第51話 真のサムライ

「ソウタ、申し訳ありませン。無礼な真似を」

 中島さんの話を聞き終わったアレクシアは、腰を折って頭を下げた。

「……ソウタは強かった。しかし四菱工業たちが一枚上手だったようですネ」

 アレクシアは椅子に腰を下ろし、今度は砂糖とクリームをたっぷり入れたコーヒーを飲む。

 甘そうなコーヒーなのに彫りの深い顔立ちが歪んでいた。

「アレクシア。僕が言うのもなんだけど、北辰一刀流じゃなくて、柳生流にこんなに肩入れして大丈夫なの?」

「大丈夫でス。本国には聖演武祭をもっと面白くする、と連絡して許可を取ってありまス。古流連盟の師範たちの心証は悪くしましたガ、本命と大番狂わせが決勝で熱戦を繰り広げたのでス。話題性、動画の再生数、彼らを説得する材料には事欠きませン」

 アレクシアがコーヒーの色で黒ずんだ唇を、愉快そうに歪めた。

「まあ、以前少し話して確信しましたガ、あの小娘は八百長を知らないようですネ」

「だろうね」

 今日戦ってみた感じでわかった。

 葵さんはどこまでもまっすぐで、剣術に対して真摯で、自分の流派に対して誇りを持っている。

 あの子が知ったら下手をすると家を飛び出しかねないだろう。

 アレクシアは貴賓室のシミ一つない天井を見上げ、自嘲するように呟いた。

「だから彼らを嫌いだと言ったでしょウ。『あんな世間に迎合した連中、吐き気がしまス』と申し上げたでしょウ」

「彼らからサムライの精神を学ぼうなど、臍が茶を沸かしまス。真実も知らずに彼らに教えを乞う者たちを見ると、笑いがこみあげてきまス」

 アレクシアが目を伏せる。沈黙と共に、コーヒーの香りが漂う。

 でもその沈黙は、ノートパソコンの蓋を閉める音で破られた。

「抗議しようよ。こんなの、おかしいよ」

 中島さんは黒い瞳に怒りをたたえ、ティールームの扉を開ける。

 そこから貴賓席まで歩き、試合会場を三人で見降ろした。

 窓のガラス越しに、大勢の報道陣やファンに未だ囲まれる葵さん。その隣に立つのは彼女の父親、北辰一刀流宗家。

 僕の周りには立った二人の少女。

「いいよ。柳生流なんていう名もろくに知られてない流派の抗議なんて、まともにとり合ってもらえるわけがない」

 そう言いながら、心が冷めていくのを感じた。

 対人関係なんて言うのは、いつもそうだ。

 何を言ったかじゃなくて、誰が言ったかが重んじられる。

 学校でも社会でも、言葉を聞いてもらえる人間は決まっている。

 駄目な人間は何を言っても駄目なのだ。

「でも…… 本来なら柳生くんが優勝してたのに、こんなことで負けて悔しくないの?」

「悔しくないわけない。でも」

本来ならあの表彰台に上がっていたのは自分だっただろう。そしてレポーターからちやほやされ、観客からスマホで写真を何度も何度もせがまれただろう。

 その光景を惜しくないかと言われれば、惜しいとは思う。

 僕は聖人君子でも達人でもない、賞賛されて悪い気はしない。

 実際、決勝の舞台に上がった時に僕にかけられた声援を誇らしく感じたのは事実だ。

「でも、この大会で柳生流を見せられたから。自分がこれまで修行してきたことを、存分に試せたから。それに何より」

 決着がついた時、僕に食って掛かった葵さんの表情を思い出す。

「試合には負けたけど、勝負には勝てたから。それで満足だよ」

「しかし、名声が欲しくないのですカ?」

 ここからでも眩しく見えるほどのカメラのシャッターの光と、うるさいほどのスマホの撮影音。その中心に立つ黒髪ポニーテールの凛とした少女。

「抗議が通れバ、ソウタがあそこに立てるのですヨ? なんなら、ワタシやシーメンス社から正式に抗議を通せば……」

「いいよ。名声なんて性に合わない」

 僕はアレクシアの言葉を一方的に断ち切った。彼女は目を丸くする。

 アレクシアにこれ以上世話をかけたくない、という思いもある。

