第6話 正座の仕方

 翌日。北辰一刀流の本部道場に行ってきたというアレクシアさんの様子が少し変だった。

 昨日までの満ち満ちた快活さに陰が見えたという感じで、笑顔で振るまっているけれどなんだか元気がない。

 外から見てる分には親しくなった女子や彼女の容姿狙いっぽい男子が心配していたけれど彼女は大丈夫、と言いながら首を横に振るだけだった。

 そのうちにチャイムが鳴り、次の授業のためにみんな教室を出ていく。

けれど中島さんとアレクシアさんは最後まで残っていた。

「アレクシアさん、大丈夫?」

「エエ。病気ではありませんシ、体を動かしてすっきりしたほうがいいかト……」

 アレクシアさんはサムライの文化の一端に触れられたというのに重い足取りで、席を立つ。

 マヨイガが発明されて、武道や格闘技の安全性が増したこと、聖演武祭という一大イベントが定着したことで世は空前の格闘技・武道ブームとなった。

 古流の中には北辰一刀流のようにそのブームに乗り、門下生や道場を増やし、聖演武祭にも子弟を送り込んで一挙に勢力を増した流派もある。

 あいにく僕の家は乗り遅れたけど。父さん曰く、「この流派は教えるものを選ばねばならない」からだそうだ。

 子供の頃は何を言ってるのかわからなかったけど、今になるとその理由がよくわかる。

 今は剣道の授業。皆が学校指定のジャージの上に防具をつけて、竹刀を片手に持ち学校の武道場に整列していた。

 肉体へのダメージを防いでくれるマヨイガが発明されれば防具は不要になると思ったが、マヨイガは値段が高く一般人においそれと貸し出せる値段ではないこと、防具を作る業者が伝統的な出で立ちの美しさを宣伝したことで今でも防具と竹刀を使った稽古が剣道では主流になっている。

 防具を使った剣道の稽古や、袴を履いたスタイルが海外からの観光客や留学生に受けがいい、というのも理由の一つらしい。

 剣道具を作るところの既得権益とか抵抗勢力とかいう話もあるけど、まあ古流をしている僕には大して関係ない。柳生流は袋竹刀と木刀があれば事足りる。

 準備体操の後は素振り。

 アレクシアさんは手の内がしっかりとしていて、竹刀がぴたりと止まる。剣道部員でさえ目を丸くしていた。それに表情がさっきより明るく、体を動かしているうちに少しすっきりしてきたようだ。

