第32話 うまい話
出場者用の受付で試合に使う真剣と登録証を呈示し、国立武道館内部へ入る。アレクシアたちとは一旦別れてから更衣室で道着に着替え、真剣を腰に差した。
他の参加者の高校生たちも中で着替えており、道着に真剣というスタイルの他に格闘技系の参加者なのか素手で柔道着や空手着、総合格闘技のユニフォームに身を包む選手たちもいた。
軽く挨拶をする人、親し気に会話を交わす人、スマホを見せ合ってラインの交換や動画の感想の言い合いをしている人。
本当に色々なタイプがいる。
僕はすれ違う人に軽く会釈だけして試合会場へと向かった。
アレクシアと中島さんを待たせておくわけにもいかない。それに先日の一件もあってどうしても不安がこみあげてくる。
幸い今回は何事もなく、僕たちは試合会場に入った。
畳張りの柔道場・板張りの剣道場が各八面ずつある国立武道館の試合会場。
白い重厚な扉を開けると、まず熱気に圧倒された。
突き出たガラス張りの貴賓席はまだ空席が見えたけど、以前来たときに空席ばかりだった白いスタンド席は観客で埋め尽くされ、ざわざわとした話し声が降ってくる。
様々な衣服に身を包んだ様々な年齢の人たちが隙間なく詰めかけていた。
これだけの数の人たちがこれから始まる激闘を期待しているのが、熱気と共に試合会場にまで伝わってくる。
いつの間にか掌がじっとりと汗ばんでいた。
あらかじめ見学に来ておいてよかった、もし今日始めて来ていたら、もっと緊張がひどかっただろう。
「では、ワタシたちはこれデ」
「頑張ってね、柳生くん! 応援してるから」
二人の静かだけど力強い励ましが、何よりも力を与えてくれる。緊張に震える手足が、ぐっと楽になる。
一人になってしまったけど、もう何も怖くない。そんな気がした。
僕は試合会場に立ち、開会式が始まるのを待つ。他の出場選手が体をほぐしているのが見えた。
ちなみに空いていた貴賓席はアレクシアが自分と中島さんのために取った席らしく、遠目に彼女たちが席に着くのが見えた。
中島さんは落ち着かないのか執事っぽい人が運んでくる飲み物をペコペコしながら受け取り、アレクシアは堂々と椅子に座っていた。
さすがはアレクシア。シーメンス社ご令嬢の権力は伊達じゃない。
ふと会場の一角を見る。出場選手とは年齢層が違う壮年・老年の着物や道着に身を包んだ人たちが談笑していた。
北辰一刀流をはじめとする、古流の師範や師範代の方々だ。
試合には出場しない。だけど今度の大会で解説員を行ったり、試合の休憩の合間に演武を見せたりする。
その中には武術専門誌で表紙を飾っていた人もいて、雑誌やネット情報だけど顔を見たことがある人も多い。
その中の一人に目が留まる。
確か数年前に優勝した神道無念流の師範で、優勝者の師匠にあたる人だったか。
神道無念流派は剣道の発展に大きく寄与した流派の一つでもあり、江戸時代は「力の神道無念流」と言われるほど力強い攻めに特徴がある。
師範は僕にちらりと目を向けるが、特に関心のない様子だ。
古流には「日本古流連盟」という組織が存在し、そこに多くの古流が属している。
年に一度聖演武祭とは別に各自技を見せ合う演武会を開催したり、道場同士で交流したりと、古流が今よりずっとマイナーなものだった時代から親交が深い。
マヨイガの発明により聖演武祭が開催されたことで、文字通りの真剣勝負ができるようになりいっそうその絆は強まったらしい。
でも普通、勝ち負けを争うと結構ギスギスした関係になりがちだ。
江戸時代は他流試合に勝ったら帰り道に闇討ちされた、なんて話もあるくらいだし。
なのに師範たちからはそんな空気はなく和やかに話している。
人間性の違いだろうか。武道やっている人にはろくでもない人も多いけれど、彼らは立派な人たちばかりなのだろうか。
正々堂々聖演武祭で勝ち負けを競い合い、試合が終わればみんな仲良し。
そんなうまい話があるのだろうか。
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