第30話 海の音
真剣での稽古も終わった後、使用後の道場を掃除し、手ぬぐいで汗をぬぐって一息つく。日が落ちた秋の風はあっという間に汗ばんだ体を冷やしていった。
休憩のため道場の隅に腰を下ろしていると、
「お疲れ様」
正座して稽古を見学していた中島さんが声をかけてきた。背筋が伸び、軽く握った手を太腿に置いた美しい正座だった。
「アヤも好きですネ。このところ毎日来てませン?」
隣でこれまた正座していたアレクシアがからかうように言う。
「あくまで監視だし…… 一日でも抜けたら意味がないから」
どこか言い訳がましく聞こえる中島さんの言葉に、アレクシアはなぜか笑いをこらえていた。
国立武道館を三人で見学に行ってから、中島さんが訪ねてくることが増えた。
僕とアレクシアを監視するためというけれど、そんなに僕のことが信用できないんだろうか…… ちょっとショックだ。
「それにしても…… 柳生くんの剣は、なんというか、私の想像してたのとはだいぶ違うね。そんなに痛そうじゃないっていうか…… アレクシアさんと稽古しているときでも相手の頭とか、お腹とかをいきなり打つわけじゃなくて、相手の剣を押さえるようにして使うから、かな? とどめもあくまで打ち込まずに突き付けるだけだし」
剣道部の広田とやった時は目を突きそうになるけど、危険な技だけが古流じゃないからな。
「柳生流の基本は三学円の太刀という五本の型だけど、もともと鎧を着てた相手に対する技だからね。面や胴を打っても鎧に阻まれて効果がないし、まず相手の小手を制する技が多いからそう見えるのかも」
好きなことなので喋りすぎて引かれないように気を付けながらまとめると、中島さんは感心した様子で僕を見上げる。
「奥が深いね、古流というのは……」
僕も腰を下ろして正座し、三人で車座になって中島さんが淹れてくれたお茶を飲む。
運動後に熱いお茶を飲むのも気持ちがいい。母さんが生きていたころはよくこうして僕と父さんにお茶を淹れてくれた。
中島さんが淹れてくれるお茶は僕が淹れるより母さんの味に近い。思わず鼻の奥がツンとした。
「柳生くん……」
お茶も飲み終わり、夕食の準備をしようかと思った頃だった。
どこか遠慮がちに言った中島さんに、軽くうとうととしていた僕は顔を上げる。
目が合うとなぜか彼女は一瞬だけ目をそらし、また戻してから言葉をつづけた。
「なんだか、動きにいつものキレがない気がする」
「素人のアヤでさえもわかるくらいですから、相当なものですネ」
「いや…… いよいよ明日が本番だよね? どこまで行けるのか、初戦さえ突破できるのか、心配になって」
古流の継承者とは言えども、他流派との手合わせは剣道の地稽古くらいしかやったことがない。柳生流は他流との交流があまりない。
それに聖演武祭ルールで戦うのは初めてだし、ましてや真剣を持って立ち会うなんてやったことがない。
真剣での型稽古は父さんが生きてた頃に散々やったけど、それくらいだ。
「ソウタ」
アレクシアはそのエメラルド色の瞳に僕を映すと、噛んで含めるように言った。
「北辰一刀流の本部道場にも行ったかラ言えますガ…… ソウタ、アナタの剣が北辰一刀流の師範たちに劣るとは思えませン」
お世辞じゃないのか。僕はそう言いたくなるのをぐっとこらえる。
「さすがは徳川将軍家お抱えの流派、といったところでしょうカ。それにあなたのファーター、父は、良き師だったのでしょウ。幼いころから家伝の柳生流を教え込まれ、成長してからは型を徹底的に繰り返してきた、その積み重ねでス」
アレクシアの言葉には真摯さがある。お世辞じゃないのが伝わってきて、ふっと肩の力が抜けた。
まあよく考えれば、勝ち目がないのにいきなり押しかけてきて優勝しろ、なんて彼女が言うわけないか。僕のことは調べ上げたと言っていたし。
「ソウタの流派は聖演武祭とは距離がある流派ですシ、他流派との交流も乏しいからそう思うのも無理はありませんガ。自信を持ってくださイ」
「そうだよ、柳生くん。私を助けてくれた時、すごかったし」
「その通りでス。聖演武祭にもう少しで出場できた人間の攻撃を、アナタは素手であっさりとさばいたのですヨ」
アレクシアのにそう言ってもらえて、気が楽になる。
中島さんの言葉は、凄く心がほっとした。
「ありがとう。だいぶ落ち着いたよ」
湯呑の底に残っていたお茶を飲み干す。冷めてはいるけれど。さっきよりもずっとおいしく感じられた。
それからアレクシアと中島さんに当日のちょっとしたお願いをした後、道場の掃除をする。最近は中島さんも手伝ってくれるようになった。
消化のいい夕食を囲み、早めに床につく。
電気を消して暗くなった部屋。
音だけが支配する空間で、窓の外からかすかに聞こえる潮騒。
今日は波にうねりがあるからか、良く聞こえる。小さなころから好きだった音。
海の音楽は気持ちを穏やかにしてくれる子守唄だ。
十時を回ったころだろうか、僕はゆっくりと眠りに落ちていった。
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