第22話 嵐の体育祭 中編

(うう……どうしてこんなことになってしまったんだ)


 午後の部が始まる直前、サイズの合わない体操服の裾を必死に伸ばしていた僕は、これまでの、いや……これからの人生でもきっと感じることのないであろう羞恥心と猛烈な後悔の念に襲われていた。

 それもそのはず、昼休みに変態教師の魔の手に囚われてしまった僕は、彼女の無駄に高いメイク技術によって美少女に魔改造された揚げ句、として冬団を優勝に導かなくてはならなくなってしまったからだ。


 ――ライオンの檻に放り込まれた兎の気分だよ……。


 いつ正体がバレやしないか、真夏だというのに先程から冷や汗が止まらない。そのせいで無駄に体操服が透けるものだから、さらに視線を集めるという低俗なデフレスパイラルに陥っていたわけで……。

 最上先生は僕の女装姿を見て「男の娘最高ぉ」と鼻血を出して興奮していたけど、普通の男子にこの姿を見られでもしたらバレるに決まっているじゃないか。

 若林君は例外中の例外で、彼の目が節穴なだけであって、彼を誤魔化せたとしても他の大多数の男子達の目を欺くなんて土台無茶な話なんだ。

 どのくらい無理かというと、煩悩の塊である僕が悟りを開くくらい無理な話なんだよ。


 ――どうしよう……この姿がバレたりしたら……体育祭に女装するド変態の烙印を捺されることは確実だよね……。

 そうなれば本気で転校しようかと思うに至っていたわけだが、結局それは杞憂に終わった。何故なら――



「こんな可愛い婦女子がこれまで人知れず我が校に存在しただって!?リサーチ班何やってんの!」

「これは我が校の美少女相関図がさらに混迷を極めるぞ……正に戦国時代!」

「彼女こそ天が遣わしたもうた冬団のジャンヌダルクに違いない!」


「へ?ちょ、ちょっと……」



 気づけば僕の周囲をぐるりと取り囲むように、冬団の男子どもが目をハートにさせて盛り上がっている。なかには感涙にむせいでいるヤバい男子も散見された。

 どいつもこいつも僕が男であるなんてこれっぽっちも疑いもしないのが摩訶不思議で仕方ないけど、彼らが僕を謎の美少女として持て囃した揚げ句、もし僕が「実は男♂です」なんてネタバラシしたらきっと最大級のトラウマを植えるんだろうなぁ、と思ったり思わなかったり。

