第36話 まさかの相手

「あらあら、両手に花どころかまるでお花畑ね」

 と、野次馬根性を丸出しにして扉を閉めていく母さんに辟易しながら、でも端からみたらこの環境は羨望の眼差しと嫉妬の眼差しの両方を一身に浴びるような光景だと思う。

 ただ、母さんが息子を冷やかすほど場の空気は暖まってはいない。決して冷房がキンキンに冷えてるわけでもなく、冷やかすまでもなく冷えきっていた。


「宿題が終わってないからまーくんと一緒にやろうと思って来てみたら――」

「どうせ宿題が終わってないだろうと思って手伝いにやって来てみたら――」


「「まさかデートに誘われてるなんてね~」」


 麦穂はいつものことだからまだしも、長内さんまでアポなしで突撃訪問してきたと思ったら、どうやら僕の夏休みの宿題の進捗具合を危惧してやって来たようだ。

 それは打つ手なしだった僕にとって感謝すべき訪問ではあるのだけれど、二人の最大の関心は、もうすぐ開催予定の花火大会に移っているようだった。


「私はあまり花火大会とか参加しないんだけど、空色君となら行ってみたいわね」


「何行ってるの。まーくんは毎年私と花火大会に行く決まりなんだから」


 二人して勉強そっちのけで会話に花を咲かしている。花火の花を。その傍らで海は複雑な顔をさせていた。


「ちょっと、二人とも協定を破るつもりなのかい?別に私はデートに行くなんて一言も――」


 それまでクルクルと回していたペンを止めると、珍しくイライラした様子で麦穂と長内さんに鋭い視線を向けるが、たいする二人はものともせずに

「「いいよいいよ、私達のことは放っておいて、その情熱的な人とデートを楽しんでくるといいよ」」と見事にハモった。


「ねえ、まーくんも海ちゃんのデートを邪魔したくないよね?」


「えっ、」


 麦穂の問いは、なかなか意地悪な質問だ。ここで海のデートに反対だと言えば、この場はきっと妙な空気になるに決まっている。

 かといって二人の意見に乗っかれば、それはそれで海の不興を買ってしまう恐れが大いにある。

 あちらを立てればこちらが立たない問いに答えられないでいると、それをイエスと受け取った長内さんに「じゃあ当日は私と麦穂さんと空色君ので一緒に回りましょう」とまとめられてしまった。


 うーん……海のことが心配と言えば心配だけど、これ以上他人のプライバシーに口を突っ込むのは野暮というやつだろうか。

 そして本来の目的の宿題に手がつかぬまま、花火大会当日を迎えた――



 カランコロンと弾む下駄の音が、両隣から聴こえてくる。祭り囃子に浮かれた子供が脇を走り抜けていった。

 麦穂と長内さんに挟まれる形で僕は会場を練り歩いていた。


「ねぇまーくん。もしかして楽しくないの?」


「……え?そんなことないよ。ちょっと人混みに疲れたっていうか」


 リンゴ飴を舐めながら、麦穂は上目遣いに尋ねてきた。そんな指摘をされるほどつまらなそうな顔をしてるかと、思わず顔を触って確認したら、別にただの締まりのない顔だった。

 人混みに疲れたっていうのは事実だけど、二人と一緒にいて楽しくないことはない。そりゃあ楽しいに決まってるけど……なんだろう……物足りないのも事実だった。


「あーそれはわかる。私もどちらかというと人混みは苦手なのよね」


 反対側から「わかるわかる」と相槌を打ちながらしなだれかかってきた美少女。日本一混雑しているといってもいいコミケにノリノリで参戦するほどの猛者もさである長内さんが、自らを棚にあげて溜め息をつく。

 というか僕との花火大会を楽しみにしていたんじゃなかったっけ?




「あ、あれって例のアイドルじゃない?最近人気の……」


「ああ、あれは……なんだっけ?」


 あまり流行に明るくない麦穂が、遠くに見える仮設ステージ上で歌っているアイドルグループを指差す。

 そういえば今年はアイドルが招かれるとか言っていたけど、かくいう僕もあいにくアイドルの顔が判別できない口なので、こういうときこそアイドル研究部という謎の組織を運営している長内さんにバトンを託すと、

「彼女達はニルヴァーナね。デビュー以降たったの一年で日本レコード大賞や日本ゴールドディスク大賞、それにビルボード・ジャパン・ミュージック・アワードを授賞するなど、日本J―POP界を牽引するにまで至った成長著しいニューカマーよ」と、名前どころか専門家ばりの評価まで付け加えて説明を披露した。

 さすがアイドル研究同好会だ。

 というか、それ以前にそのグループ名は大丈夫なのだろうか。世界的なロックバンドそのものなんだけど。


「でも、よくそんなアイドルが一花火大会に来てくれたよね」


 麦穂の意見に僕も賛成だ。無名のアイドルならまだしも、長内さんがそこまで太鼓判を押すアイドルが、貴重なスケジュールを割いてまで来てくれるのは若干の違和感を感じる。


「まぁ……確かに普通なら考えられないわよね。なんでもニルヴァーナ側から出演したいと申し出があったみたいだけど、それこそ考えられないし」


 そりゃそうだ。素人の僕だってそんなことはありえないのはわかる。

 その時は、まぁお金でも積んで呼んだんだろうと軽く考えていた。

 それから僕達三人は、花火が打ち上がるまでお祭り会場をぶらぶら練り歩いていると、視線の先に人混みのなかでデートをしてるはずの海の姿を見けた――


「え、嘘……」


 僕も、それに麦穂も声を失った。


「あれ……隣にいるのって……」


 長内さんも声を震わせている。

 むしろ一番驚いてるのは彼女かもしれない。


「あれって……ニルヴァーナのメグミじゃない」


 海のデート相手とは、まさかのアイドル歌手だった――それも女の子の。





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