 ただでさえ、今回は柳生流に肩入れしっぱなしなのだ。北辰一刀流や古流連盟の師範からはいい感情を持たれていないだろう。

 でも、それ以上に。

 テレビで、今大会で。葵さんの状況を見ると。

 同じ立場には立ちたくないという思いが芽生えてきた。

 優勝したら、もっと多くの人に取り囲まれるだろう。

 朝から晩までインタビュー責め。

 今よりもっと人付き合いが増える。準優勝の今とは比べ物にならないくらいに。

 人付き合いは結局、妥協の連続だ。そしてあんな大勢の相手との人間関係は面倒くさい。

 人間関係なんて、相手の仕草や口調、場の空気にいつも気を使って。

 うまくやるためにはいつも僕が折れる側で。

 我慢しないとわがまま言うな、とか空気読め、とか言われて。

 その結果待っていたのは、小学校ではいじられ、いじめられ。家ではブームが去った後にうちの道場を去った多くの門下生たちだった。  

いつも自分が我慢して、我慢した分は全部無駄になって、結局最後にもっと嫌な思いをする。だから、人付き合いは嫌いだ。

そんな風に考えながら僕は、壇上に上がって大勢の人間から賞賛を浴びている葵さんを見ていた。

今度は冷たい麦茶を飲む。湯呑に注がれた焦げ茶色の澄んだ液体は、優しい甘さをもって渇きをいやしてくれた。


「名声を求めず地位を追わず、ただ己の信ずる道を歩むのみ、というやつですカ」


 アレクシアの呟く声に、彼女の方に目を向ける。

 少し俯いた金髪の少女の横顔は、髪に隠れて見えない。

「そういえば、アレクシアさんは前も言ってたね。サムライを求めて日本に来たって」

「エエ。語学を学び、資金を作り、両親を説得シ。やっとヤーパンにたどり着けば夢に裏切らレ」

 今度のアレクシアの声は、悲壮感さえ漂えど絶望や怒りの色はなかった。

「その翌日に地味な男子生徒が動画でしか見たことがなかっタサムライの正座をシ、一抹の希望が胸に灯リ、彼のことを調べ上げて入門シ」

 アレクシアが顔を上げた。金糸の髪が照明を反射し、眩く輝く。

「つきっきりで稽古をつけてもらえるという、贅沢をさせてもらいましタ。そして何より」

アレクシアが僕を見る目がなぜか一変していた。

眼は潤み、感極まって涙ぐんでいる。涙を拭いながらも、歓喜に震えるかのようにおののいていた。

「ニセモノに、実力では勝ってみせタ」

「ソウタ。ヤーパンに来てよかった。アナタに会えて良かった。真のサムライ、やっと見つけましタ」

 アレクシアは僕の手を取って、涙を流しながら頭を下げる。

僕はただ、名声とかしがらみがあって面倒臭いって言っただけなんだけどなぜか、アレクシアの中で僕の評価が急上昇したらしい。

 はるばるドイツから、サムライの精神を学ぶために来た少女。

 彼女が落ち着くのを待って、僕は重たい口を開いた。

「でも一つだけ、残念なことはあったけどね」

「何?」

 小首をかしげた中島さんに、僕は説明する。

 柳生流の道場は近いうちに潰れる。

 アレクシアとの契約では、聖演武祭に優勝することで教授料と家賃含めた二十万ユーロが支払われる。

今回僕は優勝できなかったから、支払われるのは前金だけだ。

全額の二千万円あれば、道場は持つ。維持費もあるからすべて解決するわけじゃないけれど、支払い能力があると見なされれば猶予は長くなるだろう。

でも前金だけじゃ、道場は差し押さえられるしかない。

「心配しないでモ、全額お支払いしますヨ」

「でも、優勝できなかったのに……」

 僕のセリフを、アレクシアは人差し指で唇をふさぐことで止めた。

「それ以上は、言わないでくださイ」

アレクシアは、花が綻ぶような笑みを浮かべた。

「アナタに、真のサムライというものを見せてもらいましたカラ」

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