第21話 いい子だと思う

 次の休日の朝。

 汐音町から電車にニ十分ほど乗り、都心へと向かう。そこからバスに揺られて三十分ほどで目的地最寄りのバス停に降り立った。

 都心近いため潮の香りが風に混じることはなく、代わりに車が二車線の道路を整然と走り、せき込むような排ガスの臭いが混じる。

 大通りから少し外れ、周径四キロほどの池を構えた大きな公園を歩いて目的地へと向かう。都心の大公園なだけあってジョギングをする壮年の人、キャッチボールやスケボーにいそしむ若者などがいる。

 芝生の方には時折木刀で素振りをする人、パートナーにミットを持ってもらいパンチやキックの練習をする人たちが汗を流している。 

 聖演武祭が近づいてくると、ああいう外で練習をする人も増えてくる。

 ミットを叩く大きな音がするたびに、隣を歩く中島さんは身を震わせた。

 彼女の私服はチェックのワイシャツとロングの黒いパンツ、頭にかぶったハンチング帽というどこかユニセックスな感じのコーデだ。

「私、ああいうのはちょっと苦手で……」

「わかりますよ。ワタシも慣れないときは苦手でしタ。今では慣れましたけド」

 アレクシアはそう言いながら、中島さんの手を取った。金髪の少女が笑顔で背中を撫でると、眼鏡の奥の瞳に安堵の色が混じる。

 アレクシアは中島さんとは対照的に、白のブラウスとエメラルドグリーンのフレアースカートというガーリーな感じだ。

「怖いなら、無理して来なくてもよかったのに。行く場所が場所だし、近くで練習してる人もいるって言っておいたでしょ?」

「ううん」

 中島さんは首を横に振り、はっきりと自分の意志を示した。それから僕のことを睨むように見つめる。

「柳生君たちをしっかりと監視しないといけないから。それに私も無関係っていうわけじゃないし」

 さらに行くと五、六歳くらいの子供を公園で遊ばせている親子連れとすれ違う。僕は軽く会釈し、アレクシアは大きく手を振って挨拶していた。

 でも中島さんはその光景を目を細めて見守っているだけだった。

羨望と嫉妬の入り混じった表情で。



 そのまま公園を抜け、再びビルや高校が立ち並ぶ通りを抜けて目的地に着く。

「国立武道館」

 と書かれた重厚な縦書きの看板が、ガラス張りの扉を複数設置された入り口に掲げられている。

「ここが聖演武祭の会場ですカ」

 運営にある程度携わっているアレクシアも、実物を目にするのは初めてらしく感慨深げに見つめていた。

 僕もかつて剣道部に所属していたころ、出場はできなかったものの同じ部員ということで来たことはある。

 県下最大の武道館であることから、柔道剣道、そして弓道の大会や昇段審査はここで大規模なものが行われ、多くの道着姿の学生たちが集まっていたのを覚えている。

「ドイツでも武道館はありますガ、ここまで大きいものは珍しいでス」

 一方中島さんは居心地悪そうにそわそわし、ずっと気を張っている感じだ。

「さあ、柳生君、アレクシアさん。用事を早く片付けて、帰りましょう」

 今日僕たちがここに来た理由の一つは、開催会場の下見だ。聖演武祭が行われる会場だし、本番の日の緊張を少しでもほぐすために多くの選手が下見に訪れる。

 他の大会参加者の雰囲気を少しでも知っておいた方がいいというアレクシアのアドバイスだ。

 それにアレクシアがここへ来る用事があったので、僕も付き添いがてら来ることにした。

「でもアレクシア、その服装でよかったの?」

 彼女の用事からすると、もっとフォーマルな服装の方が良さそうだが。

「かまわないでス。先方には友人と出かける用事のついでに来ると伝えてありますシ、何より……」

 彼女はそこまで言って、僕の顔を上目遣いに見つめた。しかしすぐに視線を逸らし、前を向く。僕の顔に何かついていたのだろうか?

 正直、大会でどこまでやれるかはわからない。

 聖演武祭ルールで試合はしたことがないし、剣道の地稽古でも実力を出せずに終わってしまった。

でもアレクシアに言われた通り優勝すれば大金が入ってくる。道場も売却しなくて済む。そのための努力は惜しみたくない。

 武道館内部に入ると、他の出場選手らしき人たちも下見に来ていた。肩幅の広い、腕も足も太い、首が胴体にうずもれているような筋肉をつけた人もいた。

 同じ高校生とは思えない。体格だけで言えば僕は、熊の前に立つ子犬だ。

 でも負けるとも思わない。

 ああいったボディビルのような体格は剣を振るって戦うには向いていない。一目見れば剣は素人なことはわかる。

 熊でも目を噛まれれば相手が子犬でも痛い目にあう。

 だが聖演武祭は剣道の試合とは違い素手の攻撃もありなのだ。だから、どう勝敗が転ぶかは当たってみなければわからない。

 組み合わせはまだ発表されておらず、今日出会った相手と本番では戦うことになるかもしれないのだ。そう思うと、嫌が応にも気が引き締まる。

 でも中島さんはすれ違った熊のような相手を見てワイシャツの裾を強く握りしめ、身を震わせる。 

 怖くて苦手な場所ということはわかっていたはずなのに、中島さんは僕たちの監視のためだけにわざわざこんなところまで来てくれた。しかも休日に。

 不器用で、まじめで、頑固で、でもすごくいい子だと思う。

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