第16話 どの口ガ言いますカ

 彼女の実家から今日前金分のお金が振り込まれるということなので、今日は朝食を奮発した。

 ちゃぶ台には白米に味噌汁、梅干しに近くの漁協直売のアジの開きが並ぶ。もちろん大根おろし付き。朝から魚なんて何年ぶりだろう。

 箸で上手にアジの身をほぐし、上品に口に運ぶアレクシアと共に朝食を満喫する。

「お茶を入れまス」

 食べ終わるとアレクシアが茶筒からお茶の葉を急須に入れ、お湯を注いで蒸らす。

 葉が開くまで蒸らすのは紅茶も緑茶も変わらない。温度が緑茶の方が低いくらいか。

 ペットボトルのお茶だと味気ないし、両親が生きていたころは母さんがお茶を入れてくれた。そのことを忘れないために、今でも僕は自分でお茶を淹れている。

 高級な茶葉でなければ、一杯当りの値段はペットボトルより安い。

 それを聞いたアレクシアが、今日は自分が淹れると買って出た。

 急須から注がれるエメラルドグリーンの液体が、何年も前に買った安っぽい湯呑に注がれていく。

「どうゾ」

 茶道も少しは嗜んでいるのかもしれない、アレクシアのお茶を淹れる仕草は僕よりもずっと美しかった。

 お茶の香りに混じる、アレクシアの甘い香り。

 汗をかいた後のアレクシアの肢体からは香水臭くない、女子の自然な香りがした。日本人と比べてやや強めだろうか。

 それらを堪能しながら僕は湯呑に口をつけた。

 安物の茶葉なのに渋くない、すっきりした香りが魚の生臭さを爽やかに洗い流していく。

「美味しい……」

 茶柱の立ったお茶を口に含んだ時、思わず出てきた言葉がそれだった。

 母さんが入れてくれたお茶とはもちろん違う。母さんのお茶はもう少し苦みがあって、濃く淹れてくれた記憶がある。

 でも、僕が入れるお茶とも違う。誰かが自分のために淹れてくれたということを改めて感じて、目頭の奥が熱くなる。

 アレクシアは僕と目が合ったけど、何も言わずに目をそらす。そして。

「食器、下げますネ」

 お茶碗と湯呑を持ち、ゆっくりと腰を上げた。



 食事が終わった後でテレビをつけると、北辰一刀流の特集をやっているところだった。

「では、さっそく日本きっての古流、北辰一刀流の道場にお邪魔したいと思いまーす!」

 タイトスカートのスーツに身を包み、茶色く染めた髪をアップにした女性レポーターが快活な口調で説明していた。

 レポーターの前に映し出されたのは「北辰一刀流本部道場」、玄武館という看板がでかでかと掲げられたビル。周辺には有名な商社や大手流通、製造業本社のビルも立ち並ぶ都心の一等地だ。そこには聖演武祭を主宰する企業、四菱工業の名前もあった。

 道場というのに、ビルのような外見。 

 都心の道場ではビルを借りているところは珍しくないけれど、ビルを一つ丸ごと所有しているというところに北辰一刀流の組織力がうかがえる。

 テレビに道場内部が映し出される。外観がビルとはいっても、中身は板張りのごくありふれた道場の造りだ。剣道場と言われれば通じるだろう。違いはせいぜいいわゆる上座の方向に北辰一刀流の旗と、代々宗家の顔写真が飾られているくらいか。

 僕の家がすっぽり収まってしまいそうなほど広い道場に、大勢の門下生たちが剣道のように防具をつけ、竹刀での地稽古を行うシーンが映し出される。

 剣道に最も近いと言われる古流なだけあって、竹刀での稽古は一見剣道とほぼ変わらない。

 今度は画面が切り替わり、居合の稽古をしている門下生も映し出された。正座した状態から腰に差した刀を一呼吸で抜き、水平に斬りつけていく基本動作だが、古流をやっている僕から見ても真剣はやはり格好いい。

 中二病心をくすぐるアイテムで、柳生流を継いでいなかったら入門していたかもしれない。確か汐音市にも支部道場があったはずだ。

「古流ですから。竹刀での稽古だけでなく、木刀での型稽古、真剣での居合稽古も並行して行っています」

 レポーターが居合の号令をかけていた小柄な少女に声をかける。

 ロングの髪をポニーテールにまとめた、やや幼さの残る顔立ち。ぬばたまの闇のように真っ黒の髪が、白い道着によく映える。

 北辰一刀流宗家の娘、北辰葵だ。

北辰葵はテレビに映し出されているというのに堂々としたもので、僕がテンパりそうな状況でも臆することなく答えている。

「では、聖演武祭に向けての意気込みをお願いしまーす!」

「北辰一刀流の名に恥じぬよう、正々堂々と戦い抜けるように精進したいと思います。今年も聖演武祭の優勝旗をこの北辰一刀流本部道場に持ち帰ることができるように努めます」

 北辰葵の幼さの残る顔立ちが、真剣を振るときと同じ凛々しい顔つきへと変わる。

「おお! これは勇ましい! 頑張って下さい! 以上、北辰一刀流本部道場より三宅みどりがお送りしました!」

 また画面が切り替わり、今度は画面が暗転した。

と思ったらアレクシアがリモコンを持ってテレビを消していた。親指に握りしめるように力が込められている。

「……どの口が言いますカ」

 憎々し気にテレビの画面を睨む彼女は、そう吐き捨てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る