見てみろ。この寺から一歩外に出てしまえば、まさに末法の世が
「無理を言わないのぉ~万里を見透せる仏とは違うんだからぁ~。ただの人の癖にぃ無理ばかり言わないのぉ」
「それでも私は……人の身でありながら衆生を救わねばならないんだ。それが私の使命なのだから――」
「根の詰めすぎはぁ~よくないわよぉ?一人でぇどうにも出来ないことなんだからぁ。私にみたいにぃ~適度に気を抜くのがいいのよぉ」
「全くお前は……そう言って人の道を逸れたような真似ばかりしてるだけだろ」
頭上に咲く花弁に手を添えると、思い詰めたような声で彼女は声を振り絞る。
「いつか、私にも誰かを救えることは出来るのだろうか……」
今も昔も、よくも悪くも真面目すぎるのが珠に傷だと思う。
そんな融通の利かない空海と、とうとう
空海のもとで修行し、一旦は別れたあと自ら文を書いて送り届けた。
そこには空海が唐より持ち帰った全ての経典の内容を教えてくれ――そう頼む内容を書いて送ったわけだが、それに対する返答は、格が上である私の期待を大きく裏切るものだった。
――三年間は私のもとで修行に励むこと。でなければ伝授することは出来ない。
「な、なぁんですってぇ~」
天台宗を率いる私にそのような時間などあるわけなかった。
それを知った上での空海の返答に、思わず書状を破り捨てて激怒した。
その日に送り返した書状には、空海がいかに夢想家であるか、現実が見えてないかをそれは
「そんな感じでぇ~ようは~お互いどちらがぁ優れてるのかで喧嘩別れしたのぉ~」
車体の
「はぁ……案外しょうもないですね……」
「でしょ~?紙に書かれた文字を~有り難がったところで~幸せになれるわけでもないのにねぇ」
思っていたより子供じみていた確執の原因に、これまで勝手に海に抱いていた高すぎるイメージが、手の届きやすいところまで降りてきた気がする。
そういえば、人の言葉を無視したり、意固地になったりするところは、昔から変わってないのかもしれないなぁ――
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