 その後、切り返しを行う。切り返しとは剣道で打つ側と打たせる側が二人一組になって、面打ちや左右面、胴打ちなどを繰り返す稽古だ。

 アレクシアさんはここでもかなりの竹刀さばきを見せた。体が左右にぶれやすい胴打ちの時でさえ、左拳が正中線上からずれていないし体が左右に傾かない。

 常に胸を張って姿勢正しく竹刀を振る、普段の凛とした彼女と変わらない美しさがあった。

 でも、竹刀の振り方に違和感があった。

 なんというか、彼女が慣れていない動きを無理に行っている感じがするのだ。

 ドイツ人だし、本国ではフェンシングでもやっているのかもしれない。

それから、地稽古という二人で自由に打ちあいをする稽古に入る。

アレクシアさんはここでも活躍し、女子剣道部相手と互角以上に戦っていた。彼女の高めの身長と日本人離れしたリーチから繰り出される打突は、相手の面や胴を的確に捉える。

 僕も防具をつけて、剣道部の広田と向き合う。広田は角刈りで僕より背が高く、肩幅も広くていかにも体育会系という感じの体つきだ。

 僕は広田の太い腕から繰り出される面打ちや小手、抜き胴などの技をさばいていく。

 正面から広田が面を狙ってきた。

 稲妻のように鋭い竹刀さばきで僕の正中線に踏み込む。

 僕はそれに合わせ、肩幅分斜め前に踏み込む。

 広田の竹刀が僕の正中線上から外れる。

 次の瞬間、僕の竹刀が広田の面を捉えた。

 綺麗な正面の面打ち一本だ。柳生流の基本であり奥義だから、これが一番の得意技。それに家が古流の道場だし、素振りや型の稽古は毎日欠かしていない。そう遅れは取らない。

 それに、一時期剣道部に入っていたこともあった。

 でも上手く実力が出せず、やめてしまったけど。

「次は負けねえぞ」

 お互いに構えなおして地稽古再開となる。先ほどまでと同じように激しく打ちあった。

 僕の胴を打ってきたので広田の剣先が下がり、面に隙ができる。その機を逃さず僕は竹刀を振り上げて正面からの面打ちで反撃する。

 広田はとっさに竹刀の裏で僕の竹刀を受け捌いた。

 そこに隙ができる。剣道では隙ではないが、柳生流の僕からすれば打ち込める。

 型を繰り返した体が自然に反応しそうになる。

 まずい。

全身に力を込めて技が出るのを強引に止めた。力んだ体は硬直し、とっさの動きが鈍る。

 その隙を見逃す広田ではない。

彼の構えた竹刀が虎の尾のように獰猛に動き、踏み込む右足が鷹の羽の如く舞う。

 右小手に綺麗な一本を決められ、手首に痛みが走った。

 同時に休憩時間になったのでお互いに面を外し、汗をぬぐう。

「柳生、お前相変わらずだな。正面への面打ちはすごく上手いのに変なところで力んだり、止めたりする。それさえなければもっと強くなれるんだろうが」

 広田が不思議そうな、歯がゆそうな顔で僕を見る。

 仕方ないんだよ。

 僕は心の中でそう毒づく。


もし今止めなかったら、君の目を突いていた。


 父さんの言葉がよくわかる。柳生流剣術はむやみに人に教えていいものではないと。

 汐音高校に入って中学からの人間関係が一新されたこともあって、気持ちを切り替えるために剣道部に入って、聖演武祭に出場して、柳生流剣術の名を広めてやる、そう思ったこともあったけど。

 無理だった。

 体に染みついた柳生流の技を出すと、即座にルール違反になってしまう。

 足を打ったり、手をつかんで打ったり、後ろから打ったり、手首を極める技があるのだが剣道ではすべてルール違反だ。

 今もうっかり、左目を狙って突きそうになってしまった。

 聖演武祭ルールなら、心おきなく柳生流の技が使えるのに。

 でも出場のためには武道や格闘技の大会で好成績を残すか、聖演武祭の大会組織委員会に所属する人の推薦が必要になる。

北辰一刀流をはじめとするメジャーな古流は推薦で出る人もいるが、僕のようなマイナーな古流を推薦するような人はいない。

 血のにじむような思いで身に着けた技も、肝心な時には役に立たなかった。

 

 ふと、誰かの視線を感じた。敵意ではないけど、強い意志を感じる視線。


 首を動かさずに視線だけを左右に動かして、目が合わないか探る。けれど、誰の視線かはわからなかった。

 気のせいだったのか。道場のことも心配だし、疲れていてありもしない気配を感じたのかもしれない。

 武道の授業の締めくくりとして、全員が座礼のために整列して神棚の前に向かう。

 他の人は剣道の礼法通り、左足を引いて左膝立ちになり、右足を引いて座る。授業の最初は僕もそうしたけど、父さんから習った座り方のほうがいい。

 僕は柳生流の通りに、袴の裾を払ってから足を揃えたままで膝を左右に振るようにしながら垂直に上体を落とす。払われた裾がふわりと舞いあがり、僕が腰を落として正座の姿勢になると同時に裾が綺麗に降りた。

 妙な座り方を見てくすくすと見下したように笑う人もいるけど。

 同町圧力に対してささやかな抵抗をすることでちょっとだけすっきりする。

 その時、さっきよりも強い視線を感じた。

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