第43話 正攻法

 葵さんが正眼の構えのまま、間合いを突き破ってくる。

 銀色に光る刀身が残像のために流星のように見えた。

 動画で見た時には猛禽類のようだった彼女が、目の前では黒豹のように感じられる。

 切っ先が上がったのだけは目で見えた。

 僕は咄嗟に腰を落とし、全身の力を一振りの刀に乗せる。

 ほぼ同時に、一回戦の合田と戦った時よりもはるかに甲高い音が響いた。

 面を打ってきた葵さんの刀と、受け止めた僕の刀が交差している。

 手がしびれるような衝撃。

 試合場にどよめく観客の声。

 そして続けざまに放たれる、葵さんの二の太刀。

 右胴を打ってきたがこれも刀を横に振りかぶりながら交差させて防ぐ。

斜め下に切っ先が向いた刀を回転させ、葵さんのこめかみを狙った。

 彼女は後ろに下がり、面の間合いから逃げると同時に僕の小手を狙ってきた。

 面より小手は体の前にあるから、面が届かない位置でも小手は届く。

 だけど僕は手首を回転させて、刀の鎬を利用して小手打ちをはじいた。

 常に刀の陰に自分の体や小手を置くようにしながら、葵さんの太刀を防いでいく。



 一体どれだけの攻撃をしのいだだろうか。

 お互いに距離を取り、息を整える。

 息があがり、切っ先が定まりにくい。道着はすでに汗でぐしょぐしょだ。

 試合場の床があちこち汗で濡れ、照明の白い光を反射していた。

 葵さんも黒髪が額に張り付き、汗が真珠のような肌を伝う。

 細い喉、白い肌、均整の取れた体つき。

 汗でしとどに濡れた肌は、こんな時だというのに色気を感じさせる。

 細い喉をごくりと鳴らし、葵さんはつぶやいた。

「スピードでは私の方が上なのに、剣がまるで届かない…… 一体なぜ? それに防御が固くて、まるで刀が盾のようです」

 刀が盾、か。

 さすがだ。一見してもう本質を掴まれたか。

「柳生流剣術の技の一つ、『刀中蔵』だよ」

「刀中蔵……?」

 刀中蔵。

 それは刀を盾として使う柳生流の秘術。

 相手が上から打ってくれば受け止めた刀の下に自分の身を置く。

 右斜め上から打ってくれば左斜め下に。

 下から斬り上げてくればその斜め上に。

 常に自分の体を構えた刀の後ろに置くことで、刀を楯として使えるようになる技術。

 竹刀稽古だけだと掴みにくいが、真剣や真剣に近い形の木刀で徹底的に型稽古をすると掴める。

 常に刀を自分の前に出し、刀がまるで楯のようになる感触を。

「しかし、守ってばかりでは勝てませんよ」

 葵さんが再び切り込んでくる。ぴかりと光る閃光が、僕のこめかみを狙う。

 でもね。

 いつまでもやられっぱなしじゃ、男が廃る。

 鋼がぶつかる甲高い音が試合場に響くとともに、レポーターが驚愕する声が聞こえた。


『おーっと、これはどうしたことか? 北辰葵選手が初めて後ろに下がりました!』


 葵さんの黒髪を刀が掠めたが、浅すぎた。

 僕は心の中で舌打ちすると、刀を青眼に構えなおす。

「今のは……」

 葵さんが初めてわずかな恐怖を顔に浮かべ、再び袈裟切りで僕のこめかみを狙ってくる。

 浅い踏み込みで放たれた斬撃を軽く受け止め、一切のタイムラグなしで突きを放つ。

 葵さんが再び後退した。

 同様の攻防が続くが、葵さんが踏み込めなくなる。

 幼さを残した顔立ちも手伝って、黒豹が今や黒猫に見えた。

「『猿廻』で使う技術だよ」

 ただ相手の刀をガードするのではなく、ガードした自分の刀の切っ先が常に相手の喉や目に向くようにする。

 攻防を一手で行える、柳生流剣術の技。

「……確かに恐るべき技術ですが、やりようはあります」

 葵さんが今度は正面から面を打ちこんできた。

 今度は腰を落として刀を受け止め、そのまま葵さんの追撃を防ぐ。

気づかれたか。早いな……

 猿廻は、相手が左右から打ち込んできた時にしか使えない。

 正面から打ち込んでこられると、切っ先がどうしても横を向いてしまう。

 また、徐々に押され始めた。

 勝利がだんだんと遠のいていくのを感じる。

 仕方ない。

 僕と葵さんでは、地力が違う。

 格上の相手に勝つには、やっぱり正攻法じゃ難しいか。


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