第16話 衣替え

 その日は朝のホームルーム前からクラスの男子がそわそわしっぱなしだった。

 いや、学校中の男子がそわそわしていた日だといっても過言ではない。

 今日は記念すべき日――皆平静を装ってはいるが、目が泳いでいる。

 ある男子の視線は右から左へ揺れ動き、ある男子は頑なに一点を集中してみている。

 季節は春から夏に突入し、日に日に最高気温は上昇していた。もちろん長袖では暑苦しい日が増え、袖をまくってなんとか耐えしのいでいたが、

 それもとうとう昨日でおしまい。

 今日から学生の装いにも変化が生じ、男子がそわそわしていた原因も判明する。


「やっぱ女子の夏服って控えめに言って最高じゃね……?」


「だな。特に海ちゃんの夏服姿とか、もはや女神だろ」


「何言ってるんだよ。それを言うなら麦穂ちゃんのほうが夏の妖精って感じがして良いだろ」


「ちょっと汗ばんだシャツから透けてるブラ紐に俺はなりたい」


 男子の煩悩が、国連が定めた二酸化炭素の排出規制以上にダダ漏れであった。

 温室効果で教室内の気温が上昇しているようなしていないような。思春期男子の妄想力は計り知れない。

 一分変態が混じっているようだけど、ボクも彼らの意見には密かに同意していた。

 うん……夏服っていいよね。健康美っていうかさ。

 正直言って麦穂の夏服は見慣れていたけど、海の半袖ワイシャツは始めて目にする。

 控えめに言って最&高には違いない。


「どうしたの?空乃海なんか見つめちゃって」


「おわっ!?ビックリした。珍しいね、長内さんがこっちのクラスに来るなんて」


 隣にはピッタリと寄り添うように立っていたのは、隣のクラスの長内さんだった。

 普段は部室でかいをするくらいだから、朝から声をかけてくるなんて珍しい。

 それより……長内さんに声をかけられるまで存在に気付かないとは、彼女の言う通り、よっぽど海のことを見つめていたのかもしれない。

 そんな姿を見られていたと思うと、思わず顔が火照ってしまう。


「ちょっと……私もやり方を変えないといけないかなと思ってね。それより私の夏服どう?似合ってる?」


「うん。似合ってると思うよ?」


(この淡白な反応……空乃海の方が似合ってるとでも思ってるんでしょうね)


「ん?何か言った?」


「ううん。なんでもないよ。それより貸した本はどうだった?」


「『俺の異世界転生が始まらない』がまさか終わっちゃうとはね。最後の余韻を含ませる終わり方とか続編を期待しちゃうよ」


「私もそう思うわ。朝から空色君と話せて良かったよ。それじゃあまた後でね」


「おい……今のって我が校の二大巨頭を脅かす存在って言われてる長内さんだよな。こっちの教室に来るなんて初めてじゃないか?」


「ああ……普段は誰とも口を利かないクールビューティーさ。その長内さんが、よりにもよってあの空色と話していたのが謎だ……事と次第によっては……消す」


「そういえばこんな噂を聞いたことがあるぞ。放課後に長内さんと空色が、部室で『秘密の密会をしてる』って」


「「「なんだと!?」」」


 うわ……まさか三度みたびの誤解を爆誕させてしまうとは……ただ平穏な学校生活を望んでいるだけなのに、神様も仏様もやはりこの世にはいないのでしょうか。

 男子の嫉妬の視線にプラスして、今度は女子から獣を見るような冷えきった視線が追加される。

 どうやら僕の回りだけ冬が到来したようだった。


 すると、席に座っていた海のもとに、取り巻きを引き連れた女子がやって来た。


「ねえ空乃さん。あなた随分と空色と仲が良いみたいだけど、もしかして遊ばれてるんじゃない?」


 よりもよって僕が遊んでる側ですか!?

 どうやら前々から海のことを気に入ってない様子の前澤さんが、クラスの女子を代表したつもりでからかっているようだ。


「さぁ……どうかな?」


 ちょっと海さん。そこはちゃんと否定してもらわないと僕の沽券に関わるんですが。


「あらら、三股されてるの認めちゃうんだ」


「私が真魚君のことを気に入ってるのは確かだよ。でもね、だからといって君達のような若者特有の犬も食わないような下世話な話は止してもらいたいな。そういうのは人に迷惑をかけない範囲に留めておかないと、いつか自分が痛い目に遭うからね」


「な、なによ。タメのくせに上から目線で偉そうに語ってさ」


 前澤さん……完全に海のペースに飲まれちゃったな。それに偉そうにというか、実際に偉いからなー。誰も海の正体が空海だなんて知らないだろうし。


「じゃ、じゃあ田処さんこそどうなのよ!空色と幼馴染みなんでしょ?裏切られた気持ちでいっぱいなんじゃない?」


 海に論破された前澤さんは、今度は麦穂に標的を変えた。というか、ボクが完全に悪役ヒールだと思われてるのは心外なんだけど。

 ただクラスの男子も前澤さんの意見に同調している節があって、うんうんと力強く頷いているのが見てとれる。

 このクラスに僕の味方はいないようだ。


 まさかの質問を投げ掛けられた麦穂は、夏服のスカートの裾を握ると、意を決したように答えた。


「私も……まーくんのことは好きだよ」


「お、おい……俺達のマドンナが二人して公開告白したぞ!」


「大変だ!槍の雨が降るぞ!」


 気持ちはわかるが、少し失礼すぎないか?

 教室内は男女とも騒然としたが、ボクは一人冷静だった。海も麦穂も、そういう意図で話したわけではないのはわかっている。こんな冴えない僕がラノベの主人公よろしく、ハーレム気質など持ち合わせてるわけないのだから。

 長内さんだって友達として仲良くしてくれてるだけであって、恋愛なんてフワフワしたものが入り込む余地はないのさ。

 自分で冷静に分析していると泣けてくるけど、現実なんてそんなもんだ。


「あらぁ~?みんな騒々しいわねぇ~あんまりぃ騒がしいとぉ食べちゃうわよぉ~」


 それまで騒がしかったクラスの男子も女子も、教室に入ってきた最上先生の暴力的な夏の装いに、思わず息を飲んでしまっていた。

 色々溢れてしまいそう。


 ありがとう。最上先生――まさかあなたに感謝する日が来るとは思わなかったです。





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