第29話 指を切る
教室の窓から見える海が、いつもより青みを増している。波は荒く、うねりを帯びていた。
南の海上に台風が発生したらしいから、その影響だろう。
いよいよ明日は聖演武祭だ。この学校からも何人か観戦に行く生徒はいるらしく、入手困難な観戦チケットを手に入れたことを自慢したり妬まれたり、羨ましがられたりする会話が時々耳に入ってくる。
僕のそばを歩いたり、僕の近くで誰かが立ち止まるたびに少しだけ期待してしまう。
でも僕が出場するなんて誰も思いもよらないのか、僕に聖演武祭の件で話しかけてくる人はいなかった。
別に期待なんてこれっぽっちもしていないから、別にいいけど。
悔しくも寂しくもない。全然ない。
人付き合いなんて嫌いだし、苦手だし。
僕はスマホで動画サイトを開き、対戦相手の動きをチェックする。
組み合わせは昨日、メールで送られてきた。
北辰葵とはもし勝ち進めれば決勝で当たるけれど、今は序盤で当たる予定の相手の研究だ。
家に帰ってアレクシアと木刀を構えて稽古する。
近頃は決まった動きを繰り返す型の稽古だけでなく、聖演武祭を想定した地稽古に近い練習にも付き合ってもらっていた。
ここ数日は稽古も激しくなり、だいぶ遅くまで付き合ってもらっているけれど彼女は嫌な顔一つしない。本当にありがたい。
少しずつ日が落ちるのも早くなり、道場の隙間から吹き込む風も一日一日と冷たさを増している。
すっかり日が落ち、光源が道場内の照明だけになると少し暗く感じる。アレクシアの息もあがり始めたのを見計らい、彼女には少し休憩してもらう。
道着の裾の隙間から流れる汗が白い鎖骨を流れるのがなんとも色っぽい。
汗で額に張り付いた金糸の髪が、登下校時や学校内での様子より蠱惑的に彼女を彩る。
僕は首を振って雑念を打ち消し、道場の上座に据えられている藍色の袋を手に取った。細長いそれから中身を取り出すと、収まった真剣が姿を現す。
柳生流剣術を受け継ぐものに連綿と伝えられる一振りで、藤の蔓を巻いて黒漆で固められた鞘という独特の拵えが特徴的だ。
僕は柳生流の真剣を腰に差し、一人で型の稽古を行う。
聖演武祭は真剣で打ちあうので、そのための訓練だ。袋竹刀や木刀と比べて重さも重心の位置も異なるから手に慣らしておく必要がある。
本当は真剣でアレクシアと一緒に型の稽古をやりたいところだけど、まだ彼女はその技量じゃないから見学だけにとどめてもらっている。
真剣を振る時独特の袋竹刀とも木刀とも違った音が道場に響き、独特の緊張感を醸し出す。
アレクシアが見入るように僕を見つめているのが視界の端に映った。
やはり真剣を握るときは緊張する。その形状もあるけれど、下手をすると自分を傷つけてしまうからだ。
明日のことがふと頭に浮かぶ。先日見た試合場に大勢の観客が押しかけ、テレビ局のカメラと観客のスマホに常に見られながら剣を振るうことになる。
そんな状態で戦うのは初めてだ。道場の稽古をのぞけば、試合は数回出場した剣道部のそれくらいしか経験がない。
刀を鞘に納めるときに、一瞬だけ指を切りそうになった。
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