第15話 陰湿

目を開けると、いつもの天井。僕が起きるときは真夏をのぞいていつも薄暗い。

両親が生きていた時からの習慣は、死別してからも僕の身に沁みついている。

朝、大体決まった時間に目が覚めるのだ。

でも時々は夜更かししたり、朝寝坊もする。あまりに決まりきった行動パターンだと逆に良くない、と教わった。

 規則正しい生活と、規則に縛られた生活とは違うらしい。

 アレクシアを起こそうと彼女の部屋に向かうと、すでに彼女は起きていた。洗面所で歯を磨いている。

「グーテンモルゲン…… おはよウ」

 彼女はゆったりとしたコットンのシャツとロングのパンツを部屋着・寝巻にしている。飾り気のないシンプルなデザインだけど、アレクシアによく似合っていた。

「昨日言っておいた通り、これから朝稽古だから。準備はいい?」

 アレクシアは金髪を後ろでまとめてポニーテールにしながら頷いた。

 それから部屋に戻って道着に着替えると、僕の後について道場に向かう。

 道場は母屋から離れた場所にあるため、一旦家の外に出る必要がある。今時珍しい引き戸を開けると、朝特有の静謐さが僕らを包み込んだ。

 一日のうちでこの時間帯が一番好きだ。

 落ち着く。

 人の声一つしない世界に、波の音が遠くから響いてくる。

 昨日と同じ場所なのに、時間帯を変えるだけでまるで別世界だ。

「いい場所ですネ……」

 アレクシアは日が昇る前の茜色に染まった東の空に目を細めながら見入っている。それがすごく嬉しい。自分が好きなものを他人にも好きになってもらえるのは、とても安心できる。

 そのまま雑草がまばらに生えた庭を通り、道場へ向かった。

 


 道場へ入ってアレクシアと共に神前の前で正座し、一礼する。

 朝のひんやりとした空気が板を通して掌や正座した脛に伝わってくる。

 その時に早速古流の正座の仕方も教えたけど、これはかなり難しい。

 膝を横に振りながら体を垂直に下ろすから、うまくやらないと膝を痛める。

 アレクシアは熱心に何度も練習していたけど、正座の練習だけで終わりそうなので技の稽古に入ることにする。

 わずかに日の差し込む道場の壁に据えられた木刀掛から、木刀を一振り取ってアレクシアに手渡した。

「軽い、ですネ」

 木刀を持ったアレクシアの第一声がそれだった。

 柳生流の木刀は剣道のそれと比べ、細くて長い。

 繊細な手の内を学ばせるためとか色々理論はあるけど、いきなり理論から入るとかえってうまく行かないからスルーしておいた。

 というより、初めて持ってその違いに気が付くくらいだから、僕が教えなくてもいずれ自力で理解できるだろう。

「まずは構えから」

 アレクシアが胸を張って木刀の切っ先を前に立った僕の喉当りに向けて構える。

 膝からは無駄な力が抜けているし、指からも適度な力を感じる。

 隙の無い構えだ。

 基礎はできているので、柳生流に合わせて調整していく。

「体を相手から見て斜めに傾けて。四十五度くらいかな」

「そうそう、それで胸は張らずに少し緩ませる感じで。中国拳法の含胸抜背に近い」

「そのままで前に歩いてみて。すり足でもそうじゃなくてもいい」

 アレクシアは呑み込みがかなり早く、朝稽古の後半にはもう型の稽古に入ることにした。

 柳生流の型は、お互いに正面から面打ちを狙う技から始まる。

 次に戦国時代の戦闘法が色濃い五本の型を学び、さらには変幻自在に技を繰り出す動物

の名前が付いた型、特殊な上段の構えからお互いに技を繰り出す型、など様々な型がある。

 体に当たっても安全なように、剣道の竹刀よりさらに柔らかい「袋竹刀」という特殊な竹刀に持ち替えて型の稽古を始めた。

 僕の面や肩、足を狙ってくるアレクシアの袋竹刀に反応し、受け流し、あるいは空を切らせて反撃に移る。

 革で竹を包んだ袋竹刀同士がぶつかるたびに、激しく澄んだ独特の音を立てた。

同じ型でもタイミングが違えば、まるで別の技のように見えるときがある。

袋竹刀に伝わってくる衝撃の強さや質も、間合いや踏み込みの位置で一つ一つ違う感触がある。

 二人で型を打ちあっていると、相手との間や呼吸を読む力が自然と養われていくのだ。

 無心になってアレクシアと打ち合い、時には技の説明をしていくうちに僕はふと懐かしい感触に襲われた。 

「稽古って、こんなにも楽しいものだったのか」

 一人で稽古していた時も楽しかったけど。

 力の入り具合、タイミング、体のわずかな動きの修正。そういったものを突き詰め、探求する。技が良くなったと実感できるのが、何よりも嬉しかった。

 でも今は目の前にアレクシアがいる。

 ドイツからやってきた金髪碧眼の美少女。

 サムライを誰よりも深く愛する子。

 他のどの流派よりも、柳生流を習いたいと言ってくれた。

 一人より二人で柳生流を稽古できるのが、たまらなく楽しい。

 一日の稽古が終わった後、二人で道場を掃除する。

「弟子のワタシが、やるのではないのですカ?」

 雑巾を絞り始めた僕を見てアレクシアが止めようとしたけど、僕は首を横に振った。

「そういうの、いびりみたいで僕は嫌いだから。というか、古流の稽古に来たのに掃除の稽古させてどうするのさ」

 道場によっては強制的に後輩に掃除をさせるとか、ひどいところになると何も教えずに掃除とか道具の手入れだけやらせるとか、そういうブラック道場もあるらしい。

 本来は弟子の人格を見極める意味とか、掃除させながら師匠の技を盗む意味合いがあったらしいけど。二人しかいない道場でそんなことをさせても仕方がない。

 僕が元々は武道が嫌いだった理由の一つでもある。

 結構人間関係が陰湿というか、後輩いびりが横行しているというか。もちろん立派な先生もたくさんいるのだろうが、町道場、学校、僕が見聞きした中では好きになれそうな指導者は一人もいなかった。

 例外は今は亡き父さんくらいだった。

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