第11話 中島さん

 叫びながらこの場に乱入してきたのは、汐音市の有名企業、中島工業の中島さんだった。

 自転車のペダルからふらつきながらも足を下ろし、スタンドを立てて自転車を固定する。肩を上下させ、荒い息を何度も繰り返していた。

 息が落ち着くと、眼鏡の奥の切れ長の瞳をさらに細めた。

「今日早く帰ったと思ったら、荷物まとめて引っ越しなんて! しかも男子の家に!」

 彼女は一方的にまくしたてながら僕のことを睨んだ。その剣幕に気圧され、僕はアレクシアさんに目線で助けを求める。しかし彼女はバツが悪そうに眼をそらした。

「説得は成功したんじゃ……」

「説得はしたのですガ、ああ見えて頑固でしタ」

「余計なお世話!父が説得されても! 私は納得してないから! それに……」

 なんだかいろいろ事情が複雑なようだけど、要するに。

 帰ってきたらアレクシアさんがいきなり荷物をまとめはじめ、引っ越し業者が家に来ていた。事情を聴くと、僕の家に引っ越すことにしたといきなり聞かされた。反対はしたけど、わずかな時間で中島さん以外の家族は説得されていたため彼女の意見は通らなかったらしい。

 そのうちに迎えの車が来て、彼女は家を出てしまった。

 でも諦めきれず、行き先を親御さんに聞いてここまで自転車で追ってきたという。

 中島さんが乗ってきたちっぽけな自転車と、アレクシアさんが手配したという巨大なトラック。

 二人の経済的バックの差が見える気がした。

「今からでも遅くないよ、アレクシアさん。男子の家に一人でホームステイなんてやめて、私の家に戻ろう?」

 眉を吊り上げる中島さんとは対照的に、アレクシアさんはあくまで柔和に微笑んで言った。

「アヤ、あなたの心遣いは喜ばしく思いまス。わずかな期間でもあなたと過ごした日々は、楽しかっタ。でも、これもサムライの精神を少しでも深く知るためなのでス」

 一瞬誰のことかと思ったけど、アヤ、つまり彩は中島さんの下の名前か。

調子を崩さないアレクシアさんに、中島さんは眉根を寄せて怒りの感情をあらわにする。

「サムライサムライって…… あんな暴力的で時代遅れなもの、今の時代にそんなに価値があるの?」

 中島さんの指摘に一瞬だけ表情を歪めたアレクシアさんだけど、すぐに元通りの表情に戻る。

 作ったような笑みを上手に隠しながら。

 今度は少し熱っぽい口調で、中島さんの手を握って言った。

「サムライの国で過ごしていると、逆にその有難さに気が付かないのでしょウ。ワタシが最も好きなサムライの言葉に『行住坐臥』がありまス。日常生活すべてが修行、いたく感銘を受けた覚えがありまス。だからこそ彼の日常生活すべてからサムライの精神を学ぶのでス」

 見取り稽古という言葉もあるし、昔は師匠の家に泊まり込みで身の回りの世話すべてをこなしたっていうからね。

 そうやって、師匠のちょっとした仕草から技を盗んでいったらしい。

 熱意のこもった言葉、絶妙な表情、手を握るという行為。

 すべてが合わさって、中島さんの心を動かし始めている。だが一歩及ばなかったらしい。

 中島さんは僕の方に視線を向けると、茜色の夕日の陰の下でもわかるくらいに頬を染めて呟いた。

「女の子一人で男一人暮らしの所に泊まり込むなんて…… その、わかるよね?」

 それを聞いたアレクシアはいたずらっ子のような笑みを浮かべると、人差し指を顎に当てて考え込む。日本人がやるとわざとらしく見える仕草でも、碧い瞳と金糸の髪の彼女がやるとしっくりくる。

「わかりませんネー。どういう意味ですカー? ワタシに教えて下さーイ」

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