第28話 視点 中島彩2
私の家に着いて、お父さんと難しい話をしたアレクシアさんは今お風呂に入っている。
私は一足先にお風呂に入って、自室に戻った。
自室には写真立てに入れたお母さんの写真が棚の上に置いてある。
教科書や参考書が並べられた木目調の棚の上に置かれた、白い写真立て。
あの時から、ずっとそのままの姿のお母さん。
いつもは伏せているそれを立てると、目をつむって手を合わせた。
お母さんは数年前に病気で亡くなった。だから柳生くんが両親を亡くしたことを聞いた時に他人に思えなかったし、国立武道館でも母親とはぐれたと聞かされただけで入れ込んでしまった。
心の中にずっといてくれているお母さんに、今日無事だったことを感謝して、下手な誘いに乗ってしまったことを謝罪する。
それからゆっくりと目を開けた。暗闇の世界に光が差し込み、自室の風景が目に飛び込んでくる。
それと同時に、私は気持ちを切り替えた。
泣いてばかりだと、お母さんが天国で心配するだろうから。落ち込むのはこれでおしまい。
アレクシアさんをもてなす準備に取り掛かろう。
部屋にクッションを二つ敷き、テーブルに紅茶を入れたティーポットと、帰るときに買ってきたケーキを置く。
今日は二人でパジャマパーティーだ。
普通はパジャマパーティーといえば駄菓子とペットボトル入りの飲み物を置くけど、アレクシアさんの希望でケーキにした。
さすがセレブ。
やがてアレクシアさんが部屋に入ってくる。彼女は金髪をシュシュでひとまとめにして、お皿に盛りつけられた自分の分のガトーショコラを見ると変な顔をした。
ケーキ屋さんに寄って彼女もいっしょに選んだケーキなんだけど、どうしたんだろう。
ドイツのテーブルマナーと違ったのかな?
少し不安になる私を尻目に、アレクシアさんは綺麗に盛られていたケーキを横倒しにする。
それからフォークを横から刺した。というより、ぶっ刺した。
「やはリケーキはこうでないといけませんネ」
彼女の前には無残に横倒しにされ、脇腹にフォークを刺されたガトーショコラが惨殺死体のように置かれている。
どうしたの? 何か起こらせるようなことしたのかな?
私の様子に気が付いたのか、アレクシアさんは慌てた様子で説明してくれた。
怒っているわけではなく、それがドイツ流らしい。ググってみると、確かにそれらしい画像がいくらでもヒットする。
「説明が足りズ、すみませン……」
ぺこぺこと頭を下げるアレクシアさんだけど、ケーキはおいしかった。
私が選んだショートケーキも、彼女に一口分けてもらったガトーショコラも、ほっぺたが落ちるほどに美味しい。
甘いお菓子を口の中で楽しみ、温かいお茶で心を落ち着けると自然と話が弾んでくる。
この機会に、前に家にいた時は聞けなかったことを話題に挙げた。
「それにしても…… なんでアレクシアさんはそんなにサムライが好きなの?」
以前「行住坐臥」という言葉が好きということは聞いた。
でもそれだけではないだろう。
「まず格好いイからです。ヤーパンの文学やアニメに出てくるサムライの描写は胸を熱くするものがありまス。忠義、智、そして剣術。ドイツの文学とは違ったものがありまス」
「それニ」
アレクシアさんはそこで言葉をいったん切り、私の目をじっとその碧い瞳で見つめた。
「今の価値観とはそぐわないかもしれませんガ、損得抜きで行動しようとすることですカ。不利な作戦と知りながら主君に殉じた南北朝の楠木正成。豊臣と共に最期まで戦った真田幸村」
「大会社や学校というところは利害損得の泥沼。ドロドロとした人間模様に疲れ果てると、時代が変わっても主君が滅びても、己の信念を貫くという姿が無性に美しく思えるものでス」
他のクラスメイトと話すときとは明らかに声の調子が違う。相手の反応を常に気遣うのではなく、自分の思いの丈をガンガンぶつけてくる感じ。
今日初めて、アレクシアさんの本音を聞けた気がした。
「アヤも今日のソウタの一件でサムライに対する見方が少し変わったのではないですカ?」
私を助けてくれた柳生くん。武道が暴力的な技だけじゃないことを目の前で見て、手品のように二人を動けなくして。
