第53話 来訪者
夕飯の材料などを買ってから家に帰り、障子が張りなおされた母屋で道着に着替えて道場に向かう。
雑草一本生えていない庭を通り、だいぶ立て付けが良くなった道場の戸を開ける。
アレクシアが業者を呼び、庭や道場の手入れを行ってくれたのだ。
道場の中から、木刀を振る音が聞こえてくる。
そこでは切れ長の瞳に眼鏡をかけ、肩までの黒髪を後ろでまとめた少女が稽古に励んでいた。
新しく入門した門下生、中島さんだ。
足さばきと基本の打ちの稽古から行っている。
他の入門希望者が退屈だとこぼしていた稽古を彼女は嫌な顔一つせずに黙々と行っていた。
その後、アレクシアと組んで型の稽古を行っている。
でも相手と向かい合うのはまだ怖いようで、袋竹刀がぶつかって大きな音を立てるたびに目をつぶっていた。
「お疲れ様」
ひと段落着いたところを見計らい、声をかける。
「あ、柳生くん……」
「一休みしたほうがいい」
「でも、まだうまくできないのに」
「だから、だよ。息が上がって筋肉が悲鳴を上げてるのにやっても、どんどん形が崩れるから」
「……わかった」
中島さんは軽く神前に向かって一礼すると、道場の隅に腰を下ろす。隣で稽古を行っていたアレクシアも続いた。
軽く水分補給して、落ち着いてきたところで気になっていた話題を切り出す。黒い瞳の少女と軽く目が合った。
「中島さん、今更だけど。なんで柳生流に入門したの?」
「そ、それは……」
急に話しかけたのが不味かったのだろうか。中島さんは目を伏せて顔を俯かせてしまう。表情はさらさらと肩まで流れる黒髪に遮られてうかがい知ることはできない。
蒼い瞳の少女はなぜかそんな中島さんを微笑ましそうに眺めていた。
やがて落ち着いたのか、ゆっくりと中島さんは顔を上げる。
「前にも言った通り、アレクシアさんと柳生くんの監視のためだよ。そうすれば長い時間、自然な形で一緒にいられるでしょ?」
理由はわからないけど、アレクシアは中島さんの返答に噴き出してしまった。
中島さんは涙目になりながら、アレクシアを睨みつける。
金髪碧眼の少女は片手を顔の前に掲げて謝罪の意を見せた。
「でも…… 暴力的なのは嫌いだって言ってたし。他の人は型ばかりでつまらないって言うし」
元々古流への造形が深かったアレクシアはまだしも、中島さんにとって剣術の型なんて馴染みのあるものじゃないはず。それを延々とやらされるのだ。
「前は暴力的、なんで言い方をしてごめん」
中島さんは正座したまま、深く頭を下げた。
「いや、気にしてないから。実際、そういう面もあると思うし」
「ううん。そうじゃなくて、柳生くんまで侮辱するような言い方になっちゃったから。今ででも怖いときはある。けどね」
中島さんはそこで言葉を切り、素手で軽く構えを取る。
「実際にやってみるとね。暴力だけど、暴力じゃないって感じがする。うまく言えないんだけど……」
葵さんはうまい表現を探しているのか、女の子らしい細い指を顎に当てて考え込んでいる。でもやがて諦めたのか、次の質問への回答に移った。
「それに型を繰り返し行うのは、お茶とかのお稽古で慣れてるから…… 型を繰り返すの、結構楽しいよ? 少しずつ自分の技術が向上するのが実感できる」
「さすがですネ、アヤ」
道着の胸元を引っ張って風を送り込んでいたアレクシアが、笑いながら言った。
そうすると胸がちらちら見えるので、僕は一瞬だけ目に焼き付けてから目をそらした。
アレクシアは聖演武祭以降、こういう思わせぶりな仕草やスキンシップが増えた気がする。
「そういえばアレクシアは、まだ日本にいて大丈夫なの?」
「まだ留学期間は残っていまス。それに、今回の件で北辰一刀流や古流とだいぶ揉めたのデ、その後始末もしないといけませんシ」
「……大丈夫?」
武道の世界は綺麗事じゃ済まない面もある。
「ご心配なク」
でも僕の心配をよそに、アレクシアは顔の前で腕を振ってあっけらかんと笑った。
「多少の妨害など、シーメンス社の前では問題になりませン。それに聖演武祭というヤーパン屈指の大規模イベントの準優勝者と懇意にするのは、ビジネスの面から言ってもそんなに不自然ではありませんシ。いくつか企画も考えていまス」
「企画って?」
「現段階ではまだ言えませんネ」
手入れがされた道場に響く、休憩時間中の和やかな会話。
潰れる心配のない道場に、少ないけれど柳生流を学ぶ仲間がいて。
ずっと欲しかったものが、やっと手に入った感じがした。
ふと、道場の外にある玄関のチャイムが鳴るのが壁越しに聞こえた。入門希望者かな?
「ちょっと見てくる」
僕は来訪者を出迎えるべく、床から立ちあがった。
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