第19話 ドン引き1
次の休み時間、広田はすぐに僕を教室の外に連れ出した。
階段の踊り場の一番上。昼休みならとにかく、授業と授業の間の短い休み時間人が誰も立ち入らない場所。
そこで広田は、僕の制服の襟首を両手でつかんで壁に押し付けた。
古流には体術もあるしこの程度ならすぐに振りほどけるけど、広田の泣き出しそうな顔を見るととてもそんな気にはなれなかった。
「お前、どうやった?」
広田がただそれだけを僕に問う。襟首をつかんだ手は震えていた。
「教えろよ! なんで剣道部にさえ入ってないお前が、聖演武祭に出られるんだよ! 一瞬同姓同名かと思ったがよ、教室のお前のにやけ顔見てマジだってわかったんだよ!」
僕を睨みつけ、激高する広田。
それを見てさっきまでの浮ついた気持ちが急激に冷めていく。
そうか。誰かが出られるっていうことは、誰かが出られないっていうことでもある。
大会の参加者が限られている以上、それは当たり前の話。だけど長年大会なんていうものに縁がなかった僕は、それをすっかり忘れていた。
自分がだれかを押しのけて、聖演武祭の場に立つ、ということを。
僕が身勝手な理由で剣道部をやめたのに、そこそこ仲良かった広田。だけど今は僕に対する憎しみしか伝わってこない。
でも、本当のことを言うわけにはいかない。
「野球の二十一世紀出場枠みたいなもので、古流の出場枠があって、柳生流にたまたまその枠が……」
「ふざけんなよ、そんな都合よく回ってくるわけねえだろ、剣道やってるから少しは知ってんだよ、古流が日本にどれだけあると思ってんだよ」
コミュ障で、対人経験値の低い僕の言い訳なんて簡単に一蹴されてしまう。
「インターハイも、聖演武祭の推薦も狙って毎日毎晩稽古してた俺が何で出られねえんだよ、途中で部活辞めたお前が何で出られるんだよ、言ってみろよ」
怒鳴り声が、徐々にすすり泣きに変わっていく。
僕の襟首をつかんだまま、広田はしゃくりあげて嗚咽した。
どうしたらいいのだろう。何を言っていいのか、わからない。どうすればいいのか、見当もつかない。
迷っていると、視界の端に金糸が輝いた。
「彼の言うことは、本当でス」
背筋を伸ばし、両手を体の前で組んで凛とした声で話すアレクシア。
男子二人が言い争っている前に立っているというのに、恐怖のかけらも見えない。
「なんでここに……」
「剣呑な雰囲気でお二人が教室を出ていきましたかラ、クラスメイトにはばかりに行くと言って教室を抜け出してきたのでス」
聞きなれない言葉が出てきて、少し気になる。でも今はそんな場合じゃない。
「スポーツ・格闘技の上位入賞者に加え、伝統を重んじるためにランダムで選ばれる古流の枠。そこに彼が今年は入ったのでス」
「なんでそんなことが、わかるんだよ!」
広田の激高に、アレクシアは眉一つ動かさない。
「転校した時にも申しましたガ。ワタシの家、シーメンス社は聖演武祭に出資していますのデ。当然、選考過程も耳に入ってくるのでス。彼の流派の名は、ワタシが転校してくる前からすでに挙がっていましタ」
「なんで、こんな奴が……」
「ではお聞きしますガ。アナタが昨日彼と竹刀を交えて、絶対に自分の方が上だと言い切れましたカ?」
碧い瞳が広田を見据え、断言する。
「っ……」
同時に僕の襟首をつかむ広田の手から力が抜け、顔を伏せてアレクシアから目をそらした。
まるで、彼女の視線を避けるかのように。
だんだんとその目から怒りが零れ落ちていく。やがて両手を僕の襟首から離した。
拳は握りしめられ、噛み締められた唇からは一条の血が流れていた。
どれだけ悔しかったのだろう。
「すまねえ。八つ当たりだな」
それだけ呟いて、広田は場を離れた。
後には張り詰めた空気だけが残る。
広田が階段の下へ消えたのを見て、アレクシアは大きく息を吐きだす。すべてが終わった後、彼女の足はわずかに震えていた。
「すごいね」
僕はそれに気が付かないふりをして、声をかける。
「仕事で慣れていますかラ。それにいざとなれば、アナタが守ってくれるでしょうシ。ビジネスの会議のプレッシャーと、人間の放つ殺気や怒りというのはまるで違いまス」
アレクシアは大きく息を吐くと、全身の力が抜けてしまったかのように壁にもたれかかる。
その様子を見て。ごつい男と女子が向かい合って、女子が怖がっている様子を見て。
嫌な記憶がよみがえってくる。
アレクシアがうちにホームステイして、二人きりになる時間もあって、マンツーマンで指導しているけれど。いい仲になるなんて都合のいい展開があるわけない。
嫌な記憶がフラッシュバックして、アレクシアに傾きそうになっていた気持ちにブレーキをかける。
古流とは所詮人を倒すための技術。そんなもので女子に好かれるなんて、あるわけがない。
遠くから見ている分には格好良くても、いざ間近で見られればドン引きされるのが落ちなのだ。
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