第26話 女の子は怯えていた

 やがて駆けつけてきた警備員に、彼を引き渡した。

 話を聞くと、聖演武祭で予選落ちした人らしい。それでもかなり強いし、今は動画で予選の映像も流れるから自分を知っているだろう女子目当てでナンパしにきたということだ。

 でも女子がほとんどおらず、諦めて帰ろうとしていたところに中島さんがいた。これは逃がせないと弟を使って同情を引き、うまく行くと思ったところに聖演武祭の話に中島さんが一切食いつかなかったから、なめられたと感じてあんな暴挙に出たらしい。

「ありがとう……」

 警備員への話が終わった後、中島さんは近くのベッドソファーに座ったまま腰を折って僕に深く頭を下げる。アレクシアには少しトラブルがあって遅れるとメールを打っておいた。

 でも今の僕は髪の後ろに隠れた、中島さんの表情が気になる。

 同時に、嫌な記憶がフラッシュバックする。

 こんなとき、助けてもらった女子が格好いいですね、ありがとうございます、なんて思うことはあり得ない。そこから甘酸っぱい青春の一ページが始まったりもしない。

 気味悪がられ、怖がられて距離を置かれるのだ。

 中学の時、似たようなことがあった。

 父母を亡くしてすぐの頃だったし、精神的に不安定な時期だった。

そんな時に、学校の帰り、道端でクラスメイトの大人しそうな女子が大学生らしき男に絡まれていたのを見て、腕をねじり上げて追い払ったことがある。

 勝つのは気持ちが良かったし、追い払った後はラブコメ的な展開を期待していたりもした。今思えば身勝手で独りよがりな考え方だ。

 そんな都合のいいことはあるわけがないのに。

 事実、僕に向けられたのはお礼の言葉でも熱い視線でもなかった。


『い、や……』


 男に絡まれていた時以上の、怯えた視線だった。

 浮ついていた僕は冷や水をかけられ、僕がやったことは、あの絡んでいた男と同じことだと。暴力で言うことを聞かせただけだと、彼女の様子を見てやっと気が付いた。

 稽古と実戦とは違う。

 道場ならば相手に勝てばいいけれど、実戦では周囲からどう見られているかも考えないといけない。

一歩間違えば犯罪につながるリスクもある。

 まずは言葉で説得して。

 次は柔らかく対応して。

 それでもダメな場合に、やっと道場で訓練した技の出番になる。

 普通の武道では最後の段階しかやらない。だから暴力的な人間が育つのか。

 僕が考え事をしていると、中島さんがゆっくりと顔を上げるのが視界の端に見えた。

 思わず目をつぶってしまう。暗闇が、動揺した心を少しだけ静めてくれる。

 彼女の視線が怖かった。またあのように蔑まれるのが怖かった。

 結局、ドン引きされる運命なのか。

「どうしたの? まさか、どこか怪我した?」

 でも僕にかけられた言葉は、凪ぎの海のように優しく、落ち着いた声だった。

 ゆっくりと目を開くと、僕を気遣っている中島さんがそこにいる。

 眼鏡の奥の瞳は優しくて。

 その事実に、肩の力が抜けた。胸の奥に暖かなものが広がっていく。

「すごい…… 武道とか古流はもっと暴力的なものと思ってたけど。今の柳生くんの動きは、まるで手品みたいだった」

 手品か。言いえて妙かもしれない。

それに中島さんがそう言ってくれて、気が楽になる。

 ただ力を振るっただけのあの時から少しは成長できた気がした。

 笑いがこぼれたが、それを見て中島さんは慌てた様子を見せる。

「ごめん、言い方失礼だった?」

「別に気を悪くしたわけじゃないよ。武術としてはむしろ誉め言葉だから」

「そうなの?」

 中島さんは僕の返答がよほど意外だったのか、目をぱちくりさせていた。

 彼女のそんな反応が新鮮で、普段の姿とのギャップに不覚にも少し胸が高鳴る。

 でもそんな自分を遠くから眺めるような感覚もまたあって。

 すぐに自己嫌悪に陥る。

 不覚だ。本当に、不覚だ。

 嫌われると思った直後だから、こんな風に感じるだけだ。

 心に隙ができてる。少し心を許してくれたからって気があるわけじゃない。

 僕が助けに入る前の中学の女子も、そうだった。普段の会話が楽しくて、それで少しだけ仲良くなって、お節介みたいに助けて、最後は怯えられて終わり。

 僕は心を落ち着かせ、中島さんの質問にいつも通りの対応を試みる。

「まあね。説明するのは難しいけど」

「そうなんだ……」

中島さんは僕の含みを持たせた言葉にも、どこか得心がいった様子で頷く。

 こういう言い方をすると説明できないから誤魔化したと思う人が多いのに、彼女は意外と武術に対する勘がいいのかもしれない。

 礼儀作法もしっかりしていたし、茶道か華道か、日本舞踊でもやっているのかも。古流とは通ずるところはあるし。

「それに私に気を使ってくれていたのが、伝わってきたし……」

 ベッドソファーの隣に座った僕に、中島さんが身を寄せてくる。

 といっても、さっきより腕の太さくらいの距離しか変わってはいない。体をほんの少し僕の方へ傾けただけだ。

 にもかかわらず、彼女をずっと近くに感じた。

 さっきは恐怖のためか感じなかった中島さんの甘い香りや、濡れた眼鏡の奥の瞳、汗で額に張り付いた黒髪が今ははっきりと意識に刻まれていく。

「そろそろ、戻ろうか!」

 僕は気恥ずかしくなって、というかこういう時どうしたらいいのかわからなくて、慌てて席を立った。

 こんな時の対処法は武術をやってもわからない。

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