第25話 強くたって、モテるとは限らない。

 道着とか制服、スーツ姿の人が目立つ武道館内の中では珍しい、茶髪にダボダボのズボン。それが目の端に入り、気になったので後を追うと、偶然中島さんを見つけた。

 中島さんは手首をつかまれて、物陰に引きずり込まれそうになっていた。

 そのそばで面白そうにそれを見ている、小学生くらいの男の子が一人。

 一見わんぱくな子供に見えるけど、あのくらいの年齢でいじめられたからよくわかる。

 その子の邪悪な本性が。

 人をだまして、いたぶって、喜ぶ腐った性根が。

 年齢を利用して、人が良さそうな中島さんに何らかの形で付け込んだのだろうか。

 あれくらいの年の子は残酷だからな。僕のいじめが一番ひどかったのも、あの男の子と同じくらいの年齢の子だった。

 中島さんは茶髪男子に掴まれた腕を振りほどこうとしているけれど、単に引っ張るだけでは一度掴まれた腕を振り払うのは難しい。

「お前、誰だよ」 

 暗がりにたたずむ茶髪の男は、見下したように僕を一瞥した。

 まあ、僕はそんな強そうな外見じゃないし、なめられるのも仕方ないか。

「誰だっていいでしょう。とりあえず、その女の子の知り合いです」

 僕はそう言いながら茶髪の男にゆっくりと近寄る。

「てめえ」

 表情が苛立たし気に歪む。少しだけ怖い。昔だったら怯えて、テンパって、下手をしたら中島さんさえ見捨てて逃げ出していたかもしれない。

 でも今は大丈夫。こんな奴、怖くない。

 茶髪男子の腕に、ゆっくりと手を置く。

 手合わせをする、という言葉があるが相手の手に触れると向かい合って構えるよりも相手の実力がはっきりとわかる。

 問題なく勝てる相手だ。でも、こういう時は勝ち負けより大事なことがある。

 昔の記憶がフラッシュバックする。

中学の時。絡まれていた女子。事が片付いた後、僕に向けられたもの。

 同じ轍を踏まないように。中島さんをできるだけ怖がらせないように、やってみよう。

 


 男子の腕に手を置いたまま、剣を握る時のように無駄な力を入れず、軽くゆっくりと回す。

 人体の構造上腕をねじられると指を曲げる筋肉が伸ばされるので強く物を掴めない。当然のことながら茶髪男子の指は中島さんから離れた。

「……お前、何しやがった」

 どうやら体術にはそれほど通じていないようで、声音に驚愕と動揺が入り混じる。

 彼の束縛から自由になった中島さんは、震える足を引きずるようにして彼からゆっくりと距離を取った。

 中島さんにこんな思いをさせたこいつらに怒りがわく。でも今は場を丸く収めたい。

 これで引き下がってくれればいいんだけど。

 傍目には大した感じに見えないはずだし、これで終われば事を荒立てないで済む。

 今の行動で少しビビったのか、僕を見る目が見下した感じではなくなっていた。

 これなら……

 しかし淡い期待は、常に儚く砕け散るらしい。

「兄ちゃん、そんなひょろい奴になにやってんだよ」

 クソガキが煽るようにそう言うと、茶髪男子の顔がわかりやすいくらいに歪んだ。

 弟の前でメンツを潰されたと感じたのか。

 ほんと、小学生男子ってのはクソだ。いじめが好きだし人の気持ちに鈍感だし、何より事を丸く収めるってことを知らない。

 茶髪男子はよくそんなもの持ってるな、と思うようなごついナイフをポケットから取り出した。しかもグリップの部分も滑り止めが付いてるし、柄が付いていて本格的だ。

 でも武道やってるなら銃刀法くらい知っておいてほしい。刃渡り十五センチ以上の刀、五・五センチ以上の剣は明確な目的なしに持ってはならないのだ。

「そんなものをポケットに入れてたら銃刀法違反だよ?」

「……うるせえよ」

 茶髪男子が毒づいて、怒りを露わにして僕に敵意を向けた。

 まあ、それだけだけど。

 僕のゆっくりとした声と対照的に、中島さんは涙目になり、膝が震えていた。

 彼女の怯え切った表情と声に、心がざわつく。

さっきよりも強い怒りが臓腑の奥からこみあげてくる。

「お前もビビってんのか? ああ?」

 茶髪男子はこれ見よがしにごついナイフの切っ先を僕に向けて威嚇してくるので、僕はさりげなく片足を引いて半身の自然体を取った。これでナイフで突ける範囲が相手から見てかなり小さくなる。

 背後にかばった中島さんが「柳生くん、逃げて……」とかすれる声でつぶやいた。

 そんなことより君が逃げてよ、と言おうとしたが半身越しに後ろに目線を向けることで彼女の言動の理由が分かった。

通路をあのクソガキがふさいでいるので逃げられないらしい。素人の彼女ではあれくらいの子でも突き飛ばして逃げるのは難しいだろう。

クソガキのくせに、知恵が回るな。人を嫌な思いにさせることばかりして。

「……クズばっかりか」

 僕が思わず漏らした言葉に、茶髪男子が色をなした。

「てめえに何がわかる」

 眦を吊り上げ、手にしたナイフを振り上げて襲い掛かってくる。

 気合というか殺気が込められた一撃が、鋭い踏み込みと共に僕に迫る。

 剣道部の広田と比べても遜色ない。

 剣道の突きのようにスナップが効いた一撃が、僕の腹に吸い込まれるように迫ってくる。でも僕は相手に対し半身を保ちながら、拳で小手を狙いナイフを叩き落した。

 床と金属がぶつかって、澄んだ音を響かせる。

 でも、体勢を立て直す隙は与えない。

 痛みとナイフを叩き落された驚愕で相手が怯んだところを、前足を軸にしながら体を半回転させて後ろへ回り込む。隙だらけの背後から、膝裏に軽く蹴りを当てた。

 柳生流剣術の型の応用だ。本来は胴を打ってきた竹刀を受け、拳で小手を打った後、一気に背後に回り込む勢いで竹刀を大きく回し後ろから相手の膝裏を打つ。

今回は蹴りで代用したのでいわゆる「膝カックン」の態勢になった男の手首を極め、あえてゆっくりと倒すと地面にうつぶせに押さえつけた。

 この時肩関節からひねるようにして、手首を内側に曲げてやるとナイフを握れなくなる。

 怖い顔にならないように、暴力的な技にならないように細心の注意を払う。

 今、この場で一番怖いのはナイフと対峙する経験者の僕じゃなく、傍から見ている素人の中島さんだろうから。

「兄ちゃん!」

 クソガキが逃げようとしたので、足を払って転がした後にもう片方の手で同じようにねじり上げた。

「はなしやがれ……」

「はなせよ!」

 離すわけないだろ。

 中島さんにあんな顔をさせたくせに、人に命令するな。

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