あの時の柳生くんは、本当に……
「まあ、そうだね」
気恥ずかしくなって、私はそっけない返事をする。
話題が途切れ、間を持たせるために空のカップに紅茶を注ぐ。
アレクシアさんに紅茶を差し出して、彼女と目が合った。
昨日まではそんなに気にならなくて。
でも今日柳生くんに助けられて。
アレクシアさんの思いを聞いて、どうしても気になって仕方ない。
喉から言葉が出かかって、それが引っ込んで、それを繰り返す。唾を飲み込む音が頭の奥で響く。
お腹に力を入れて、目を固く瞑って。
やっぱり勇気が出ない。
でも次の瞬間に、全てが吹き飛んだ。
「ワタシがソウタをどう想っているのか、気になりますカ?」
文字通り心臓が飛び出るかと思った。もし紅茶かケーキを口に含んでいたら吐き出していたはず。
「そ、そうだね。一応、柳生くんも、サムライって言っていいと思うし。現代のサムライ、柳生くんをどう思ってるのかなーって、ちょっと気になったり」
昨日までならこんなセリフは絶対に口から出てこなかったはず。
でもアレクシアさんは。
私の動揺なんてどこ吹く風で、紅茶を口に含みながら世間話でもするかのように言った。
「まあ、彼のことは好きですガ」
彼女の言葉が、なかなか頭に入ってこない。
好き? アレクシアさんが、柳生くんのことを?
やっと頭がアレクシアさんの言った言葉を理解する。
同時に。今日彼に助けられたこと、私が怖くてたまらなかった時に颯爽と駆けつけてくれたこと、自分よりも体格がいい相手に立ち向かっていったこと。
そして何よりも、勝ったのにすごく悲しくて、怯えたような目で私を見ていた柳生くんを思い出す。
彼が気になって、守ってくれたことが嬉しくて、同時に彼が何であんな顔をしていたのかがわからなくて。
誰よりも、彼のことを知りたいと感じた。
そのことを思い出して、アレクシアさんの言葉を理解すると胸がナイフで切り裂かれたかのように痛んだ。
泣きそうになって、天井を向いて涙が零れ落ちないようにした。
「そう、よかったね…… 今日のことで柳生くんいい人ってわかったし、一緒に住んでるんでしょ? きっと両想いになれるよ」
よくもまあ、こんな言葉が口を突いて出るものだ。
私はどこか遠いところから自分を眺めているような気分になる。
本音と口を突いて出る言葉はいつだってちぐはぐだ。
お母さんが亡くなった時も、泣くのを必死にこらえて「大丈夫だよ、お父さん」と言ったのを思い出す。いつも人に気を使って、自分が我慢して、それで丸く収める。
そして後で一人で泣くんだ。
「いエ、冗談ですヨ?」
アレクシアさんの慌てたような声に、私は我に返る。
「確かに人格者とは思いますガ……」
柳生くんのことを話しても、声が上ずることも顔が赤くなることもない。
どうやら本当らしい。そう思うと心の底からほっとした。
「それにラッキースケベ的なイベントも、ないですシ……っ」
何かよくわからない言葉を呟いた後、下着の入っているバックに目を向けたアレクシアさんはなぜか頬を赤く染めた。もともとが白い肌の彼女だから、赤くなる時もわかりやすい。
なんとなくこれ以上聞いちゃいけない気がして、私は話題を変えた。
「そういえば、なんで北辰一刀流の道場に入門しなかったの?」
確か転校してきた初日に行ってきたはずだし、入門することを楽しみにしていた。
その後の絶望したような、憔悴したような感じがあまりにもひどくて聞けなかったけど。今日の北辰葵さんとの会話でもすごく様子が変わったからずっと気になっていて。
聞くつもりはなかったけど、アレクシアさんにからかわれたのが悔しくて、少し仕返しをするつもりだった。ただそれだけのはずだった。
なのに。
アレクシアさんは親の仇でも見るような、鬼の形相のような顔になって拳を握りしめていた。
「何が…… あったの?」
「アヤは知らなくてもいいことでス。でもソウタにはどうしても勝ってほしイ。今まで信じてきたものが間違いではなかったと、思いたイ」
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