念願のヒロインがまさかの即身仏でした

きょんきょん

第1話 遠路はるばる

 人間が連綿と紡いできた歴史の正体とは、すなわち〝欲望〟の積み重ねそのものと言える。


 欲には際限がなく、理性をもってしてもかくも御し難いものであって、それが若輩者――いわゆる十代ティーンネイジャー――身も蓋もない言い方をすれば、〝思春期〟真っ只中の男子中学生エロガキと心のうちは、曼荼羅マンダラ図ですら表すことのできない大宇宙コスモを秘めている。


 他人が気安く触れていいものではなく、どんな荒行をもってしても人の身で御することなど到底無理なのでは――僕はそう結論に至った。


「これ! 集中せんか!」

「ギャッ!」


 煩悩を断ち切るように振り下ろされた警策きょうさくが、半跏趺坐はんかふざの姿勢で座禅を組んでいた僕の鎖骨に直撃した。


 激痛。それはもう。人体の構造を理解した攻撃だ。肩ではなく鎖骨を的確に打ち抜いているところから悪意が感じ取れる。

だって鎖骨って折れやすいもの。


「痛えじゃねぇか! 何すんだよじっちゃん!」

「何度言えばわかる。修行中はじっちゃんと呼ぶでない」


 怒りに任せて警策で叩きつけてくるのはいかがなものだろうか。しかし人は学ぶ生き物。ここでそのような戯言を吐こうものなら、さらに追撃が飛んでくること間違いなしなので、お口にチャックをする。

 余計なことは言わないのが出来る大人なのだ。


「んなこといったってさぁ。こんなの退屈で死んじゃうよ」


「阿呆言うでない。良いか真魚まお。お主は亡き父の代わりに、この金剛寺を引き継がなくてはならないのだ。その為には、まずその腐った性根を叩き直さねばならない。やれラノベやら、ゲームやら、あーだこーだ」


 まーた始まった。じっちゃんの説法ならぬ説教。こうなると、途中で何を言っても止まらなくなるんだよな。

 いつもそうだ。もう顔もハッキリと思い出せないほど昔に死んじゃった父さんを、事ある毎に引き合いに出してくる。


「僧侶を目指せ」

「寺を継げ」

「真面目に修行しろ」


 バカの一つ覚えのように口煩いったらありゃしない。僕にだって夢があるんだよ。こんなシケた寺の僧侶じゃなくて、もっと大きな夢が――。


「あのね、何度も言ってるけど僕には声優になる夢が」


「西友? 西友はスーパーだぞ。店長にでもなるつもりか」

「それ、せいゆう違いだから」

「声優でも西友でもどっちでもいいが、その無駄に良い声は説法に使うことだな。固定客もついて願ったり叶ったりじゃないか」

「固定客って……それ檀家さんのことだよね」



 空色そらいろ真魚まお、十五歳。新しく迎えた中学三年生の春。既にお先真っ暗だ。僕の実家は、四百年前に建立されたお寺で、一応地元で由緒あるお寺らしい。檀家が減少して久しいこのご時世にも関わらず、今も経営状態はそれなりに良好だった。だからといって高級車を乗り回したりするわけでもなく、生活もいたって質素なものだった。


 江戸時代初期から続く寺の住職は、代々空色家の長男が引き継ぐという慣わしだった――父さんの代までは。

 長く続いてきた金剛寺の歴史は、じっちゃんの空色貞治さだはるから父さんへ、当たり前のように継がれるはずだったのだが不慮の事故で突然父さんは亡くなってしまった。


 今でもよく覚えている。幼稚園児の頃のあの光景を。実家の寺で棺に納められた父の姿を――だから僕が寺を継がなきゃいけないというのは、理屈ではわかるけど到底受け入れることは出来ないでいた。


「もうよい。大日如来様の前で経典でも読んでなさい」

「へーい」


 修行に身が入らない孫に呆れたじっちゃんは、午後から予定が入っていたため寺を開けることに。ようやく解放されて大の字に寝転がる。


「はぁ……。やっと一人になれるよ」


 一人残された本堂は広々としていて、神聖な気が漂っている気がする。正座をした僕の正面には大日如来の御本尊。右手に弘法大師、左手に不動明王の脇掛け。

 とりあえずは拝んでおこうかと、両手を合せて祈る。


「どうか美少女と付き合えますように」


 え? 声優になる夢は? ノンノン。まずは青春を楽しみたいんだよ。それが健全な中学生の願いに決まってるじゃないか。


「すみませーん」


 手のひらをあわせてると、外から誰かが呼ぶ声が聴こえて顔を上げる。ちょっと可愛らしい女の子の声に胸が弾んで、珍しい客だなと思い立ち上がる。


「はーい。今行きます」


 玄関に辿り着くと、そこには僕より少し年上くらいの女性が立っていた。濡烏ぬれがらす色が美しい黒髪を無造作に後ろで結って、すらりと伸びる首筋からはなんとも言えない色気を漂わせていた。