 全くもって心外だけど、全くもって心外だけど、こうなるともう僕と彼らの今後の人生の為にも、最上先生の思惑通りに事が進んでしまうことを止めるわけにはいかなかった。

 女装して改めて思うけど、男って本当にバカだよね……。


「君、名前なんて言うの?」

「良かったら俺とデートしない?」

「バカヤロー!抜け駆けすんな!俺が先だよ!」


「あ、あはは……みんな落ち着いて、ね?」


「「「イエス!マム!」」」


 自分でも吐き気のするオクターブの声で仲間内の諍いを止めると、すっかり従順なシモベとなってしまった冬団の男子どもにただ顔をひきつらせるしかできない僕であった。






「……なんだか嫌な予感がするわね」


 椅子に腰かけた長内は、午後の種目が始まってからも首位との差を維持していたが、手応えとは裏腹に常に浮かない顔をさせていた。


「は……夏団との差はまだ午後の得点次第で引き離せるかと愚考しますが」


 参謀気取りの秋団団員が跪いて答える。


「違う。先頭を走る夏団はもちろん倒すけど……冬団が少しずつ得点を伸ばしているのが気にかかるの」


 午前中は気にかける価値もないほどやる気がなかったはずの冬団が、午後の種目が始まった途端に明らかに闘志がみなぎっていたのだ。

 人が変わったように競技に取り組む姿勢に、秋団団長を務める長内は、得体の知れない不安を一人感じていた。


「はぁ……確かに午前と比べればやる気が出たようですが……しかし気にかける程ではないかと」


「そう、ね。圧倒的に最下位であることに変わりはないものね。秋団が目指すは優勝。このまま夏団を振り切って優勝しましょうか」


 不安を誤魔化すように、己にそう言い聞かせた。





「みんなのおかげで一位だよ!午後もこの調子でいこうね」


「「「サーイエッサー!」」」


 夏団団長の田処麦穂が明るく声を掛けると、骨の髄まで彼女の魅力に染まった団員の太い声がやまびこのように返ってきた。


「でも慢心しちゃダメだよ。総合力で秋団に勝ってるとはいえ、向こうだって本気で立ち向かってくることを忘れないようにね」


「「「サーイエッサー!」」」


 覇気まで感じられる返事に、麦穂は己が掴み取るであろう「優勝」の二文字を確信していた。

 欲を言えば午前中で秋団とは得点差をつけたかったが、それも些事であると彼女自身、慢心をしていたのかもしれない。

 確実に訪れるであろう明るい未来に、少女の確信は揺るがない。総合力で優る夏団は、着実に点数を重ねていけば全ての敵を蹴散らすのだから。そう、何の問題もないはずだった。


「この調子で頑張ろー!」


「「「サーイエッサー!」」」


 静かに忍び寄る足音に気が付く者はいなかった。






「さて……ここで各団の戦力を確認しようか」


 午後の種目が始まる前――校庭の一画に許可を得て立てたテントの室内は、情報が漏れないように厳しく統制が為されていた。

 中央の椅子に鎮座している冬団団長の空乃海は、現状の不安要素を全て洗い出す為に団員の報告を静かに聞いていた。


「それじゃあ報告をよろしく」


「は!現在トップを走る秋団ですが、下馬評通り午後の団体競技に参戦するメンバーも主力級を逐次投入すると想定されます。ただし指揮命令が統率されてないこともあり、加えて全ての生徒が競技に参加しなくてはならないという制約もありますので、これから行われます団体競技は、連携の隙をついて各個撃破するべきかと――」


「次に夏団ですが……戦力の面で申し上げますと、やはり高いレベルでまとまっていることは最大の驚異です。午後のどの団体種目にもバランスよく戦力を投入してくることが想定されますので、多対一でも確実に勝機を奪うのは難しいかと……。ですが穴は田処麦穂にこそあるかと思います。団員は彼女に依存している節が見られ、仮にその精神的主柱を折ることさえ出来れば……統率力は一気に減少すると思われます」


「最後に冬団の報告を申し上げますが……正直冬団の戦力はゼロに等しいかと思います。確かに個々の能力を見れば他の団員に見劣りしない戦力も少なからず見受けられますが……やる気がないのであれば、捨て置いても構わないのではないでしょうか」


「ふむ……」


 各団に忍び込ませた密偵スパイからの報告を受けた空乃海は、力で劣る春団がどう優勝を勝ち取るか瞼を閉じて思案した。

 彼女は真の意味で戦いとは情報が鍵を握ることを重々理解している。

 真言宗を全国に広める際も、全国津々浦々を巡り歩き、いかに自らの宗教が優れているかを喧伝してきたから――それはアナログながらも千年以上昔に行われた情報戦であることに違いない。

 策もなく真っ向勝負を挑むのは愚の骨頂であることを悟っていた。

 そんな彼女だからこそ、だろうか。得体の知れない不安が迫ってきていることに、三人の中で一早く気が付いたのは。


 ゆっくりと進言を待つ団員に目を向けると、今後の方針を伝える。


「なるほどね……わかった。午後も確実に勝てる種目に最大戦力を投入する。戦力の劣る者は団体競技で主力級の足止めを行ってもらう。その方針に変更はない。ただ――」


「「「ただ……?」」」


「冬団がこれから盛り返してくるようであれば――この戦いの結末がどうなるかわからないだろうね」


 空乃海がそう告げた時――


「た、大変です!」


 名乗りもせずに無断で入ってきたのは、冬団に送り込んでいた密偵の一人だった。


「どうしたんだい。そんなに慌てて」


「冬団に……絶世の美少女が現れました!!」

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