第24話 夏休み ~長内さんと~ 前編

「……ねぇ。長内さん」


 けたたましく鳴く蝉の鳴き声にかき消されるほど、か細い声で隣に座る少女に声をかける。

 容赦なく頭上高くから照りつける真夏の太陽が、かれこれ二時間はじっと耐えてる僕の体力と精神力をガリガリと削り取っていた。

 このままでは干からびてしまう――そう――即身仏のように……はは……笑えない……。

 残り僅かとなったペットポトルのキャップを開け、まっ逆さまにして勢いよく飲む。からからに渇いた喉を潤すには足りやしないが、無情にも中身は空となってしまった。


 僕の声が届いてないのか、ちゃっかり自分だけ折り畳み式のイスを準備して、日傘、帽子、携帯式扇風機……それにクーラーボックスを持参してきた長内さんが涼しげな顔でスポーツドリンクを飲んでいる。

 最初に見たときは、キャンプにでも出掛けるのかと訝しんだけど、今思えばそれは必要な装備であった。


 朝一番に駅前で集合した僕達は、まずお互いの格好を見てぎょっとしたもんだ。

 長内さんはアウトドア女子のような重装備でやってくるし、彼女は彼女で僕の軽装を見るなり溜め息をついた。なんもわかっちゃいないと言わんばかりに盛大に。

 ――もしかしてダサい?確かに母さんのセンスで洋服は買ってるけども……そんか溜め息をつかれるほどのダサさなの?

 胸中は夏に沸き立つ積乱雲のように乱れたけど、彼女の口から出てきた言葉がそうではないことを伝える。


「事前に伝えたよね。『熱中症対策はしっかりしてね』って」


「え?だからこうして飲み物を持参してきたんだけど……」


 そう言って五百ミリのペットボトルを見せたけど、何故か首を横に振られた。

「それじゃあ全然足りないよ」

 なら、そのときは途中で買い足せばいいじゃないか、その程度に考えていたけど、それも見通しが甘すぎたことを後に知ることになる。



 ヘロヘロになっていた僕に、長内さんはクーラーボックスの中からキンキンに冷えたスポーツドリンクを一本取り出して手渡してくれた。


 ――そうか、こういう時のためにクーラーボックスを持ってきてたんだ。


「ごめんごめん。私も言葉が足りなかったね。でもコミケを舐めちゃダメってあれほど言ったじゃない。『一にも二にも水分補給』これ鉄則だから覚えておいて」


「うん……正直舐めてた。こんな苦痛を耐えてまで皆コミケに参加してるんだね……」


 コミックマーケット――通称「コミケ」

 年二回、東京ビッグサイトで催される世界最大の同人誌即売会だ。

 夏と冬の二回開催されるらしく、多い年には参加するサークルがなんと三万を超え、来場者はなんとなんと七十万人に達する事もあるとか。

 僕も知識としてはコミケのことは知っていていたつもりだし、ニュースでアリの群のように列をなす映像を目にする度に、「よくそこまでするよな」と暢気に眺めていたけど……自分が参加する側になって初めて知った。

 コミケは、物見遊山で訪れるイベントではないということを。


「じゃあ約束通り、今日一日私に付き合ってね。空色君」


「ぜ、善処させていただきます……」




 どうしてこうなったかと言うと、遡ること嵐の体育祭終了後のことである――



「え?僕が一人ずつ言うことを聴く?どうしてそんなことになったの?」


 そそくさと人目につかないように化粧を落として着替えた僕は、海にそんな不都合極まる条約を締結するよう迫られた。

 ホワット?それってなんて罰ゲーム?

 僕の戸惑いなんてお構いなしに話は進んでいく。


「大丈夫だよ。三人で話し合ってね、私達が真魚君にお願いすることはそう難しいことじゃない内容にするから。この夏休みで消化できる優しいお願いさ」


 どうして肝心な僕を省いているのでしょうか――


「そうそう。まーくんだって一人きりの夏休みとか寂しいでしょ?だからこれは私とまーくんにとってもウィンウィンなんだよ」


 それは内容次第なのでは――


「そうね。決してかぐや姫のような無理難題は言わないから安心して。あくまで現実的な申し出しかしないから」


 三人の言うことを聴くというのが、非現実的な気がするんですが――


 三人が三人して捲し立てる。反論する余地すらない。お手上げ。

 普段はどちらかというと相性の悪そうな組み合わせなのに、偶にこうして息がピタリと合うものだからタチが悪い。

 結局僕が女装した甲斐はなかったわけで、あの変態教師を心底怨んでいると、長内さんが顔を赤らめながら僕の正面に立った。

 そういえば、これまで彼女のことは一人部室で読書(BL)を嗜む深窓の令嬢――といったイメージを勝手に抱いていたけど、案外負けず嫌いなところもあるんだなと、この体育祭で新しい一面が見えた気がする。

 僕は彼女のことをよく知っているようで、実はなにも知らないのかもしれない。もう少し歩み寄るべきかな――そんな柄にもないことを考えながら長内さんの「お願い」を待っていると……。



「実はね……」


「うん」


「私……イキたいの」


「うん……え?」


「すごくイキたいの!」


「ちょ、ちょっと待って!?なんだか字面が怪しくない?」


「字面?何を言ってるのよ、空色君ったら」



 まさか正論を返されると思いもせなんだ。


 パキッ


 その時、背後で何が折れる音がした。

 驚いて振り向返ると、校舎の隅からこちらを覗き見る女子生徒の姿が。


「ひっ!」


 視線がかち合った瞬間に、妖怪でも見るような悲鳴をあげられる始末。

 僕の評価ってどこまで落ちてるんだい?


「あ、あの、勘違いしないでね、これは、」


「わ、私、何も見ても聞いてもいませんからぁ~~~!!!」


「あ、ちょ待てよっ!」


 終わった。これはまたしても僕の不名誉な噂が校内に拡がるパターンだ。恐らくギネス級の早さで全校生徒の間に広まるだろう。

 もうちょっとやそっとの事じゃ動じなくなっていたけど、そろそろ風紀委員にしょっぴかれやしないか、本気で心配になる。



「あのね、空色君と一緒に……コミケに行きたいの」


「あの、僕の元から無い好感度が地の底まで落ちていきそうなんですけど……ってコミケ?コミケってあの夏にビッグサイトで開催される同人誌即売会のこと?」


「そうよ。実は一緒に回る予定だった子が急遽行けなくなってね、それで……空色君にお願いしたいの」


 なんだ、その程度ならお安いご用だ。

 そのときは気楽に構えていた。

 あれほど過酷な苦行とも知らずに。


「うん。いいよ」


「本当?良かった!じゃあ当日楽しみにしてるね!」


 一緒にコミケを回るのが僕で良いのかと疑問に思うけど、想像以上に喜んでくれたようで大輪の笑顔が咲いた。

 こちらとしてもそこまで喜んでくれると嬉しくなり、つられて笑顔になる。

 しかし、その笑顔はそう長くは続かなかった――


to be continued……

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