 おっと……ここだけ切り取ると少々マニアックな性癖を持つ中学生になりかねない。しかし、凛とした佇まいという言葉がぴったりなほど清らかさが滲み出ているのは確かだった。


 一目で彼女のことを美人だと認識した僕は、我慢できずに首から下に目線が動く。

 決して変な意味ではない。どういう訳か、彼女が着ていたのは薄汚れた法衣だったのだ。 え? どういうこと? そういうフアッションが流行ってるの? あいにく女子と接点がない僕には、皆目検討もつかない。


「あのー」

「え、あ、はい」


 話しかけられて我に戻った。危ない危ない。アホ面を晒すところだった。

 何故だろう。おかしいはおかしいんたけど、妙にこの女の子が気になる。


「空色真魚くんですよね?」

「そうですけど……ごめんなさい。会ったことありましたっけ?」


 嘘だ。こんな可愛い子と接点があったら忘れるわけがない。もしや、オレオレ詐欺ならぬワタシワタシ詐欺か?


「あーよかった。勘を頼りに来たから心配してたんだよね」


 そう言って名も知らぬ彼女は、背景バックに満開の花が咲いてるかのように微笑んだ。その瞬間――僕は恋に落ちた。わかりやすく。少女漫画的に。


「そ、そうなんですか。い、いやー僕としたことがこんな美人さんを忘れるなんて、ハハハ」


 ダメだ。あまりに非現実的なシチュエーション過ぎて頭が働かない。


「とりあえず……お茶でもどうですか?」


 はじめてのナンパか! 下手すぎる誘い文句に、彼女は疑うこともせず答える。


「なら、お言葉に甘えようかな」


 いけるんかい。上がりかまちを上ると僕との距離が近づき、黒髪から得も言われぬ美少女の香りが……。


 普段は法事の際に使用する客室に案内して、貰い物の玉露を出すと一息に飲み干す。大層気に入ったらしく、おかわりの要求をされた。そんなに美味しかったのかな?


「あの、どうして法衣を着てるんですか?」

「これかい? だって普段着だから」

「いや、お見受けしたところ……まだ女子高生くらいの年齢ですよね? もしかして実家がお寺とかですか?」


「じょしこうせい? あぁ、というところで勉学に励むうら若き乙女の総称か。私は違うよ。それに父上は地方を治める仕事に就いていた」


 学校に通ってない? てことフリーター? そんで地方を治めるって、親は議員でもしてるのかな。冷静に話してわかったのは、ちょっと変な人かもしれないということ。


「そういえば僕に用があって来たみたいですけど、いったいどんな用件ですか?」

「それは」

「それは?」


 ゆっくりと動く唇に神経を研ぎ澄ませる。


「真魚くん。君の願いを叶える為だよ」

「…………へ?」

「願い。夢。欲望。言い方は色々あるけど、私のもとに君の願いが届いたんだ」


 この人、ヤバくないか? もしかしてスピリチュアルな人?


「ふふふ。驚いてるみたいだね。それも無理はない。何故なら私も再び現世に戻ってくるとは思わなんだからな」


 いや、純度百パーセントで引いてるんですが。


「すみません……あの、今さらなんですけど、お名前伺っても良いですか」


 ヤバイヤバイヤバイ。家にあげちゃいけない系の人を招いてしまった。これは警察に連絡をしないと――じっちゃん早く帰ってきてくれ!! いくらでも修行に付き合うから!!


「おっと、これは失礼した。会えたことで少々舞い上がっていたようだ」


 居住まいを正すと、背筋を伸ばして自己紹介を始めた。


「私は、高野山の奥の院から参った空海と申します。どうぞよしなに」

「は?」


 彼女は――空海と名乗る正体不明の女との共同生活は、三つ指をついて深々と頭を下げたその時から始まった。

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