第24話 視点 中島彩1
私、中島彩は自販機で買ったコーヒーを飲み、一息つく。
自分でも気づかないくらいに緊張していたらしく、紙コップに注がれたカプチーノを飲んでソファーに倒れこむように座るとどっと力が抜けていった。
武道館内に設置された休憩スペース。ベンチソファーと自販機が置かれ、リラックスできるようにか照明が他の場所に比べやや暗めになっていた。
通路から少し奥に入った位置にあり、人が少ない場所。ここに来るまでにすれ違った怖い印象の人たちを思い出しながら、私は一人ごちる。
「なんでアレクシアさんは、サムライとか聖演武祭とか、あれだけ一生懸命になるんだろう……」
サムライが格好いい、と思うくらいは理解できる。サムライやニンジャがクールジャパン戦略で海外に輸出され、有名になっているのもその一因だろう。私も近所の子たちがチャンバラや忍者ごっこをしているのを見かけたことはある。
でも。
やっぱり本格的な戦いは怖い。
かっこよくサムライなんていっても、極論すれば人殺しの集団に過ぎない。戦争のための人材に過ぎない。
武道とか格闘技やってる人って、口調は荒っぽい人が多いし、声は大きいし、なんというかオーラそのものが怖くて、私には合わない。
工業とか、理系の話をしてる方がよっぽど合っている。そしていずれは中島工業を継いで、四菱工業に負けない大きな会社にしてみせる。
そのためには四菱工業をこの短期間で大企業に押し上げた、マヨイガの研究が一番手っ取り早い。戦いに使われる技術だから怖いけど、研究テーマとしては面白い。
そのためにここに来た。
決して柳生くんとアレクシアさんの仲が気になるからじゃない。
「でも、あの柳生くんが聖演武祭に出場って…… 何かの冗談じゃないのかな」
柳生くんはそんなに怖いとは感じない。
古流の跡取りという話だけど、正直強そうには見えない。今日すれ違ったたくさんの男子より背は低いし、体も細い。多少は鍛えているみたいだけど、テニスとかバスケ部って言われたほうがしっくりくる気がする。
「怪我しないといいけど……」
私は試合が始まってもいないのにそんな不安を抱きながら、空の紙コップをゴミ箱に捨てた。
そろそろアレクシアさんたちの所へ戻ろう、そして早めに帰宅しよう、と思ってベンチソファを立つ。するとこの奥まった休憩スペースに、人が一人入り込んできた。
武道館内では珍しい、十に届かないくらいの、背の低い子供だ。野球帽をかぶり、日焼けした体にシャツを着ている。わんぱく盛りというか、活発そうな子だ。
でもその子はきょろきょろと視線を巡らせながら、快活そうな顔を不安げに歪めていた。目にはうっすらと涙を浮かべてさえいる。
一人ぼっちの子供。そんな彼を見た途端、トラウマを刺激される。私は無意識のうちに駆け寄っていた。
「ぼく、迷子?」
私は膝をつき、その子と視線を合わせて話しかける。
するとその子が年不相応の、醜い笑顔を浮かべた。
と思ったのも一瞬のことで、すぐにまた泣き出す。私の気のせいだったのか、それとも私と同じように嫌なことを思い出したのか。
私が何度か頭を撫でたり、あやしたりしながら泣き止ませると、その子は涙をぬぐいながら、私の質問に答えた。
「お母さんと、はぐれちゃったの…… そこのお兄さんが探してくれてるけど」
その子が指さした男性を見る。
柳生くんと同じくらいの年齢だ。でも彼より背が高く、体格もがっしりしている。それはいいのだけど髪を濃い茶髪に染めて、だらしなく伸ばしている。服もだぼだぼのTシャツにジーパンで、なんとなくガラが悪い。
はっきりいって、私の苦手なタイプだ。
でも子供が泣いているし、そんな子に手を差し伸べるのだから悪い人ではないのだろう。
人は見かけで判断してはいけないって、学校でも習った。
私が男の子の母親探しを手伝うことを伝えると、彼は親し気に話しかけてきた。
「君もその迷子の子の手伝いするの? バリ優しいね」
「俺も最初はほっとこうかと思ったけど、やっぱ子供が泣いてるのってほっとけないじゃん?」
「俺、聖演武祭の予選でいいところまで行ったんだぜ。来年は本選に出場できるかもしれねえ。すごくね?」
「そうですか……」
私はそういうことに関心がないので、生返事になってしまう。
少し気分を害したのか、茶髪男子は顔を一瞬だけ歪めた。そんなことより、今は迷子だ。
「少しだけ、一緒に探そうか」
私はその子からお母さんの特徴を聞き、聞き込みを始める。
スマホをまだその子は持っていないらしく、お母さんとの連絡も取れないらしい。
二人がかりだし、少し探した後館内放送で呼び出してもらえばすぐに終わるだろう。
少しおかしいと感じたのは、探し始めてすぐの頃だった。
お兄さんと呼ばれた子もその小さな子供も、武道館の奥、人気の少ない方へと歩いていくのだ。
私は踵を返して引き返そうとしたが、茶髪男子に腕を掴まれてしまった。
「おい、どこへ行くんだよ」
その時、私ははっきりと怖さを感じた。
はっきりと私を威圧するような口調になり、さっきまで泣いていた子供も、年相応のあどけなさではなく虫の足を引きちぎって遊ぶような残虐な表情をしていたからだ。
私に初めて見せた、あの醜い笑顔が再び私の前に現れる。
「ここまでついてきておいて、何言ってんだよ」
「そうそう。お兄ちゃん、こいつマジ間抜け。ちょっと演技してコロッと騙された」
二人がかりで私をなじってくる。
もう何が起こっているのかわからない、いや考えたくない。
「……お母さんは?」
震える声でそう言うのが、私には精いっぱいだった。
鼻の上で支えている眼鏡が、汗でわずかにずり落ちる。
彼らに残っているはずの、ほんの少しの良心に期待していたのかもしれない。
でも現実は容赦がなかった。
「いねえよ。とっくの昔に新しい男作って出ていった」
「こいつバカじゃね? まだ迷子だと思ってんの?」
私はもうなりふり構わず、腕を振り払って逃げようとする。
それが逆に、良くなかったのかもしれない。
手首に鋭い痛みが走る。
男性によって手首を強くつかまれ、逃げられなくなった。
「こっち来いよ。俺来年は聖演武祭に出場できるかもしれねえんだぜ? てか、俺が予選落ちしたからなめてんのか、このメガネ」
男性は私の手首を引っ張って、物陰に引き込もうとする。
小さな子は止めるでもなく、面白がってはやし立てていた。
怖い。
でも声が出ない。
せめてさっきスマホで迷子を捜しに行く、くらい連絡を取っておけばよかった。そうすればアレクシアさんが気付いて、助けを呼んできてくれたかもしれない。
誰か、助けて。
私の震える喉からは声が出ず、心の中でそう叫ぶ。
今度の現実は、私に少しだけ優しかった。
ここ数日で聞くことが多くなった、さっきまで心の中でディスっていた人。
「その子の手を放してください」
柳生くんが、来てくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます