第27話 夏休み ~長内さんと~ 後編

 まさか……ここでひまわりとばったり出くわすなんて、神様が存在するのなら、きっと相当に性格がねじ曲がってるにちがいない。

 私が彼女と距離をとるようになって、別々の中学校に進学したというのに、どうしてこういう再会を神様は成就させてしまうの?



「卒業してからだから、もう三年ぶりかぁ。みなったらすっかり大人っぽくなって羨ましいな」


 そう満面の笑みで話しかけてくる彼女の容姿は、あまり変わっていないように思えた。まるで過去の亡霊が突然目の前に現れたようで、思わず目を背けてしまう。直視なんて出来たもんじゃない。

 すると、逸らした視線が彼女の手元で止まった。


「……それって」


「ん?ああ……これ?私が書いた同人誌だよ。さっきお金だけ支払って受けとるの忘れたおっちょこちょいなお客さんがいてね、それで今探してるんだ」


「そう、なんだ。まだ書いてるんだね……」


 てっきり、彼女も私と同じように筆を側の人間かと思っていたけど、どうやら一人で書き続けていたらしい。

 ズキリ、と胸が痛んだ。

 私が裏切った後も、一人で書いてたんだ。


「もしかして、みなも続けてるの?」


 あの頃となにも変わっていない真っ直ぐな瞳が、私の神経を逆撫でる。

 どうして貴方はそんなに図太く生きられるの?あんなに扱き下ろされたのに、どうしてまだ続けられるの?私が弱かっただけなの?


「私は……もうそんな真似しないわよ。今は読む側で十分楽しんでるから。どうせ続けてたって何も良いことないじゃない。見てみなよ、この会場」


 ビッグサイトの屋内で汗まみれになる参加者たちを見下して吐き出した。


「こんなこと続けてたってさ、プロになれるのなんて精々一人か、もしかしたらゼロの可能性の方が高いわけじゃん。一体何の為にかき続けてるの?趣味?趣味なら適当だって構わないだろうけど、はは……プロを目指すなんて徒労も良いところだと思わない?そんなのは才能を持った一部の人に任せてればいいの。私もアンタも、とっとと諦めた方が時間を無駄遣いしなくて済むに決まってるじゃ――」



 ぱん――



「……えっ?」


 乾いた音が鼓膜に響いたと思った瞬間、頬に熱を感じた。遅れて痛みがやって来る。

 何が起きたのか理解できず、正面のひまわりに目をやると、必死に涙を堪えているように見えた。

 その瞬間悟った――言ってはいけないことを言ってしまったんだと。



「あ、ごめ……」


「みなの馬鹿!」


 そう言い残して、ひまわりは走り去ってしまった。痛みだけ残して。




「お待たせー……って長内さんどうしたの?もしかして泣いてる?」


「……泣いてなんかない!」


 無事に間に合ったトイレから帰ってくると、うずくまって座っていた長内さんの目元が、赤くなっていた。明らかに泣いているではないか。

 一体僕が戻ってくるまでの間にどんな問題が起きたというのだろうか……。心配になって理由を尋ねても、なかなか口を割らない。そんな頑固な彼女に言われた通りに手に入れた戦利品を手渡すと、ようやく顔をあげて語り始めた。


「――で、その向日葵っていう同級生の女の子にビンタをされちゃったわけだ」


「うん……」


「どうするの?」


「え?どうするのって……」


「聞いた限りだと、その子は大事なお友達なんでしょ?こんなことで仲違いしたら一生後悔するに決まってるって」


「別に、空色君には関係ないじゃん……」


 長内さんって思ったよりも面倒だなぁ――と思わなくとなかったけと、僕だって友達がウジウジしてるとこなんて見たくない。困っているのなら力になりたい。


「ほら、行くよ!」


「え?ちょ、待ってって」





「あれ?もしかしてみなちゃん?はぁ……こりゃまた別嬪さんになったねぇ」


「お、お久しぶりです……えっと、こちらは同級生の空色君です」


「あらあら、彼氏連れて参加するとはいいご身分じゃない」


「え?あ、そういうんじゃないです!あ、ちがくもないですけど!」


 大人の女性に見えるその人は、どうやらくだんの同級生のお姉さんのようで、久しぶりの長内さんとの再会にひとしきりからかって楽しむと、赴いた用件を尋ねてきた。


「――ということがありまして」


 代わりに僕が説明すると、お姉さんは頭をかいて答える。


「なるほどね、それは確かにみなちゃんが悪いよ」


「う……ですよね……」


「妹とみなちゃんが学校でもプライベートでも疎遠になったことは聴いてたよ。でも人が成長するってそういうことの繰り返しだから、私は敢えてなにも言わなかった。それにあの子は一人でも案外強いしね。あれからずっと妹はプロを目指してるんだ」


 知ってるかい?とお姉さんは前置きをして、語り始める。


「アマチュアがプロの漫画家になる確率ってね、一説によると0.003パーセント位らしいんだ」


「そ、そんなに低いもんなんですか?」


 あまりの低確率に僕は度肝を抜かれた。

 そんなのは日常だらだらと暮らしている僕にとっては、無理に等しい数字としか思えなかったから。

 隣の長内さんも固い表情をしている。


「だけどね、妹は決して諦めてない。私も編集の人に少しずつ認められるようになったけど、この世界はいかに自分を信じることができるかが全てなんだ。何度も出版社に持ち込んではその都度心が折れるようなダメ出しをされて、それでも帰ってきたら踏ん張って書き続ける。あの子は一人で荒野の中をさ迷ってるようなものさ。なのに――」


 そこで一呼吸置いて続ける。


「みなちゃんが突きつけた言葉は、妹を侮辱するような、いや……この会場にいる真剣な人間を侮辱する言葉だ。それはわかってるかい?」


「……はい」


「なら、あとは二人で解決しておいで」


 そう告げるたお姉さんは、長内さんの肩を掴んで回れ右をさせると、気まずそうに佇む女の子が目の前に立っていた。


「ひまわり……」


「みな……」


「うじうじしてないで外にでも行ってきな!」


 背中を叩かれた二人は、微妙な距離感を保ったまま外へと消えていった。


「あ……僕も」


「二人でって言ったよね。人手が足りないから売り子よろしく☆」


襟首をがっちり捕らえられた僕は、それから地獄のような忙しさを体験するわけで……




 その後、一時間もすると二人は帰ってきた。先程より距離感は縮まっているようにも見える。

 二人とも笑顔だった。

 どうやら二人だけの話し合いは上手くいったみたいだ。



「それでどんな会話したわけ?」


 コミケからの帰り道。僕は長内さんに尋ねた。


「ん~内緒」


 どうやら答えるつもりはないみたいだけど、嬉しそうに語った彼女の笑顔が印象的だった。


「でもね……ひまわりと約束したんだ」


「何を?」


「冬のコミケは二人で参加しようねって」



 とまぁ大変なことが続いた初めてのコミケだったけど、長内さんのわだかまりが取れたようで、僕としてはなによりだった。

 そして、僕の夏休みの苦労はまだまだ続く。


 次は――田処麦帆の番だ。


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